第19話 ストリートピアノ
ストリートピアノが設置されている地下街には、着替えが出来るような場所はない。仕方なく、地上にあるカラオケボックスで準備をすることになった。
着替えをするので、監視カメラやドアの覗き窓には、布を掛けて見えないようにしてある。勿論、店長には予めカラオケボックスの使用目的を説明してある。ノリの良い店長で、作戦が終了するまで荷物も置きっぱなしで構わないそうだ。
ストリートピアノについても、騒ぎになって中断されないよう、管理事務所にはきちんと許可を取ってある。それらの交渉を全て森本さんが一人でやったのだから大したものだ。
女子校生がそんな交渉をしても門前払いされそうなものだが、森本さんにはカメラ小僧によってネットにアップロードされた、数々のコスプレ写真があることが逆に強みになっている。それらの写真と彼女が同一人物であることさえ証明できれば、後はスムーズに話しが進んだそうだ。
部屋の中には僕と森本さん、奥村さん、葛城さんの四人だけで、葛城さんが部屋の外で待機することもなく、他の三人は平然と着替えている。
奥村さんはともかく、森本さんが葛城さんのことをあまり意識していないのは意外だった。葛城さんを女性として認識しているかどうかは別にして、少なくとも異性に見られているという意識は薄いようだ。
まず着替えが終わると、それぞれの衣装を見て一盛り上がりする。カラオケボックスだけに、どんな大声を出しても大丈夫だ。
「莉音ちゃん、ウルトラ超ミラクル・スーパー・ベリー可愛いんだけど!」
「森本さんほどじゃないかなぁ。超絶美少女だけのことはあるよねぇ」
「渚ちゃんもレニーの衣装、最高に似合ってるわよ」
そんな感じだ。
僕が着ているカノンの衣装はゴスロリだけに黒がベースで、白い布が使われているのは襟元と袖口、それにポリューム感のあるスカートの裾から見えているペチコートだけだ。
女の子らしさの権化のような衣装だから、精神的には男寄りの僕が違和感を感じていない訳ではない。でも、俯瞰で自分のことを見て、絶対に可愛い筈だと思えるからこそ出来ることだ。
そして、森本さんが着ているミルキーの衣装は、濃いブルーのワンピースにエプロンドレスを重ねたようなデザインで、メイドらしく肩やスカートの裾にフリルが付いている。
この衣装でミルキーは、ヘラヘラ笑いながら心臓を握り潰すのだから、狂気の沙汰としか言いようがない。そんなミルキーに美少女が扮していると、より一層の迫力がある。
一頻り衣装の観察が終わると、ようやく葛城さんの出番だ。森本さんは奥村さんに、葛城さんは僕にメイクをすることになる。
「幸ちゃん、化粧品はこれを使ってね」
「凄いですね。舞台用のメイク道具ですか?」
「そうよ。これだけ色数があれば、大概のキャラには対応できるから」
葛城さんも一応、メイク道具を持って来てはいたが、ポーチに入っている彼女の物とは違って、工具箱のようなケースに入った物量に圧倒されている。
カノンは無表情で淡々と喋るキャラクターなので、それを強調するような蒼白い顔にパープルのシャドーとリップが特徴だ。そして左目の下に、涙マークが描かれている。これについては特に言及されていないが、無表情なカノンの心情を表したものだと言われている。
「莉音はお人形さんみたいだって言われるから、キャラに合ってるよね」
そう言いながら葛城さんは、パフやメイクブラシは自分の物を使い、化粧品は森本さんが用意した物で僕にメイクを施していた。
先に奥村さんのメイクが終わると、森本さんは自分のメイクに取り掛かる。その間に奥村さんは、メイク中の僕の顔を覗き込んで、
「マジかっ!リアル・フィギュアだわ」
そう叫んでいた。
カノンとは対照的にレニーは能天気で明るいキャラクターなので、完成した奥村さんのメイクも明るく元気な感じだ。目尻にはスパンコールが付いていて、ショートボブのウィッグにはカチューシャが付けてある。奥村さん本人も明るい性格なので、キャラクターに合っているのかもしれない。
僕は付け毛とウィッグを併用して、姫カットと一本の長い三つ編みにする。これは葛城さんもやったことがないので、森本さんが自分のメイクを中断してやってくれた。そして最後に、頭の上に黒い大きなリボンを結んで完成だ。
「こ、このリアル・フィギュア、いくらなら売ってくれる…?」
「地獄へ堕ちろ」
これは劇中にある、カノンのセリフだ。
フィギュアを集めることが趣味の奥村さんには、僕がカノンのフィギュアに見えているらしい。劇中でもカノンは人形のようだと言われているが、人形とお人形さんでは意味合いが違うだろう。手鏡で自分の顔を見ると、本当に生身の人間とは思えないほど人形のようだった。
そして、森本さんのメイクも完成すると、今更何も言うことはない。ミルキーはレニーやカノンのように顔にアクセントとなる物が何もないのに、とにかく美少女で溜め息しか出て来ない。
「それじゃ、円陣でも組んで気合を入れる?」
森本さんがそう言うと、僕と奥村さんが彼女を挟むようにして両側から肩を組んだ。葛城さんは円陣に自分は含まれていないと思ったのか、突っ立ったままだ。僕が手招きすると、ハッとして円陣に加わった。
「外に出たら、キャラのイメージを壊さないようにね。レニーは能天気で、カノンは無表情だから」
「ああ…本当にやるんだ…」
「今更、後悔しても遅いわよ。手伝ってくれた幸ちゃんに申し訳ないでしょう」
「やるよ。渚ちゃんの生演奏、聞きたいから」
「うん、頑張るね」
「それじゃ、行くよ!」
「おぉ!」
円陣を離れると、僕は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。その間に森本さんは、スマホでストリートピアノの管理事務所へ電話を掛けた。もう話しはつけてあるから、これから行きますと告げただけで電話を切った。
それから、森本さんを先頭にして順番にカラオケボックスの部屋を出て行く。最後尾の葛城さんはビデオカメラを片手に持って、そんな様子も撮影していた。
カラオケボックスのある商業ビルを出ると、大通りの横にある入口から、すぐに地下街へと入る。人通りは地上よりも、地下の方が多かった。ストリートピアノが設置されている広場までは、2ブロックほどある。
コスプレをした三人が横に並んで歩き、その斜め前を葛城さんがビデオカメラで撮影しながら歩いていた。僕と森本さんもスマホにジンバルを付けて、3カメ体制で撮影をしている。通りすがりの人もカメラがあるから、何かの撮影でこんな格好をしているんだと、きっと思ってくれている筈だ。
カノンもレニーと同じようにステッキを持っていて、傘の柄のように持ち手が曲がり、先端が床に付くくらいの長さがある。これも藤堂さんがレニーのステッキと一緒に作ってくれた物で、僕の身長と靴の高さに合わせてくれているのが嬉しい。
「そうだ、忘れてた。レニーのコスネームを決めないとね」
歩きながら森本さんが、そんなことを言う。度々、通行人が振り返ってこっちを見るので、注意を逸らして緊張させないためだろうか。
「もう、私のコスネームは考えてあるのよ。二人がシリウスとベテルギウスでしょう。私がプロキオンなら、冬の大三角形だよね」
これは星座の話しで、プロキオンはこいぬ座の星だ。冬の大三角形のことは知っていたが、三人でコスプレするとか、僕はそんなことを想定していなかった。それに気付いた奥村さんの熱量も大したものだ。
「それじゃ、ユニット名は冬の大三角形ね」
そんな話しをしている間に、広場が見えて来た。中央にはアップライトのピアノが置いてあり、その横に連絡を受けて事務員の女性が立っている。騒ぎなどが起きないよう、監視するためだろう。勝手にやって、お咎めを受けるよりは余程マシだ。
レニーのステッキを森本さんが受け取り、両手が空いた奥村さんは、事務員に軽く会釈をしてからピアノの前に座った。
僕と森本さんはピアノの両サイドに立ち、奥村さんとは反対を向いてスマホで撮影をする。僕が手元と表情を撮り、森本さんが全身を撮る。そして葛城さんが、三人が映る画角で撮影をする段取りになっていた。
奥村さんは先程の僕と同じように大きく深呼吸をすると、意を決したようにピアノを弾き始めた。曲は『魔法少女が惨殺する』の主題歌で『流血の天使』だ。ピアノのことはよく分からないが、この日のために練習したのだろう。流れるように軽やかな演奏だ。
