第21話 悩み多き年頃
その日、ナレーション部の活動で葛城さんは絵本の読み聞かせに行っていたので、寮に帰って来たのは門限ギリギリだった。児童養護施設は幼稚園のようにイベントスペースがないから、今回は希望者だけが行くことになった。
施設には中学生の男子も居るということで、男嫌いの藤堂さんは参加していない。本人には男嫌いを克服したいという意志はあるようだが、いきなり狭い空間で男女混合になるのは無理があるだろう。
そして、僕も読み聞かせの練習はしていたのだが結局、参加はしなかった。大した理由ではなく、何となくイジメやセクハラを受けていた頃の自分を思い出してしまった。これも、克服しなければならない課題だろう。
「どうだった?」
僕はベッドに寝そべりスマホを見ながら、制服からラフな部屋着に着替えている葛城さんに聞いた。
「もう、可愛かったよ。お姉ちゃん、また来てねって言われちゃった」
「絵本の読み聞かせって、幸ちゃんに向いてるかもね」
葛城さんは普段、地声よりも高い声で喋っているようで、高音から低音まで使い分けることが出来る。キャラクターごとに声色を変えて、聞いている方も楽しいだろう。
子供は辛辣だから、葛城さんがトランスジェンダーだということが理解できなくて、何か言われるんじゃないかと心配していた。でも、余計な心配だったようだ。
「渚ちゃんは、何か言ってた?」
「子供達の年齢の幅が広くて、統率が取れてるなって」
「へえ、そうかぁ」
もう一つ、僕には気になることがあった。ストリートピアノで撮影した映像を森本さんが編集して、ユーチューブにアップロードしている。
以前から美少女コスプレイヤーとしてネットではよく知られていた森本さんだが、自分から写真や映像を発信することはなかった。それが、初めて自分のチャンネルを作ったのだから、一日のアクセス数もかなりのものだ。
コスプレイヤーが自分でアップロードしている写真は修整されている場合が殆どだが、動画だけに誤魔化しが効かない。それでも、はっきり美少女だと分かるのだから、視聴者の反応が良いのも当然だろう。
コメントには森本さんの美しさを誉め讃えるものが多いのは、勝手にアップロードされた写真と同じだ。しかし、今回は『なんでミルキーなの?』というコメントが、ちらほらと見受けられた。前回は僕と森本さんで、ヒイラギとアルテミスの親子共演をやっているだけに、今回はレニーをやってくれた方が良かったという意見だ。
僕にも『カノンが可愛すぎる』とか、『マジで人形みたい』などというコメントがあるのに対して、奥村さんには『ピアノ弾いてる子、演奏は上手だけど顔はイマイチだね』というものが、少なからず見受けられた。
ネットで心無いコメントが書き込まれるのは仕方のないことだ。それが嫌なら、アップロードなんかしなければ良い。分かってはいても、あまり気持ちの良いものではなかった。
着替え終わった葛城さんは二段ベッドの横で膝を突き、僕の顔の横で上を向くという、かなり無理な体勢でスマホの画面を覗き込んだ。僕がよく会話をしながらメールを打っているので、二つのことが同時に出来るということが彼女には不思議らしい。
「ああ、ストリートピアノのコメントだね。奥村さんも、それ見て喜んでたよ」
「喜んでるなら、いいんだけど」
その時、ピコっと音が鳴ってスマホの通知が開いた。奥村さんからのメッセージで、彼女も読み聞かせに行っていたから、自宅に戻ったところなんだろう。実に良いタイミングだ。
メッセージを読むために動画アプリを終了して、代わりにメッセージアプリを起動した。
『児童養護施設、楽しかったよ。莉音ちゃんも来れば良かったのに』
葛城さんは、スマホの画面を覗き込んだままだ。相手がお母さんや兄貴なら遠慮をするんだろうけど、葛城さんと奥村さんはクラスメイトだから、見ても構わないと思ったのだろう。
僕も見られて困るようなことは特にないので、そのまま返事を返していた。
『あの先生のことだから、これで終わりじゃないと思うよ。次の機会には多分、行けるから』
『次の機会って、また衣装を作るのに家政科の実習室を使わせてもらって、その代わりにってこと?』
『コスプレ・リアル会議が終わったら、また次をやるかどうか分かんないけど』
『え、なんで?森本さんに茜と烈花のフィギュアを見せてほしいって頼まれてるけど』
思わずスマホに向かって、ツッコミを入れたくなった。茜と烈花は『人外戦線』に登場するキャラクターだが、女子高生の茜に対して烈花は生意気な口を聞く小学生の女の子だ。森本さんがフィギュアを見たいということは、次のコスプレの準備なのだろう。
三人でコスプレをするとなると、僕が烈花になるのは確定だ。無表情で笑わないカノンとは対照的で面白いとは思うのだが、どうして子供ばっかりなんだろうか。
『コスプレのことだけど、動画のコメント欄、見た?』
『全部、読んでるよ。全国のストリートピアノが設置してある場所とか教えてくれて、嬉しかったよ』
『なんか、嫌なコメントもあったけど』
『ああ、顔がイマイチってやつね。そりゃ、莉音ちゃんや森本さんと比べたらイマイチでしょうよ。そんなことで、競ってないから』
僕が心配するまでもなく、奥村さんも葛城さんも前向きでポジティブなようだ。僕も高校生になって環境も自分自身も変わったのだから、もっと前向きになった方が良いのかもしれない。
「ねえねえ、莉音…」
奥村さんとのやり取りが終わり、スマホをスリープ状態にしてベッドの棚に置くと、葛城さんは体を起こして前屈みで僕にすり寄って来る。スマホをずっと見ていたのも、僕に何か言いたいことがあって終わるのを待っていたようだ。葛城さんとの物理的な距離感も随分、近くなったものだ。
「映画の上映会、いつやる?」
ストリートピアノの件でバタバタしていて、すっかり忘れていた。そう言えば酒巻君と、そんな話しをしたような気がする。
「もう期末テストが始まるから、その後かな」
「でも、コスプレのイベントもあるから、その前にやっておかない?」
本来『魔法少女が惨殺する』の衣装は、森本さんがコスプレ・リアル会議に参加するために作ろうとしていた物だ。ストリートピアノの件がなければ、期末テストが終わってから完成させれば良かった筈だ。予定が前倒しになった分、イベントの当日までに空白の期間が出来てしまった。
その期間に葛城さんは、映画の上映会をやりたいのだろう。その後に酒巻君がコスプレ・リアル会議を見に来れば、流れとしては悪くないのかもしれない。でも、僕には別にやりたいことがあった。
「ごめん。期末テストが終わったら一度家に帰りたいから、上映会はイベントの後でいいかな」
「あ、全然気にしないで。私は、いつでもいいから」
そうは言っても、残念な気持ちが葛城さんの表情に表れている。
「じゃあ、酒巻君をコスプレ・リアル会議に呼んどいてよ」
「え、莉音が誘ってるってことで、いいのかな?」
「幸ちゃんはメイク担当だから、酒巻君と一緒に見に来るって訳には行かないからね。一応、声掛けとかないと」
「うん、ありがとう」
別に映画なんて見なくても良いし、酒巻君がイベントに来なくても構わない。でも、照れ臭そうにしている葛城さんの表情を見ていると、何か良いことをしたような気持ちになっていた。
* * *
テスト週間で短縮授業になり、放課後に僕は相原さんと廣田さんの二人と共に図書館へと移動した。相変わらず廣田さんには、ノートを写させてほしいとお願いされている。
中間テストの時と同じように、葛城さんと奥村さん、そしてもう一人の女子が先に来て一緒に勉強をしていた。今回は初日から酒巻君の姿も見えるが、少し離れた場所に座っている。
奥村さんのことは以前にカラオケボックスで一緒にテスト勉強をしているから、相原さんも廣田さんもよく知っている。でも、他の二人のことを知らないから、敢えて合流はせずに僕らは空いている席に着いた。
僕と相原さんは、それぞれ鞄の中からノートを取り出した。僕が理数系で相原さんが文系のノートを見せるのも、中間テストの時と同じだ。
「夏恋ちゃん、いいかげんにしないと、シバくからね」
静かな図書館の中で、小さな声でそんなことを言っても迫力がないし、罵ったところでドMの廣田さんは喜ぶだけだ。
「申し訳ありません、お嬢様♡」
そんな廣田さんには勝手にノートを写させておいて、僕と相原さんは現国の勉強を始めていた。
中学の時に勉強を見てくれた兄貴も現国はあまり得意ではなかったから、必然的に僕も苦手な科目になってしまった。中間テストの結果に担任の桜井先生から釘を刺されてしまったので、今度は相原さんに頼るしかない。
