第16話 女子高生の放課後

 寝起きが悪い僕が教室へ来るのは、いつも時間ギリギリだ。今日はまだマシな方で、自分の席に着くと、髪を後ろでまとめてポニーテールにしている余裕があった。

 あくびをしながら後頭部へ手を回しヘアゴムで縛っていると、前の席の相原さんが振り向いて声を掛けて来る。


「莉音も今日、一緒に買い物行く?」

「何買うの?」

夏恋かれんが勝負下着を買いたいから、付き合ってほしいってさ」

「何の勝負だよ」


 女の子は友達同士で、下着を買いに行ったりするものなのだろうか。当の廣田さんは席が少し離れているので、もう自分の席に着いている。


「本当は可愛い洋服も着てみたいけど、似合わないから我慢してるんだとさ。せめて下着くらいは、可愛いのを着たいってことよ」


 その気持ちは、分からないではない。以前、藤堂さんが言っていたように、着たい服と似合う服が同じだとは限らないだろう。どの辺で折り合いを付けるかという話しだ。

 僕も私服は、ちょっと高級感のある清楚で可愛らしい洋服を着ていることが多い。お母さん任せだったから、それが似合っているのか自分ではよく分からなかった。でも、最近では葛城さんがアドバイスをしてくれるお陰で、自分でもある程度は選べるようになっていた。

 下着と聞いて、ふとコスプレの採寸のことが頭に浮かんだ。まだ一部分しか測っていないから、また今度きちんと測ると森本さんには言われている。その時には、きっと下着姿で測ることになるのだろう。

 既に奥村さんは、藤堂さんに更衣室へ連れて行かれて、下着姿で採寸をされたらしい。衣装を作るのは森本さんなのに、あの二人の関係はどうなっているのだろうか。

 奥村さんはコスプレが出来ると喜んでいるから気付いていないようだが、藤堂さんが女性を好きな人だと教えておけば良かった。


「僕も勝負下着、買おうかな」


 相原さんは暫く黙ったまま、僕の顔を見詰めていた。そして、右手を伸ばして僕の頭をポンポンする。


「はいはい」


 それだけ言って、正面に向き直った。ロリコンに頭をポンポンされる気持ちって、何なんだろう。ちょっとした屈辱感だろうか。

 放課後にはナレーション部の部活動があるのだが、運動部と違って毎日出なければいけないということではない。ただ、部活動に昇格してからは、連絡事項を聞くために月曜日には顔を出す傾向がある。もう月曜日には顔を出しているので、今日は行かなくても大丈夫だろう。

 僕は鞄からスマホを取り出すと、部長である森本さんへ、今日は用事があるから出席できないとメールを送っていた。



 ということで、学校が終わってから下着を買いにデパートへとやって来た。長閑のどかな街だから専門の路面店などはなく、辛うじてデパートにテナントが入っている程度だ。

 値の張る買い物をする時は一応、お母さんに許可を得ているのだが、娘の成長を見たいから下着姿の写真を送れとメッセージが返って来た。いや、息子だろうと、ツッコミを入れる気にもならない。

 ブラとショーツは、それぞれ単独でも売っているが、勝負下着と言うとやはり上下がセットというイメージがある。僕と相原さんと廣田さんの三人は、ランジェリーハンガーに掛かった上下セットの下着を見ていた。


「美咲ちゃんは初ブラの時、どんな気持ちだった?」

「恥ずかしいっていうのもあったけど、それ以上に収まりが良くなったって感じかな。莉音は何年生の時に初ブラ?」

「中学生になってからだけど」

「不憫な奴じゃ」


 ああ、そう言えば相原さんには、僕が男の子として学校へ通っていたという話しはしていなかった。戸籍上は男だという話しはしてあるのだが、飽くまでも書類上の問題で、実質的には女の子だと思っているのだろう。彼女にとっては大した問題ではなさそうだから、別にいいかと思っていた。


「何故、私には聞かない?」


 初ブラのことを廣田さんには聞かないので、不満げな様子で彼女がそう言った。


「万年スポーツブラの少女に聞くことなんてない」

「じゃあ莉音は、どんなブラ着けてるの?」

「4分の3カップ、ノンワイヤー」

「よく見るけど、いいのそれ?」

「着け心地は楽なのに、ホールド感がたまらない」

「へえ、じゃ私も試着してみようかな」


 どの下着にするのか決まると、あとはサイズだ。廣田さんがブラのサイズを確認していると、平日で客があまり居ないせいか、若い女性の店員が近寄って来た。僕らの会話を聞いていたのだろう。笑顔と言うよりは、半笑いだ。


