第15話 コスプレ再び

 デリバリーを頼むにしても、人数が居れば単品ではなく、複数の注文をすることが出来る。お母さんは王道のピザに加えて、寿司や餃子、焼き鳥まで注文していた。

 お母さんは仕事で忙しい筈だが、仕事部屋の扉を閉め切っているので、きっと中では図面が散乱しているのだろう。僕が出て行った後に、大慌てで処理するのかもしれない。

 デリバリーが届く度に、お母さんが玄関まで受け取りに行ってダイニングへと運ぶ。そんなデリバリーの合間に、兄貴も我が家へやって来た。勝手知ったる他人の家でも、一応チャイムを鳴らしてから入って来る。

 松山さんが居ることに特に驚いた様子もなく、普通に挨拶を交わしていた。


「松山さんも大変だったな。莉音のわがままに付き合わされて」

「それは大丈夫。莉音ちゃんに嫌われてるんじゃないかと思って、心配してたから」


 ダイニングで僕の隣りにはお母さんが座るので、必然的に兄貴は松山さんの隣りだ。意図的にそうした訳ではないが、兄貴は腕を組みながらその席に着いた。

 兄貴は左手の握力が殆どないので、ナイフとフォークのような両手を使って食べる物は苦手だ。その辺はお母さんも心得ていて、片手で摘めるような物ばかりを注文している。


「兄貴の知らない間に松山さんとは、もう仲良くなってるからね」

「お前の考えてることなんて大体、分かってるんだよ。俺と松山さんをカップルにしたいんだろう?」


 そう言われて僕は、明後日の方向を見る。分かりやすいリアクションをしたのは、兄貴に悟られることも想定の範囲内だからだ。兄貴にはメールで今日の予定をしつこく聞いたから、松山さんが居る時点で察しがつくだろう。

 松山さんに恋バナがしたいと言ったのも本当の気持ちなのだが、僕自身のことを話すには、まだちょっと抵抗がある。僕のことを幼馴染みの女の子だと思っている限り、また嫉妬の対象になる可能性だって無いとは言い切れない。


「兄貴に聞いても分かんないことが、女子にはあるんだよ。松山さんが兄貴といい関係になってくれれば、僕が他の人には言えないことだって相談できそうな気がしたから」

「だったら、最初からそう言えばいいだろう。松山さんだって、莉音に悪いことしたって、ずっと気にしてたんだからな」

「そんな単純な話しじゃないよ。僕が恋愛の障害にはならないことを担保しておかないと、恋バナなんて出来ないでしょ」


 瞳をウルウルさせながら訴えると、兄貴は大きな溜め息をついた。女の子の格好をするようになってから身に着けたテクニックだが、なかなか兄貴には通用しない。

 僕が半陰陽で戸籍上は男だということを知っている人は何人か居るのに、それを知った後でも一様に態度は変わらない。兄貴は僕が男の子として生活していた頃を知っているから、ある意味、変わっていないと言えるだろう。


「今日中に莉音は、寮へ戻らないといけないからな。悪いけど松山さん、乗り替えの駅まででいいから、転んで怪我しないように付いて行ってくれないかな?」

「別に構わないけど、駅に着くまでに二、三回、抱き締めちゃうかも」

「思いっ切り抱き締めて、窒息させてやれ」


 最後のデリバリーが届くと、お母さんはプラスチックのトレイから陶器のお皿に乗せ替えて、テーブルの上に並べた。玄関とダイニングを行ったり来たりしていたが、話し声は全部聞こえていたのだろう。言いたいことは全部、兄貴が言ってくれたので特に言うことはないらしい。


「遠慮しないで食べてね」


 ちょっとしたパーティーのような雰囲気で、昼食が始まった。やはり松山さんは遠慮がちだが、兄貴が平然と食事を手に取るので、そんな緊張感もすぐに解れて行った。お母さんにとっては、久々に楽しい食事会だっただろう。



 日帰りの強行スケジュールだったので、帰りの電車は通勤ラッシュの時間と重なってしまった。兄貴に言われた通り、乗り換えの駅までは松山さんが送ってくれるそうだ。兄貴は僕が転んで怪我をしないようにと言っていたが、いつになったら子供扱いされなくなるのだろうか。

