第14話 分からないことは聞いてみる
公立高校では土曜日は休みの所が多いようだが、うちの学校は私立なので半日授業になっている。
午前中の授業を終えると、午後からナレーション部の六人全員で系列の幼稚園へと出掛けることになった。移動は顧問の桜井先生が運転するワゴン車で、部活動で遠征する時などに使われる車だ。こういう学校所有の車を使えるのも、部活動に昇格したメリットだと言える。
幼稚園の方は基本的に土曜日は休みなのだが、イベントなどは父兄も参加できるように土日に行われることが多いそうだ。ナレーション部の紙芝居も、そうしたイベントの中に組み込まれていた。
「さあ、みんな。紙芝居を始めるよ。お姉さん達の手作りだから、細かい所も見逃さないでね」
「はーい」
一番張り切っているのは奥村さんで、幼稚園児を仕切っている。子供好きだけあって、コミュニケーションも上手だ。
午前中にお遊戯でもやっていたのか、机や椅子は片付けられていて、広いスペースが確保されている。子供達は紙芝居の前に集まり、床に体育座りをしていた。
ちょっと恥ずかしいのは、後ろで父兄が見ていることだ。この状況で、性同一性障害を題材にした紙芝居をやっても大丈夫なのだろうか。
「ねえ、ママ。どうして僕には、おちんちんがないの?」
「それはね、あなたが女の子だからよ」
そんな会話から物語は始まる。主人公の女の子は、神様が間違えて男の子の心を渡してしまい、自分の性別に違和感を感じるようになる。単刀直入で単純明快なストーリーだ。
初めは変わった女の子として周囲から異質な目で見られていた主人公も、やがて女の子の心を持った男の子と出逢い、自分だけが特別ではないことを知る。
二人は協力して、周囲の人達に理解してもらえるよう努力する。そうして差別や偏見から解放された二人は、心の性別で生きて行くことを決意する。
ナレーション部の中では僕の声が一番子供っぽいということで、主人公の声を任されてしまった。声優同好会だった時にもコスプレしかやっていないので、もう冷や汗ものだ。
「さあ、みんな。どうだったかな?」
奥村さんが子供達に意見を求めると、何人かは手を上げてアピールする。
「はい、じゃあ、そこの君」
「みんなと違うからって、虐めたり仲間外れにするのは良くないと思う」
「そうだよね。ここに居るみんなは、そんなことしないよね」
「はーい」
ここはもう、奥村さんの独壇場だ。子供達とのディスカッションは彼女に任せて、他の部員は後片付けをする。
ここに居る子供達が、いずれ小学生や中学生になったら、クラスに一人くらいは性的マイノリティーが居るかもしれない。そんな時に、僕が受けたような疎外感だったりセクハラだったりを、良くないことだと是正してくれる人に育ってくれるのを期待したい。少しでも理解をしてくれる人が増えるのは、僕にとっても嬉しいことだ。
後ろから僕の頭をポンポンする人が居たので、藤堂さんかと思って振り返ると、そこに居たのは森本さんだった。彼女は僕に顔を寄せて来て、耳元でただ一言
「良かったわよ」
そう、囁いた。美少女に耳元で囁かれると、何だか背中がゾクゾクっとする。
頃合いを見計らって奥村さんがまとめに入ると、部員が全員並んで挨拶をする。
「それじゃあ、みんな。今日見たお話しは忘れないでね」
「はーい」
後ろの方で見ていた父兄が拍手をしてくれた。それほど人数は多くないので、パチパチとまばらな音だが、こういう状況に慣れていない僕は、背中にじんわりと汗を掻いていた。
学校から幼稚園へ向かう時は、桜井先生とディスカッションの打ち合わせをするために、助手席には奥村さんが座っていた。でも、教師の横に座っているのは緊張感があって疲れたらしく、帰りは僕が座ることになった。
とは言っても、僕のすぐ後ろに奥村さんは座っていて、まだ興奮冷めやらぬ様子で僕に話し掛けて来る。
「ねえ、莉音ちゃん。あのセリフ、もう一回聞きたいんだけど」
「仕方ないな。一回だけだぞ」
奥村さんは前屈みになり、僕に顔を寄せて来る。そんな彼女の耳元で、あのセリフを囁いた。
「ねえ、ママ。どうして僕には、おちんちんがないの?」