「良かったら、サイズを測りましょうか?きちんと合った物を選ばないと、形が悪くなりますからね」


 二つ返事で廣田さんは、店員と共にフィッティングルームへと入って行く。

 僕も初ブラの時は、着け方まで店員に教わったものだ。普通は小学生の時にやることなんだろうけど、それを中学生になってからやっていることが恥ずかしかった。

 自分のことを男だと思っていた僕が、女の子の下着を身に着けることが恥ずかしいのに、それをきちんと出来ないことも恥ずかしい。自然体で育った筈なのに、半陰陽は矛盾だらけだ。

 廣田さんがフィッティングルームでサイズを測っている間に、僕は真剣に下着を選んでいた。勝負下着と言うよりは、森本さんに見られても恥ずかしくないような下着が欲しかった。


「僕も測ってもらおうかな」


 相原さんに頭をポンポンされながら、それは似合うとか、これは似合わないとか、ロリコンの適当なアドバイスを聞かされていた。


 * * *


 水曜日にはナレーション部に顔を出して、木曜日にはまた欠席した。葛城さんがレンタルビデオ店へ『魔法少女が惨殺する』のDVDを借りに行くのに付き合うためだ。

 そんな理由で部活動を欠席したのには理由がある。酒巻君も同行して、そのまま彼の家までDVDプレイヤーを借りに行くことになっているからだ。

 まだ、コスプレ衣装の材料を買い出しにも行っていないし、どのイベントに参加するのかも聞いていない。なのに葛城さんが勇み足で、僕がまたコスプレをするからという話しをしてしまった。

 酒巻君としては、僕が男子と二人切りになるのを嫌がるから、葛城さんが一緒なら自宅に呼べると思ったのだろうか。断わる理由ならいくらでもあるのに、葛城さんにお願いされると、そんな気にはなれなかった。


「一之瀬さんがコスプレするのって、どのキャラクター?」


『魔法少女が惨殺する』のDVDのパッケージには、登場する魔法少女のイラストが各巻ごとに一人ずつ描かれている。第1巻はレニー、第2巻はカノン、第3巻はミルキーといった感じだ。奥村さんが持っているフィギュアも、このイラストを立体化した物だ。

 葛城さんが全巻のトールケースを抜き取って空になったパッケージの中から、僕は1巻と2巻を手に取って酒巻君に見せた。


「これは僕がやるカノンで、こっちは渚ちゃんがやるレニー」

「そう言えば、奥村さんも同じ部活だったね」


 奥村さんも葛城さんや酒巻君と同じクラスだから教えたのに、彼は2巻だけを手に取った。酒巻君はコスプレ自体に興味がある訳ではないから、仕方のないことか。


「へえ、白黒ドレスか。スゲー似合いそう」

「ゴスロリね」

「ああ、ゴスロリって、こういうのを言うんだ。知ってる、知ってる」

「まだ、やるって決まった訳じゃないんだけどね。多分、やるだろうけど」

「あんまり、乗り気じゃないみたいな言い方だね」

「コスプレ自体は、別に好きでやってる訳じゃないよ。ただ、人間関係を大切にしたいだけ」

「俺もコスプレは元ネタを知らないからイマイチだけど、ファッションショーみたいな感覚で見たら面白いよ。喜んでくれる人が居るなら、それでいいんじゃないかな」

「幸ちゃんも、そう?」

「勿論だよ。莉音がコスプレしてると、私も楽しいもん」


 まあ、そりゃそうだろうなと思いつつ、酒巻君が持っている方のパッケージも受け取り元の位置に戻した。そして、レジカウンターの方へ移動すると、葛城さんが会員証を出してDVDを全巻借りる。それをリュックに詰め込んで、レンタルビデオ店を後にした。



 酒巻君の自宅へは、駅前からバスで移動した。学校の近くにもバス停があるので普段はそこから乗っているそうだが、乗ってみて分かったことがある。僕や葛城さんを寮まで送り届けると、一つ手前のバス停の方が近くなる。わざわざ、遠くのバス停へ行ってまで送ってくれたということだろう。

