第20話 気持ちの問題
放課後の部室へ、森本さんが絵本を10冊ほど抱えてやって来た。月曜日には連絡事項を聞くために部員が顔を揃える傾向があるのだが、藤堂さんの姿はまだなかった。
「部費で調達して来たから、読み聞かせの練習しといて」
そう言って森本さんは、僕と奥村さんが座っている席の間の机に、ドサッと絵本を置いた。
他の部員、と言っても二人だけだが、絵本が置いてある机の所に集まって来て、それらをパラパラと捲っている。アンデルセンやグリムのような昔からある童話ではなく、最近の作家が描いた絵本ばかりのようだ。
「これ、森本さんが選んだの?」
「そうよ。部長の特権だから、意義は却下」
そんな会話を聞きながら、僕も一冊手に取ってみる。正直言って読み聞かせについては、あまり乗り気ではないのだが、絵本にはそこそこ興味があった。
「マジでやるんだ、絵本の読み聞かせ」
「え、何?また、お子ちゃまに会えるの?」
ナレーション部の中で、絵本の読み聞かせの話しを桜井先生から直接聞いているのは、僕と森本さんだけだ。他の部員も間接的に聞いてはいるようだが、奥村さんの耳には届いていなかったらしい。
「お子ちゃまって言っても、児童養護施設だからね。中学生くらいまで居るんじゃない?」
「家政科の実習室を使わせてもらった代わりに、児童養護施設で絵本の読み聞かせをすることになってるのよ」
絵本の読み聞かせに対するモチベーションには、それぞれ温度差がある。僕はあまり乗り気ではなくて、森本さんは別に嫌じゃないという感じだ。他の二人の部員は面白そうだから、やってみようという感じだろうか。そして奥村さんは、子供好きなだけに嬉しさが表情に表れている。
「お子ちゃまに会えるなら、絵本でも何でも読んであげちゃうわよ」
「でも、絵本の読み聞かせに行ったらコスプレ衣装を着ないと、話しの辻褄が合わないよね」
「いいんじゃない?メイドにゴスロリに魔法少女だから、子供達も大喜びよ」
「やだよ。なんで、児童養護施設でコスプレなんか」
「まあ、残虐シーンのあるアニメだから、作ったはいいけど場に合わないってことで、無かったことにするつもりだけど」
さすがは森本さんだ。先生にこの話しを言われた時に、初めからそうするつもりだったのだろう。
そんな話しをしていると、バタンと部室のドアを開けて、ただならぬ雰囲気で藤堂さんが部室に入って来た。彼女は片手にスマホを持ったまま、森本さんに迫って来た。
「ちょっと、何これ。いつの間に、こんなことやったの?」
そう言って見せられたのが、昨日のストリートピアノの映像だった。僕らが撮影した映像はまだ森本さんが編集しているので、あの場に居た観客がスマホで撮影した動画だろう。縦長の画面でピアノの正面から撮っているので、奥村さんの顔が映っていないのがちょっと残念だ。
ストリートピアノの話し自体は、それを言い出した時に藤堂さんも居たから知っている筈だ。ただ、いつ実行するのか彼女には伝えていなかった。当然のように、自分も裏方で参加するつもりだったのだろう。
「もう、勝手にアップされてるの。昨日のことなのに、早いわね」
「どうして、私に教えてくれなかったの?撮影くらい、やったのに」
「衣装作りは幸ちゃんに手伝ってもらったし、あの子メイクも出来るから、現場まで来てもらったのよ」
「幸ちゃんって、莉音ちゃんと同室の…?」
「藤堂さんって、あの子のこと苦手でしょう?無理に来てもらう必要はないかなって、気を使ったのよ。ああ、そうだ。イベントの時も幸ちゃんに手伝ってもらうから、藤堂さんは無理しなくていいわよ」
森本さんは穏やかな口調で話しているが、藤堂さんに対する皮肉だろう。男嫌いは仕方ないとしても、学校が女子として扱っているトランスジェンダーまで毛嫌いするのは如何なものか。そんな僕の心情を察してくれているのだと思う。
藤堂さんは返す言葉がないのか、項垂れたまま絵本を一冊持って窓際の席に着くと、そのまま同じページをじっと眺めていた。