 電車のドア付近で松山さんは吊り革に掴まり、僕は支柱に掴まっていた。スペースに余裕はなく、僕のリュックが他の乗客の邪魔にならないよう体の前で担いでいた。


「莉音ちゃんがやろうとしたことは、間違ってないと思うのよ。でも、ちょっと急ぎ過ぎかな。この次は、新谷君と二人切りになれる機会を作ってくれると嬉しいんだけど」


 正攻法で攻略した方が良いということだろう。ただ、僕にはその話しに具体的な案を出す余裕がなかった。俯いたまま、松山さんの腕をギュッと握った。


「どうかしたの?」

「お尻、触られてる…」


 慌てた様子で、松山さんは僕の背面を覗き込んだ。僕からは見えていないが、多分、手の甲を押し当てているのだろう。それなら後で、不可抗力だったと言い訳が出来る。

 しかし、電車の揺れに合わせて上下に動いているし、時折スカートの上からお尻の割れ目に指先を押し込んで来る。明らかに、意図的にやっていることだ。


「この人、痴漢です!」


 そう叫んで松山さんが手首を掴んだ男性は、意外に若いサラリーマンだった。


「て、手が当たっただけで、わざとじゃないから…」

「この子がこんなに嫌がってるのに、そんなことが言えるんだ。次の駅で駅員に引き渡すから」


 周囲の視線に晒されて、次の駅に到着するまで痴漢にとっては地獄だっただろう。しかし、電車のドアが開くと痴漢は松山さんの手を振り払って、ホームへ駆け出した。


「あっ、こら!」


 怒りが収まらずに電車を降りようとする松山さんを、僕が手で静止した。とにかく早く寮へ帰りたかったし、痴漢行為を立証するためには被害者の証言が必要だ。そんなことに関わると、身分証明やら何やらで僕が戸籍上は男だという話しになり兼ねない。


「いいよ、もう時間がないから」

「莉音ちゃんが、そう言うなら…」


 ドアが閉まり電車が発進すると、暫く沈黙が続いていた。松山さんは僕を助けてくれたのだから、ちゃんとお礼を言わなければいけない。そう思いつつ、なかなか目を合わせられなかった。


「なんで、こうなっちゃうのかな。僕はただ普通に生活したいから、こんな格好してるのに」


 松山さんは僕が中学生になるまで男の子の格好をしていたことを知らないから、意味が分からなかっただろう。単純に僕が目立つ格好をしているから、痴漢に狙われたと言っているように聞こえたらしい。


「可愛い子が可愛い格好して、何が悪いのよ。悪いのは痴漢の方なんだから、莉音ちゃんが落ち込むことないでしょう」

「うん…ありがとう」


 ちゃんと松山さんの目を見て、お礼を言わなければいけない。そう思っていても、込み上げて来る物が多過ぎて顔を上げられなかった。ずっと俯いたままの僕を見て、彼女は何かを察したようだ。


「窒息するほど、抱き締めたい」


 僕はリュックを前に担いでいるので、それは無理な話しだ。でも、まあ、気の早い話しかもしれないが、将来的に兄貴と松山さんが結婚しても、彼女とは上手くやって行けそうな気がしていた。


 乗り替えの駅で電車を降りると、地下街を通って別の鉄道会社の駅へと向かう。その途中で、お土産を買うことも忘れてはいない。寮の部屋で葛城さんと甘い物を摘むのも、ちょっとした楽しみだ。

 改札口の前までは、松山さんも一緒に来てくれた。彼女の薦めで座席指定にしたのは、痴漢に触られないためだ。


「それじゃ、莉音ちゃん。またね」

「うん、ありがとう」


 僕のことを抱き締めたいのか、松山さんの両手がウズウズしているのが分かる。もうリュックは背中側に担いでいるし、せっかくだから彼女の目の前に立って、この身を任せてみる。


「どうぞ」

「かわよっ!」


 女子大生に思いっ切り抱き締められて、何だか得したような気分になる。体に触られるのが嫌だったこともすっかり忘れて、森本さんとはまた違う感触を味わっていた。


 * * *


 月曜日の授業が終わり、放課後にナレーション部の部室へ行くと、森本さんと奥村さんが机を挟んで向かい合って座っていた。

 机の上には以前、僕が奥村さんに見せてもらった写真に写っていた『魔法少女が惨殺する』に登場する、レニーとカノンのフィギュアの実物が置いてある。森本さんはカノンのフィギュアを手に取り、背中の方から眺めていた。


「アニメだと背中側がどうなってるのか分かりづらいから、衣装を作るのにホント助かるわ」

「私が持ってるフィギュアなら、いつでも見せてあげるから言ってね」

「それじゃ『灰色の装甲兵』のイリアは持ってる?」

「パイロットスーツと装甲兵の両方、持ってるよ」

「じゃあ『人外戦線』の烈花は?」

「茜とセットで持ってる」

「逸材だわ♡」


 今、森本さんが言ったキャラクターは皆、小柄で年端の行かない少女ばかりだ。嫌な予感がして、このまま部室を出て行こうかとも思ったが、いつの間にか藤堂さんが後ろに立っていて、メジャーで僕の肩幅を測っている。


「何やってるの?」

「思ったより、ちっちゃいわね。生地が少なくて済むからいいか」

「コスプレやるなんて言ってないでしょ。いつまでも流されてる僕じゃないからね」


 そこへ森本さんが口を挟んで来る。


「今回は時間的に余裕があるから、私が最初から作るわよ。それに、渚ちゃんもコスプレしたいって言うから、レニーは譲ることにしたの。私がレニーじゃ、莉音ちゃんと身長が釣り合わないでしょう」

「それじゃ、森本さんはどうするの?」

「私はミルキーをやるわ」


 ミルキーは、最初にカノンを殺しにやって来る魔法少女だ。カノンを守ろうとするレニーと、深夜の市街地で死闘を繰り広げる。作品中でも屈指の決闘シーンだ。

 魔法少女は複数存在していて、年齢性別に関係なく変身すると均一に幼い少女の姿になる。因みにレニーが変身する前は男子高校生、カノンが変身する前は女子高生で、二人はクラスメイトだ。

 衣装に一貫性はなく、古典的な魔女だったりヘビメタだったりといった感じだ。とにかく衣装がバラエティーに富んでいて、コスプレ向きの作品だと言えるだろう。

 僕がカノンのコスプレをするということは、ゴスロリの衣装を着ることになる。普通の女子でも抵抗がある人は多いと思うのだが、あんな凝った衣装を手作りするなんて、それだけでもう興味深い。完成品を見てみたいという気持ちがある一方で、それを自分が着ることはあまり想像したくなかった。


「ナレーション部の活動は大丈夫なの?」

「ボランティア活動があるけど、期限は決まってないから片手間でいいわよ」

「ボランティア活動って?」

「目が不自由な人のために、小説を朗読してオーディオブックを作るのよ。桜井先生が、これでナレーション部の評価も爆上がりだとか言ってたわよ。あの先生も強かよね」

「初めから、利害が一致したとか言ってるからね。中間管理職タイプだよね」


 そんな話しをしている間に、藤堂さんは僕の袖丈や首回り等を測っては、自分のスマホにメモしている。制服を着たまま測っても、割と誤差の少ない場所ばかりだ。本格的に測ろうと思ったら、下着になるのが原則だ。


「なんで、藤堂さんが採寸してるの?衣装は森本さんが作るんでしょ」

「莉音ちゃんは、体に触られるの嫌がるでしょう。何となく触っても大丈夫なタイミングがあるみたいだから、私に任せてって」


 確かに体に触られることには拒否反応があったのだが、最近ではそれをあまり意識しなくなった。森本さんや松山さんに抱き締められている内に、それが心地良いとさえ思えるようになっていた。

 だからと言って、藤堂さんなら触っても良いということではない。冷静さを保っているようには見えても、何となく鼻息が荒い感じがするので、ジワジワと離れて行った。


「あぁ、もうちょっとだったのに…」

「あとは私がやっておくから、そこまでのデータを頂戴」


 そう言って森本さんは、片手を差し出していた。



 寮の部屋に戻って早速、葛城さんにコスプレの話しをする。ここ数日はあまり明るい話題のなかった彼女が、いつになく楽しそうだ。


「また、コスプレやるの?何てアニメ?」

「魔法少女が惨殺する」

「凄いタイトルだね。DVDは出てるの?」

「去年の冬アニメだから、もう円盤は出てると思うけど」

「また、酒巻君にDVDプレイヤー、借りなきゃ」


 なるほど。前回のコスプレの時も、DVDプレイヤーを借りたりイベントに出掛けたりで、酒巻君と接する機会が多かった。

 またアニメを一話から見直すことになるから、暫くは眠れない夜が続きそうだ。

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