 閑静な住宅街でバスを降りると、酒巻君の自宅までは数分の距離だ。玄関前で彼は、ドアノブに手を掛けたまま僕の方を見ている。


「良かったら、上がってく?家の人も居るし、葛城さんも一緒だから、二人切りってことはないし」


 自宅まで一緒に来た時点でそのつもりなのだが、僕が男子と二人切りになりたくないのを知っているから気を使っているのだろう。葛城さんも何かを期待するような目で、じっと僕の方を見ている。


「じゃ、遠慮なく」


 そうは言っても、内心は悪い意味でドキドキしていた。男子の自宅に上がらせてもらうのは、中学生の時にクラスメイトに肉体的な関係を強要されて以来のことだ。酒巻君が個人的にどうこうという話しではなく、こういうシチュエーションが苦手だということだ。

 酒巻君の言葉に偽りはなく、家の中に母親の姿があったことで少し安心した。夕食の準備をしているのか、対面式のキッチンに立っていた。


「お邪魔します」

「あら、いらっしゃい」


 簡単な挨拶をしただけで、ダイニングを横切ることもなく、階段を上がって酒巻くんの部屋へ入った。

 男子の部屋だから殺風景だろうと勝手に想像していたのに、意外に物が沢山置いてある。本棚に本はあまりなくて、殆どは映画のブルーレイディスクやDVDだ。

 小型のプロジェクターもあり、ロール式のスクリーンも設置されている。彼が映画好きだとは知らなかった。携帯可能なDVDプレイヤーを持っていたのも、出先で映画を見るためなんだろう。

 どんなジャンルの映画が好きなのか、興味津々で僕は本棚の前に立ち、映画のタイトルを眺めていた。聞いたこともないようなタイトルが結構あるので一概には言えないが、SF映画が多いような気がする。


「あ、これ知ってる。僕が産まれる前の映画だけど、超いいよね」


 ケースに指を掛けて前に傾け、顔の方を動かしてパッケージを見た。マペットを駆使した映画で、人間は一切出て来ない。舞台も地球ではなく、太陽が三つある世界だ。それらが一つに重なる『大合致』の時に、世界を司る水晶の壊れた破片を元に戻すというストーリーだ。

 酒巻君はファンタジーが得意じゃないと言っていたのに、ゴリゴリのファンタジー作品だ。結局、アニメが得意じゃないということか。


「当時としては、凄い技術だよね。俺はSFXが好きだけど、最近はCGばっかりだから」


 気が付くと、僕のすぐ後ろに酒巻君が立っていた。自分が言ったことを思い出して、少し慌てているのだろうか。僕の肩越しに映画のケースを手に取って、背中側から壁ドンをされているような気分だ。

 漫画ならドキッとするような場面かもしれないが、それは好意を持っている相手だからだろう。体格の違いがどうしても怖いという感情に繋がって、俯き加減に視線を逸した。


「あ、ごめん!」


 酒巻君の心臓の音が聞こえて来そうな勢いで、彼は赤面しながら距離を取った。

 僕はただ男友達が欲しいだけなのに、思わせぶりなことをしているのだろうか。こんなに分かりやすいリアクションをされると、罪悪感を感じでしまう。


「良かったらまた今度、上映会をしないか?スクリーンで見た方が絶対に面白いから」


 男友達の部屋で、映画の上映会。何て甘美な誘惑だろう。また一つ、夢が叶うかもしれない。でも、僕が思う友達と酒巻君が思う友達は、きっと違うんだろうなという気がする。

 葛城さんの方に目をやると、何かを期待するような目で、じっと僕のことを見詰めている。さすがに、ここで断わるという訳には行かなかった。


「じゃあ、またその内にね」

「ああ、そうだね」


 随分とお茶を濁してしまったけれど、僕が出来る精一杯の返答だった。葛城さんには、酒巻君が僕に告白したらゲームオーバーだとか言ったけど、実際にそんな状況になることはあまり想像していなかった。でも今、有り得ない話しではないと実感してしまった。

 葛城さんが以前にも借りたDVDプレイヤーを受け取ると、一度も座らないまま僕は帰ろうとする。しかし、そのタイミングで扉をノックする音がして、母親が紅茶とお菓子を持って来た。


「あら、もう帰るの?せめて、お茶くらい飲んで行けば?」

「あ…そうですね」


 流されやすい性格と言うか、意志が弱いなと自分で思いながら、僕がラグの上に座ると葛城さんも一緒に座る。酒巻君が母親から紅茶とお菓子が乗ったお盆を受け取ると、それをテーブルの上に置いて僕の向かい側へ座った。

 三人でお菓子を摘みながら、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。

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