「きゃわいいっっ!」
森本さんに耳元で囁かれるとゾクゾクするのに、僕が囁くのと何が違うのだろうか。歓喜する奥村さんを尻目に、僕はどっと疲れが出てウインドーにもたれ掛かった。
台本を書いた森本さんは性同一性障害ではないから正直言って、これが正しいのかどうかよく分からない。ただの物語だから、そこまで真剣に受け止めなくても良いのかもしれない。なのに、身を削っているような気がしてしまうのは何故だろう。
「何で、こんなことになったんだろう…保健室で寝てるような奴だったのに…」
丁度、信号で車が停止していたので、桜井先生はそんな僕の様子を見ていた。
「あら、父兄には評判が良かったわよ。また、お願いしますって」
「それは、先生が決めることだから」
「流れに身を任せてばかりいると、滝壺に落っこちるわよ」
「その例え、よく分からないです」
「保健室で寝てる暇があったら、周りをもっとよく見てご覧なさい。何かが変わるかもしれないから」
「そうですかね…」
信号が青に変わったので、その話しは終わった。先生の言いたいことが今一つ分からなかったが、環境が変われば自分も変われるということなんだろうか。そういう場所に今、僕は居るのかもしれない。
寮の部屋へ戻ったのは、葛城さんよりも僕の方が先だった。葛城さんはホルモン療法のために、定期的にクリニックへ通っている。具体的なスケジュールまでは把握していないが多分、今日がその日なんだろう。
まだ明るい内から二段ベッドの下の段で寝そべっていると、物音がして部屋に人が入って来る気配がした。そして、腰を屈めてベッドを覗き込む葛城さんの顔が僕の視界に入った。
「ねえ、莉音。明日、空いてる?」
「あ、ごめん。月に一回は家に帰るって、お母さんと約束してるからね。今月は連休がないから無理だって言ったんだけど、隣県なんだから日帰りで大丈夫だろうって言われちゃったよ。ちゃちゃっと行って来るから」
「あ、そうなんだ。お土産、期待してるね」
葛城さんは適当なことを言って誤魔化したが、また酒巻君に誘われたのだろうか。
「酒巻君に誘われたの?スイーツ関連なら、日を改めて行くけど」
「そうじゃなくて、私の方から莉音の空いてる日を聞いといてあげるって言っちゃったの」
「え、なんで?」
「この間、奥村さんが教室で新谷さんの話しをしてたでしょう。あれで、ちょっと焦ってるみたい」
「兄貴とは、そういう関係じゃないんだけどな」
「でも、話しを聞いただけじゃ、そんなこと分かんないでしょう」
「あのね、幸ちゃん。自分で言いたくないんだけどさ。酒巻君が僕に告白したら、もう誘われても断るしかないからね」
「それは分かってるけど、最近、莉音は部活動で忙しいみたいだし、莉音が居ないと酒巻君は誘ってくれないし」
「男に好意を持たれても、別に嬉しくないんだけどな。はっきり、そう言った方がいいのかな」
「ダメダメ!酒巻君は、莉音のことを女の子だと思ってるから」
森本さんや藤堂さんだって、女子なのに男子には興味がない。そっちの方向で話しを進めようかとも思ったが、それはそれで弊害がありそうだ。
恋愛経験はおろか友達すらまともに居なかった僕には、なかなか難しい問題だ。ましてやトランスジェンダーの悩みなど、僕に解決できる筈もない。
「暫く考えさせてくれる?取り敢えず、明日は無理だから」
「あ、全然、気にしなくていいから。莉音は、やりたいことをやって」
自分で気持ちが表情に出ていると思ったのか、葛城さんは立ち上がって僕の視界から外れた。やっぱり、僕に見られたくないような表情をしていたのだろうか。
* * *
自宅へ帰る前に僕は、乗り継ぎの駅で一旦、改札を通って外に出た。商業ビルの前に設置されている、巨大なマネキン人形の足元で待ち合わせをしていた。
相手は兄貴の大学へ行った時に僕に嫉妬していた松山さんで、あれから時々メールが来るようになった。あの時の僕に対する態度を、とにかく謝りたいらしい。
一度会っただけの女子大生と待ち合わせ場所で会える自信がなかったので、松山さんが選んだという銀のヘアピンを目印に4本付けて、勝手に見付けてくれるのを待っていた。