寮で夕食を食べる時に、いつも僕と葛城さんは向かい合って座っている。学校で楽しいことでもあったのか、葛城さんはいつになく明るい表情だ。その理由については部屋に戻ったら話してくれるんだろうけど、何となく想像は出来る。きっとクラスで奥村さんや酒巻君と、ストリートピアノの話題で盛り上がったのだろう。
僕が座っている側から藤堂さんが見えているのだが、今日のことを気にしているのか、何か考え事をしている様子だ。同室の新居さんに話し掛けられても、どこか上の空で答えている。
奇しくも同じ話題で、二人の明暗が分かれたことになる。
部屋に戻ると葛城さんは、矢継ぎ早に今日、学校で起きたことを説明してくれた。
「それでね、私が酒巻君に順番に説明して行って」
簡単に言うと、奥村さんが勝手にアップロードされたストリートピアノの動画が気に入らないから、早く森本さんに正規版をアップロードしてほしいと葛城さんと話していた。そこへ酒巻君が話しに割り込んで来て、根掘り葉掘り聞かれたというだけのことだ。葛城さんも現場に居た当事者だから、状況を説明できたのが嬉しかったらしい。
「渚ちゃんと酒巻君って、仲いいの?」
「普通のクラスメイトって感じかな。特に親しげではないけど」
「そうかぁ」
葛城さんの想いは多分、奥村さんにはバレてるんだろうなと思いながら、僕は話しを聞いていた。それでも、特に応援しようという気配がないのは、酒巻君に対してあまり良い感情を抱いていないのかもしれない。
奥村さんは僕に幼馴染みの兄貴が居ることを知っているから、僕に関することに首を突っ込んで来るのは、決して印象は良くないだろう。
一通りの話を聞いてしまうと、次第に会話の内容が薄くなって来る。そんな時に、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
僕の方が近かったのでドアを開けると、そこには藤堂さんの姿があった。僕は何度も藤堂さんの部屋へ行っているが、彼女が僕の部屋へ来るのは初めてのことだ。その理由は言うまでもなく、藤堂さんが葛城さんのことを避けているからだ。
「ちょっと、いい?」
そう言いながら、藤堂さんは部屋の中を覗き込んだ。その視線の先には、葛城さんの姿がある。
「あ、私ちょっと、食堂でテレビ見て来るから」
葛城さんが気を使って、席を外そうとする。話しが終わったら、食堂まで呼びに来てくれという意味だ。
「そうじゃなくて、葛城さんに話しがあるの」
「えっ、私に?」
藤堂さんは部屋の中に入って来ると、床に正座で座った。クッション材が敷いてあるから痛くはないと思うが、随分と思い詰めた様子だ。森本さんの皮肉が効いているのだろうか。
真面目な葛城さんは、少し焦った様子で自分も正座で座る。そんな二人を尻目に、僕は勉強机の所まで戻って、椅子に座っていた。
「トランスジェンダーを差別するつもりはなかったんだけど、
「あ、いえ、私が個人的に嫌われてるんじゃなければ、いいんです」
「莉音ちゃんには話したんだけど、私、義理の父親にレイプされたことがあってね。それ以来、男の人が苦手なの。葛城さんは女子寮に居るくらいだから、精神的には女の子だし性的な嗜好も他の女の子と同じだって分かってはいるんだけど、どうしても嫌な体験が頭の中から離れなくて」
「言い難いことを話してくれて、ありがとうございます。私はトランスジェンダーのことを理解してもらえるだけで嬉しいから、気にしなくても大丈夫です」
「でも、このままじゃ駄目なのよ。社会人になれば男の上司なんて当たり前に居るだろうし、男が苦手なんて言ってられないから」
「莉音も男性は苦手ですけど」
「莉音ちゃんは二人きりになるのが嫌なだけで、普通に接してるでしょう。だから葛城さんには、ナレーション部に入ってほしいの」
「えっ、話しが飛躍し過ぎてませんか?」
「ナレーション部って言っても、実質的にはコスプレ部みたいなもんだから。森本さんは葛城さんのことを高く評価してるけど、私のせいで部活とは関係のない所でコスプレをするようになったら、ナレーション部が空中分解しちゃうじゃない。せっかく部活動に昇格したのに、それだけは絶対に避けたいの。だから、葛城さんに入部してもらって、部活の中でコスプレを手伝ってもらいたいの」
葛城さんが振り返って、僕の方を見た。また自己評価が低くて、自分なんかがと思っているのだろう。
「僕は幸ちゃんが、入部してくれたら嬉しいけどね。でも、実質的にコスプレ部って、ちょっと言い過ぎだから。ちゃんとナレーションもやってるし、そこはよく考えて」
藤堂さんの方へ向き直った葛城さんは、俯き加減で話しを続ける。
「私、自分の声がコンプレックスなんです。頑張って外見は女性に見えるようにしても、声でトランスジェンダーだって分かっちゃうんじゃないかって。この間もクラスメイトのお宅へ莉音と一緒に遊びに行った時に、母親に声を出して挨拶出来なかったんです。でも、それって自分で自分を否定してるようなものですよね。藤堂さんが、このままじゃいけないって思ってるように私も、このままじゃいけないって思ってるんです。だから、ナレーション部に入れてもらえると嬉しいです」
「ありがとう。よろしくね」
藤堂さんが右手を差し出すと、葛城さんは両手を出して、その手をギュッと握る。藤堂さんにしては、頑張った方だろう。
今迄、葛城さんのことを避けていた割に面と向かって話しが出来ているのは、彼女の仕草や物腰が女性そのものだからだろうか。実際に本人と話してみなければ分からないことだ。
女の子が
話しが終わって藤堂さんが部屋を出て行った後に、葛城さんも立ち上がって僕の方へ向き直った。
「ねえ、莉音。お願いがあるんだけど」
「え、何?改まって…」
「莉音のこと、抱き締めてもいい?」
これも女性特有の感情なんだろうか。男同士で抱き合っているのを見るのは、厚い友情のドラマくらいだ。
僕も立ち上がると、どうぞと言う間もなくギュッと抱き締められた。森本さんや松山さんに比べると、やはりちょっと感触が固い感じがする。
「ありがとう。莉音のお陰だよ」
「渚ちゃんもそうだけど、幸ちゃんはもっと自分に自信を持った方がいいよ。僕にはない才能を持ってるんだからさ」
「うん、分かった。あと、ゴメン…」
「何が?」
「胸が当たってる」
女同士なのか男同士なのかよく分からないが、そんなことは別に気にしていない。
「いいよ、別に」
葛城さんに抱き締められたまま、僕は彼女に胸を押し付けていた。恥ずかしがっている葛城さんが、ちょっと面白かった。
* * *
次の日の放課後、ナレーション部の部室には葛城さんの姿があった。これで、七人目の部員だ。
全員の顔が揃っているので、真面目な葛城さんは皆の前で入部の挨拶をする。
「こんな声だけど、ナレーション部に入れてもらえて、本当に嬉しいです」
取り立てて葛城さんがトランスジェンダーだということを説明はしないが、そこはみんな心得ている。ストリートピアノのコスプレを手伝ったことは知られているし、部員が増えることには歓迎ムードだ。
「莉音ちゃんみたいな甲高い声とは対極で、いいんじゃない」
「声質なんて関係ないよ。うちは人柄重視だから」
そんな声が飛び交っている中、森本さんは僕の斜め後ろに立つと、腰を少し屈めて耳元に顔を寄せて来る。
「莉音ちゃん、私に何か言うことはないの?」
そんなことを囁かれた。
「お姉様のお陰だよ。ありがとう」
「莉音ちゃんから私に、ご褒美はないの?」
「誰も居ない所で…」
小声で話しているのだが、みんなにはしっかり聞こえている。それでも森本さんが、そっち側の人だということは暗黙の了解なので、大して気にはしていない。むしろ、納得している雰囲気さえある。
ただ一人、奥村さんだけは意外そうな表情をしている。彼女は僕の幼馴染みの兄貴が、いずれ彼氏になると思っているから受け取り方も他の部員とはちょっと違うだろう。本人に聞いてみないと分からないが、少なくとも恋愛関係だとは思っていない筈だ。
僕自身、森本さんを恋愛対象として好きなのかどうか、自分でもよく分からない。ボッチをこじらせて、他人との距離感が未だによく分からないからだ。
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