地下街にピアノの音が響き渡ると、行き交う人々が振り向いては立ち止まる。そのまま行ってしまう人も居れば、ピアノに近寄って聞き入る人も居る。そうやって少しずつ人が集まって、自然に人の輪が出来ていた。コスプレなんかしていなくても、立ち止まって聞き入るだけの価値は充分にある演奏だ。
観客の中には魔法少女のコスプレだと分かっている人も居るようで、スマホで写真を撮っている。スマホをずっと構えたままの人は、動画を撮影しているのだろうか。
ピアノ演奏は主題歌が終わると、切れ目なくエンディング曲へと変わる。軽快な曲調の主題歌と違ってエンディング曲はバラード調で、タイトルは『自滅の魔女』だ。そして、演奏が終わり余韻に浸っていると、拍手が巻き起こった。
奥村さんは立ち上がると、向きを変えて観客に深々と頭を下げた。それに習い、僕と森本さんも頭を下げる。
「撤収!」
森本さんがキャラクターのイメージ通りに、ヘラヘラ笑いながらそう言った。奥村さんが事務員に会釈をしてから、ステッキを受け取り、葛城さんも含めて全員で来た道を帰って行く。準備期間の長さに比べると一瞬の出来事だったが、普通に生活していたら決して味わうことの出来ない体験だった。
カノンは笑わないキャラクターなのに、何故か僕の顔には笑みが浮かんでいた。
カラオケボックスに戻ると、元の私服に着替えてメイクも全部落としていた。これから電車に乗って帰るのに、葛城さんは僕がスッピンなのが気に入らないらしく、自分の化粧品でナチュラルなメイクをしてくれる。
「あ、幸ちゃん、私もやって」
奥村さんにそう言われて、喜んで葛城さんは彼女にメイクをする。その過程を僕は、じっと見ていた。
「なんで、ファンデーション変えるの?」
「莉音はブルベだから、奥村さんには合わないでしょう」
「ぶるべ?」
「日本人の肌の色には、ブルーベースとイエローベースがあってね。それぞれ、合うファンデーションの色合いが違うんだよ」
「へえ」
そう言えば、森本さんもピンク系のファンデーションは自分でも使ったことがないと言っていた。と言うことは、葛城さんが持っているブルーベース用のファンデーションは、僕専用だろうか。知っていたら、自分で買ったのに。
メイクが完成すると、奥村さんは手鏡を持って自分の顔を見ていた。
「何となくだけど、自分に自信が持てるようになったよ。私のお遊びに付き合ってくれて、みんな本当にありがとう」
「お礼を言うのは、こっちの方よ」
既に帰り支度が終わっている森本さんは、ソファーに並んで座っていた僕と奥村さんの前に来ると、膝立ちになって両腕で二人の首を抱え込むようにして抱き付いた。
「ずっと一人でコスプレしてて、親にはやめろって言われるし、クラスで陰口とかも言われてたけど、続けて良かった。三人で一緒にコスプレ出来て、本当に最高だった。幸ちゃんも手伝ってくれて、ありがとう」
「いえ、私も楽しかったです」
「それじゃ、幸ちゃんも、コスプレ・リアル会議の時は手伝ってね」
「はぁ?」
思わず僕は、奇声を発してしまった。コスプレ・リアル会議と言えば、この地方では最大級のイベントで、テレビの取材も来るくらいだ。何かしらのイベントに参加するとは思っていたが、そんな目立つことをするなんて今更ながら尻込みしてしまう。
「あれ、言わなかった?」
「聞いてないよ!僕が拒否すると思って、わざと言わなかったでしょ」
「渚ちゃん、説得して」
「莉音ちゃんがコスプレしてくれると、私は幸せな気分になれるの。ああ、カノンが本当に居たら、こんな感じだろうなって。きっと、イベントを見に来る人も、そう思うよ」
「そうよね。で、幸ちゃんは、どう思うの?」
「え、私?私は莉音がイベントに参加するものだと思ってたから」
「そうよね。幸ちゃんも心を込めて、手伝ってくれたものね」
「分かった!やるよ、やればいいんでしょ。ちょっとメジャーなイベントだったから、ビビっただけだよ」
「ありがとう♡」
森本さんが僕と奥村さんの首に回している腕にギュッと力を入れて、思い切り抱き締められた。と言うか、首を締められた。落ち着いた感じの人で
人も羨むような美少女でも、それが全てプラスに作用しているとは限らない。三人で一緒にコスプレが出来て、本当に嬉しかったんだと思う。
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