「ふふっ、この代償は高くつくわよ」
「抱っこで手を打たない?」
「いいわよ。今日は、私の膝の上で勉強する?」
「成功報酬でね」
暫く現国の勉強をしていると、図書館に森本さんが入って来るのが見えた。彼女は頭が良いから、図書館で勉強をしている姿を見たことがない。
珍しいこともあるもんだなと思っていると、僕に向かって手招きをする。ただ単に、テスト週間で部活がないから、僕に用事があっただけのことだ。
「ちょっと、ごめん。先輩に呼ばれてるから」
図書館では大きな声で会話は出来ないから、廊下で話すつもりだろう。僕が席を外して森本さんの方へ行くと、彼女は奥村さんと葛城さんの方にも手招きをする。二人も席を外して合流すると、四人で廊下に出て立ち話を始めた。
「2.5次元ショーのエントリーの受け付けが始まったから、みんなに必要事項を入力してもらおうと思ってね」
そう言って森本さんはスマホを取り出すと、画面を見ながら操作を始めた。
コスプレ・リアル会議のイベント期間中には、大小様々なショータイムが用意されている。パレードとか撮影会といった感じだ。
2.5次元ショーは、観客を集めて舞台でコスプレイヤーがアニメのワンシーンを再現するというものだ。時間は三分程度で、短い時間で次々と出演者が入れ替わる。特に優勝を決めるということではないが、観客の反応が良ければイベント会場に写真が飾られたりする。
また僕が拒否反応を示すと思って、森本さんはギリギリまで言わなかったのだろう。
「2.5次元ショーにエントリーすると、何かいいことあるの?」
何とかエントリーを回避出来ないかと思いつつ、僕は平静を装いながら聞いてみた。
「ショータイムの参加者は、専用の更衣室を使わせてもらえるのよ。一般の参加者は仮設だから、雲泥の差があるわよ」
「だったら、撮影会とかでも良くない?」
「撮影会は自由参加だから、専用の更衣室は使わせてもらえないのよね」
「そうか…」
仮説と専用の更衣室で、どういう差があるのかよく分からない。でも、森本さんは仮設を経験したからこそ回避したいのだろう。どうせ参加しないといけないなら、初めから専用の更衣室を使わせてもらうのも悪くない話かもしれない。
「私も更衣室に入っていいんですか?」
「入らなきゃ、メイク出来ないでしょう。一応、止められた時のために学生証は用意しておいてくれる?」
「はい、分かりました」
葛城さんがスマホを渡されると、必要事項を入力して参加ボタンを押す。スマホを奥村さんに渡し、同じように入力してから僕に渡してくれる。僕は必要事項を入力したが、参加ボタンを押す直前で指が止まった。
雰囲気に流されて入力してしまったが、これを押してしまったら、とてつもなく恥ずかしいことをしなければならない。そう思うと指先が硬直して、どうしてもボタンが押せなかった。
「やっぱり、無理…」
「渚ちゃん、説得して」
奥村さんは僕の手の甲を軽く押すと、その重みで参加ボタンを押してしまった。
「あ…」
すぐに森本さんは僕の手からスマホを取って、自分の制服のポケットへ入れる。
「それじゃ、期末テスト頑張ってね」
ニッコリと微笑んでから、颯爽と彼女は去って行った。
「なんで、そんなに嫌がるの?超が付くほど可愛いのに」
「渚ちゃんが知らない秘密があるんだよね…」
「半陰陽なんでしょう?知ってるよ」
「えっ?」
「前に部室で話してるの、聞こえちゃったんだよね。その時は意味が分からなかったけど後で調べて、ああ、なるほどなって」
奥村さんが知っていることを僕は知らなかった。それだけ、彼女の態度が何も変わっていないということだ。
「だから僕は、中身がね…」
「男の子なんでしょう?自分のこと、僕って言うもんね」
「それで、なんで嫌がるのか分かんない?」
「ぜーんぜん、分かんない。だって、可愛いもん」
そもそもジェンダーレスとは、男だから女だからという区別をなくそうという考え方だ。中身は男の子だけど、可愛い格好がしたい。それは森本さんも言っていたことだし、考え方としては正しいのかもしれない。
葛城さんがクスッと笑って、僕らはテスト勉強の続きをするために図書館の中へと戻って行った。
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