「莉音ちゃん、久し振り」
小走りで軽く手を振りながら現れた松山さんに、そんな調子で声を掛けられた。とにかく、あまり時間に余裕がないので、そのまま大通り沿いにあるカフェへと入った。僕の分のミルクティーは、松山さんが奢ってくれるそうだ。
「莉音ちゃん、この間は本当にゴメンね」
「別に怒ってないよ。ただ、松山さんと恋バナがしたくてさ」
「えっ、莉音ちゃん、好きな男の子が居るの?」
「僕じゃなくて、友達がね。ほら、この前、一緒に居たでしょ」
「ああ、トランスジェンダーの」
葛城さんがトランスジェンダーだという話しをしたかなと、あの時のことを思い出してみる。いや、していない筈だ。普通に座っていたら女性に見えると思うのだが、分かっていてスルーしたということか。
「やっぱり、トランスジェンダーだって分かっちゃうんだ」
「逆に、気付いてないって思う方が不思議なんだけど。頭蓋骨の形状からして、全然違うし…あ、ごめん、友達なんだよね」
世の女性は男の娘やトランスジェンダーに気付いていても、スルーしているということか。どう頑張っても女の子にしか見えない僕は、よほど特殊なんだろう。
「内面的には女の子なんだよね。恋愛感情は普通の女子高生と同じだと思うけど」
「私も経験豊富な方じゃないけど、何でも聞いていいわよ」
「手っ取り早く、お手本見せてよ。どんなシチュエーションがいい?」
「えっ、何の話し?」
「兄貴に告白したいんでしょ?今日の予定は把握してるから、いつでも呼び出せるよ。凝った演出は出来ないけど、協力はさせてもらうから」
松山さんはストローで飲んでいたアイスコーヒーを逆流させたのか、グラスの中にブクブクと泡が出ている。
「じ、自由過ぎる…」
「何なら、このまま家に来てもらっても構わないけど。お母さんには、友達だって紹介するから」
「あ、そうか。新谷君とは、ご近所なんだよね」
「ご近所も何も、隣同士だから」
「そうだよね。莉音ちゃんのお父さんには、お世話になってるって言ってたから」
「じゃ、そうしようか」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。まだ、心の準備が出来てないんだけど」
「あんまり時間がないんだよね。嫌なら断ってもいいよ」
「莉音ちゃんと仲良くなれるチャンスを、見す見す逃したくないし…」
「どうするの?お母さん、待ってるし」
お父さんにお世話になっているという話しは、兄貴から直接聞いたのだろうか。僕との関係を説明するのに、その話しをするということは、兄貴の方にも誤解されたくないという気持ちがあるからだろう。
松山さんは決心がついたのかどうか分からないが、取り敢えず大きく深呼吸してから席を立った。
松山さんと一緒に電車に乗って、自宅へと向かった。道中で彼女は僕の荷物を持ってくれたり、空いた席に座らせてくれたりする。案外、優しいお姉さんだ。
最寄りの駅までは、お母さんが車で迎えに来てくれた。葛城さんを連れて来た時は前もって連絡してあったが、今回はいきなりだ。それでも、お母さんは僕が友達を連れて来たことが嬉しいらしい。笑顔が顔に溢れている。
「この前、兄貴の大学へ行った時に仲良くなった松山さん。えーと、下の名前は何だっけ?」
「はじめまして。
後部座席に乗り込んだ松山さんが、きちんと挨拶をする。お母さんはサイドブレーキを引いて車を停止させたまま、しっかりと振り返って彼女の顔を見ている。
「拓馬君とも、お友達ってことね。せっかくだから彼も呼んで、四人でお昼を食べましょうか。莉音と二人だけでデリバリーを頼むのも、どうかと思ってたのよ」
お母さんとは何の打ち合わせもしていないのに、ナイスフォローだ。
母親と二人暮らしの兄貴を食事に誘うことは、そう珍しいことではない。ただ、大人になるにつれて、そういった機会も次第に減って行く。お母さんとしては、淋しさを感じる部分でもあったのだろう。
兄貴を呼び出す口実が出来て、お母さんも喜んでいるようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます