第18話 それぞれの楽しみ方

 森本さんは、一週間ほどでレニーの衣装を完成させた。それが早いのか遅いのかは、よく分からない。ただ、パーツは多くても構造が比較的単純で、三人の衣装の中では一番作りやすいそうだ。

 まだ、ナレーション部が声優同好会だった時に、僕がアルテミスの衣装を皆の前で見せたように、奧村さんがレニーの衣装をお披露目することになった。

 あの頃はダンボールが積み上げられていたから、物陰に隠れて着替えることが出来た。でも、今はそんな場所なんてないから、奥村さんは部室のドアに鍵を掛けただけで平然と着替えている。部員は一応、女子しか居ないことになっているから、更衣室で着替えるのと何ら変わりはないと思っているのだろう。

 着替えが終わると部員が集まり、奥村さんを取り囲んでコスプレ衣装を鑑賞していた。


「私、レニーになれてる?」


 奥村さんが魔法少女に変身する過程も全部見ていたから、ちょっと興醒めする部分もなくはない。衣装合わせだからヘアメイクは施していないが、カラフルなその衣装は彼女によく似合っていた。


「どこから見ても、レニーよ」

「私に殺人魔法を掛けて♡」


 今日は部員が全員揃っているので、そんな声が飛び交っている。調子に乗って奥村さんは、ステッキの先端を部員の方へ向けた。

 レニーは魔法少女らしく、先端に星の付いた短いステッキを持っている。これは藤堂さんが作った物で、彼女は絵だけではなく、こういった造形物を作るのも得意らしい。


「ファイナル・イリュージョン!」

「ううううっ」


 奥村さんが魔法を掛けると、部員が死んだふりをする。レニーの殺人魔法は鼻や耳、口など全身の穴という穴から大量出血して失血死するのだが、さすがにそこまでは再現できない。

 因みにカノンの殺人魔法は、自分で自分の首を絞めて息絶えるという、魔法少女では唯一の自殺系魔法だ。そして、ミルキーは殺人犯を抹殺することに快感を覚える変態なので、殺人魔法も相手の胸の中に手を突っ込んで心臓を握り潰すという直接的なものだ。


「私、やってみたいことがあるんだけど、言ってもいいかな?」


 奥村さんがステッキの先端を森本さんの方に向けながら、そう言った。聞いてくれないと、殺人魔法を掛けるぞという冗談らしい。


「コスプレに関することなら」

「材料の買い出しに行った時に、地下街の広場にストリートピアノが置いてあったでしょう。コスプレして、あれでアニメの主題歌を弾いてみたいの。私は森本さんや莉音ちゃんみたいに可愛くないから、特技を披露したら自分に自信が持てるかなって」

「渚ちゃんは、ピアノが弾けるの?」

「アニメの主題歌くらいなら」


 奥村さんは謙遜して言っているが、幼少の頃からピアノを習っていて、絶対音感も持っているそうだ。幼児教育にピアノは必要不可欠だから、彼女には有利な特技だろう。

 何もコスプレしてやらなくても良いのではと思わないではないが、人通りが多い地下街だけに普通に演奏しても皆、通り過ぎてしまうのは実際に現場で見ている。奥村さんは自分に自信を付けたいのだから、まずは注目を集めることが重要なのだろう。


「面白そうね。それじゃ、三人の衣装が完成したら、お披露目はストリートピアノにしましょうか。渚ちゃんがピアノを弾いて、私と莉音ちゃんでカメラを回すから、ユーチューブにアップしましょう」

「え!僕もやるの?」

「当然でしょう。カノンが主人公なんだから」


 カノンが主人公と言うか、カノンに変身する前の女子高生が主人公だ。無表情で笑わないカノンの時とは打って変わって、明るく社交的な性格をしている。ただし、物語のスタート時点では肉親を失っているので、暗く沈みがちだ。その時の表情が、カノンに反映されているということだ。


「いいよ、やるよ。僕も渚ちゃんがレニーのコスプレして、ピアノ弾いてるとこ見たいから」

「ありがとう♡」


 想像すると、とてつもなく恥ずかしいことのような気がする。でも、実際に奥村さんのピアノ演奏を聞いたことはないから、それが聞けるだけでも価値のあることだと思っていた。


 奥村さんが元の女子高生に戻り、レニーの衣装は持って帰る。材料費は自腹だし、イベントやストリートピアノの時は各自で衣装を持って行くことになる。

 部活が終了して解散した後も、椅子に座ってスマホを見ている森本さんの背後から、僕は頭越しにその画面を覗き込んだ。カレンダーアプリに色々と記入してあって、今後の予定が気になるようだ。

 衣装が完成したら森本さんは、何かしらのイベントに参加するつもりだった筈だ。時間的に余裕があると言っていたのは、そのイベントに合わせてのことだろう。それよりも先にストリートピアノでコスプレ衣装を披露することになったから、製作のスケジュールが厳しいのだと思う。


「ストリートピアノは、イベントの後にすれば?」

「イベントと違って、コスプレできる環境が用意されてる訳じゃないでしょう。ゲリラ的にやるしかないから、ピアノに辿り着くまでに出来る限り注目されないようにしないとね」


 イベントで撮影された写真が先にネットにアップロードされてしまうと、ピアノまで移動している間にコスプレだと気付いて、騒ぐ人が居るかもしれないということだろう。


「僕のルームメイトが服飾デザインに興味があるから、手伝ってもらうってのどう?」


 森本さんが椅子に座ったまま上を向いた。顔の向きが反対にはなるが、眼鏡が少し下がって裸眼で僕の顔を見ている。


「ルームメイトって、明治パークのイベントに来てた?」

「トランスジェンダーだから、男嫌いなら別にいいけど」

「私は男に興味はないけど、別に嫌いじゃないわよ。戸籍上の男性が嫌いなら、莉音ちゃんのことだって嫌いになっちゃうでしょう」

「藤堂さんは僕が戸籍上は男だって知ってるけど、そのことはスルーしてるのに幸ちゃんのことは避けてるよ。どの辺に境界線があるのか、よく分かんないけど」

「イベントの時は藤堂さんに気を使って別行動にしたけど、それで不都合があるなら対応を考えた方が良さそうね」

「じゃあ、問題ないなら幸ちゃんに、そう言ってみるよ。僕のコスプレを楽しみにしてるから、多分OKだと思う」

「それは、心強いわね」


 森本さんが腕を上げて僕の後頭部に掌を乗せると、そのまま下に押された。二人の顔が接近して、チュッと軽くキスをされる。


「今のは、何のご褒美?」

「目の前に可愛い顔があったから、ムラムラしただけよ。いけない子ね」

「僕って思わせぶりなことしてるのかな。ボッチだったから、他人との距離感がよく分からなくて」

「自分が可愛いって分かってるなら、別にいいんじゃない?莉音ちゃんと距離が近くて不快に思うのは、ゲイの人くらいだから」


 この学校にも少しくらいは居るんだろうなと思いつつ、僕は背筋を伸ばして森本さんから顔を離した。


「僕が森本さんとの卑猥な行為を想像しながら、一人エッチしてたら嫌じゃない?」

「私は莉音ちゃんとの卑猥な行為を想像しながら、一人エッチしてるわよ」


 僕のことをからかってるんだろうなと思いつつ、コスプレとは違う意味で恥ずかしくなった。そんな僕の表情を見て、森本さんはニコッと微笑んでいる。


「じゃあ、また明日」


 それだけ言うと、僕は向きを変えて扉の方へと進んで行く。森本さんを一人残したまま、部室を出て行った。


 * * *


 次の日の授業が終わると、ナレーション部の顧問である桜井先生に連れられて、僕と森本さん、そして葛城さんの三人は家政科の実習室へとやって来た。

 葛城さんが森本さんと会うのは、明治パークのイベント以来だ。コスプレしている時とは違って、お下げ髪に眼鏡というダサイ格好の、彼女のギャップに驚いていることだろう。

 桜井先生は実習室の鍵を開けると、その鍵を森本さんへ渡す。


「どうしてナレーション部がミシンを使うのか、言い訳するのに苦労したわよ。児童養護施設で絵本の読み聞かせをするのに、衣装を作るってことになってるから、実際にやってもらいますからね」

「それで、先生の評価も爆上がりですね」

「あら、理解が早くて助かるわ」

「怖いわ、この先生…」

「何か言った?」

「いえ、何でもありません」


 何だかんだ言っても、桜井先生は部活でコスプレをすることに口出ししないし、家政科の実習室まで使わせてくれる。良い先生だと思う。


「それじゃ、終わったら鍵を職員室まで返しに来てね。後片付けも、きちんとするように」


 それだけ言い残して、桜井先生は実習室には入らないまま引き返して行った。

 僕らは普通科なので、家政科の実習室に入るのは初めてだ。ミシンが何台も並んでいて、広い作業台もある。

 森本さんはコスプレ衣装を作るのに、必要な材料と道具をキャリーバッグに入れて、学校に持って来ていた。それを開けて中身を全部取り出し、作業台の上に並べる。

 森本さんの部屋でも作業を出来ないことはないのだが、家庭の事情があるし、ミシンや作業スペースは一人分しかないから二人でやるには効率が悪い。僕の知らない間に、森本さんが桜井先生に話しをつけていた。


「私も幸ちゃんって呼んでもいい?」

「はい、その方が嬉しいです」


 それだけでもう、葛城さんの表情がパッと明るくなった。イベントの時に別行動にしたことについては、葛城さんも察していたようだ。だから、少なくとも森本さんには避けられていないことが分かって、色々な不安が払拭されたのだろう。


「幸ちゃんは洋裁の経験あるの?」

「知識としてはあるんですけど、実技の方はあんまり」

「そう。じゃあ、カノンの衣装を型紙に合わせて切ってくれる?私はミルキーの衣装を作るから。分からないことがあったら、その都度聞いて」

「はい、分かりました」

「僕は何をすればいい?」


 僕は知識も経験もないから、手伝っても足を引っ張るだけだ。ここに居ても仕方がないのだが、自分だけ帰る訳には行かない。


「体に合わせながら作ると正確だから、居てくれるだけでいいわよ」

「へえ、そうなんだ」


 型紙はもう森本さんが作っているので、それを葛城さんが布地の上に乗せて、待ち針で止めてからハサミを入れて行く。衣装を作るのが楽しいのか、森本さんと一緒に作業をするのが楽しいのか、笑みが止まらない様子だ。

 居てくれるだけでいいと言われても特にすることがないので、僕は椅子に座って二人の作業を眺めていた。暫くは黙々と作業をしていたが、森本さんが思い出したように口を開いた。


「材料の買い出しに行った時に莉音ちゃんがメイクをしてたけど、あれは幸ちゃんがやったんだって?」

「あ、顔の面積が小さいから化粧品の消費が少なくて、練習台に丁度いいかなって」

「ナチュラルで、なかなか良かったわよ。カノンのメイクは逆に濃いけど、ああいうのも出来る?」

「パープルのシャドーとリップは持ってないから、すぐには出来ないですけど」

「それは私が持ってるから、当日にやってくれる?」

「当日って?」

「ストリートピアノの話しは聞いてない?」

「いえ、聞いてないですけど」


 ゲリラ的にやるのだから、秘密にしておくのは当然だ。と言うか、そんな恥ずかしいことをあまり人には知られたくなかった。

 特に葛城さんは、酒巻君を誘う口実にしてしまうかもしれない。イベントならまだしも、地下街の広場でコスプレしているのを見に来られるのは物凄く恥ずかしいことだ。


「コスプレして、ストリートピアノで渚ちゃんが演奏することになってね。ゲリラ的にやるから更衣室もメイクルームもなくて、何処で着替えるのかも、まだ決まってないの。当日までには下調べをしておくけど、私が渚ちゃんのメイクをするから、幸ちゃんが莉音ちゃんのメイクを担当してくれると助かるわね」

「え、私も一緒に行くってこと?」

「本当は秘密にしておきたかったけど、手伝ってくれる人が居ないと、ちょっと厳しいかなって思ってたのよ」


 僕はてっきり藤堂さんが手伝ってくれると思っていたので、森本さんが突然そんなことを言い出したのは意外だった。でも、よく考えてみれば藤堂さんが居たとしても、僕と奥村さんのメイクを森本さんが一人ですることになる。それよりは、他人のメイクが出来る葛城さんが居てくれた方が役に立つだろう。

 葛城さんは僕の方を見て、表情を伺っている。彼女に、やりたいという気持ちはあると思う。ただ、自己評価が低くて遠慮がちな人だから、自分なんかが行っても良いのかと言いたいのだろう。


「幸ちゃんも渚ちゃんの生演奏、聞きたいでしょ?」

「うん、聞きたい」

「じゃ、僕らと一緒にカメラも回してよ。一番いい場所で聞けるから」

「うん、ありがとう」


 何が、ありがとうなんだろう。葛城さんには何のメリットもない話しだから、お礼を言うのはこっちの方だ。

 葛城さんにとって、何が嬉しくて何が楽しいのか、僕には今一つ分かっていない。でも、黙々と衣装作りを続ける彼女の表情は、とても楽しそうだった。

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