第10話 女子大生がちょっと怖かった話

 葛城さんは午後には自分の家へ帰省する予定なので、朝から兄貴の車に荷物を積み込んで、用事が済んだらそのまま駅まで送り届ける予定だ。

 兄貴が通う大学はオープンキャンパスを随時受け付けているので、連休中に見学するつもりで申し込む予定だった。でも、そのことを兄貴にメールで送ったら、自分が案内すると言ってくれた。兄貴が大学の事務局に話しを通してくれたので、勝手に見て回っても問題はないそうだ。

 初めから葛城さんも連れて行くつもりだったのだが、それを説明したのは兄貴が運転する車の中だった。


「お前は、いつも事後承諾だな」


 葛城さんと前後の座席で話しをしていた僕に対して、兄貴が少し呆れた口調でそう言った。


「莉音なら、系列の大学に推薦で入れるんじゃないの?」

「建築関連の学科がないからね。正直言って、設計よりもインテリアデザインの方に興味があるから、お父さんの事務所は兄貴に継いでもらいたいんだけど」

「新谷さんも、建築の勉強してるんですか?」

「うちは母子家庭だから、莉音のお父さんには色々、お世話になってるんだ。大学へ進学する前から資金面で援助してもらってるから、もう迷わず建築学科を選んだよ。その時に、何て言われたか莉音は知ってるか?」

「大学を卒業したら、うちの事務所で働いて返せって」

「左手に障害があるから、働かせてもらえるってだけで本当に有り難いと思ってるよ」

「莉音とは本当に、兄弟みたいな関係なんですね」


 そこだけ聞くと、心温まる話しに聞こえるかもしれない。ただ、お父さんとしては僕が跡を継がないことを予想していて、兄貴に後を任せたいという打算的な考えが無きにしもあらずだ。まあ、兄貴のことを信頼しているのだから、反論するほどのことでもないだろう。


 大学の駐車場に車を停めると、そこから歩いてキャンパスへと向かった。

 兄貴が前を歩いて、その後ろに僕と葛城さんが付いて行く。大学のキャンパスへ入り、まずは事務所へ行って入学案内を貰った。葛城さんも、いきなり連れて来られたのに、しっかりと受け取っている。高校へ入学したばかりで少し気が早いとは思うけど、地元へ頻繁に帰る訳ではないから、今から準備しておくのも悪くはないだろう。

 連休中なので、学生の姿はまばらだ。それでも休日に大学へ来ている学生は、サークル活動とかだろうか。


「幸ちゃんは将来、何したいの?」

「私はアパレル系かな。服飾デザインとかやってみたいけど」


 長い廊下を歩きながら、まずは建築学部へ向かっていた。


「服飾デザインの勉強って、どこの学部?」

「生活科学だな。服飾学科もあった筈だけど」

「じゃあ、後で行ってみよう」


 大学は高校に比べると、敷地も広いし建物も広い。もう既に、僕は自力では元の駐車場まで戻れない状況になっていた。だから、頼りないと言われるのだ。


 兄貴の案内で教室を見て回って、その後に葛城さんのために服飾学科も見に行った。

 相談もなしに連れて来てしまったから、葛城さんが退屈していないか心配だった。本人は漠然と服飾デザインに興味を持っている程度のことだったようだが、実際に大学を見学して興味が増している。この大学を目指すかどうかは別にして、取り敢えずは参考にはなっただろう。


 午後には葛城さんを駅まで送り届けなければいけないので、昼食は学食で取ることにした。高校の学食と違って、テナントで飲食店が数店舗入っている。連休中なので殆どの店舗が閉まっていて、唯一空いていたハンバーガーをフードコートで食べていた。細長いテーブルに僕と葛城さんが並んで座り、その反対側に兄貴が座っている。


「大学も幸ちゃんと同じだったら嬉しいけど、系列の方がいいのかな」

「まだ、はっきりとは決めてないけど、系列の方がジェンダーレスだしね」


 そんな話しをしていると、一人の女子大生が近寄って来て兄貴に声を掛けた。


「新谷君、こんにちは」

「あれ、松山さん。なんで居るの?」

「妹を案内するって言ってたでしょう。近くまで来たから、寄ってみたの。ふふっ、ちっちゃくて可愛いわね」

「妹じゃなくて、妹みたいなもんだけどな」

「それは聞いた。私が選んであげた銀のヘアピンを付けてるから、すぐに分かったわよ」


 葛城さんも居るのに、迷わず僕の方を妹だと認識した理由が分かった。葛城さんもホルモン療法の成果で外見的には女性らしくなっているのだが、初めからスルーされている。


「なんだ、兄貴のセンスじゃないのか」

「俺にセンスを求めるな」


 女子大生は僕とは反対側の兄貴の隣りに座ると、テーブルに両肘をついて指を交差させ、その上に顎を乗せている。


「私にプレゼントしてくれると思って、期待してたのに」


 そう言いながら、僕の方を見ている。どうやら、ライバル視されているらしい。近くまで来たからという話しも口実で、わざわざ僕に会いに来たんだと思う。

 ライバル視なんかしなくても、兄貴に恋愛感情なんか持っていない。でも、それを説明するには、戸籍上は男だという話しをしなくてはならない。兄貴はそんなことを言わないし、僕も初対面の相手には言いたくない。


「同じクラスの松山さんだよ。こっちは幼馴染みの莉音と、その友達の葛城さん」

「こんな可愛い幼馴染みが居たんじゃ、クラスメイトとの付き合いも悪くなるわよね」

「今日、何か用事があったの?」

「気にするな」


 それを聞いた松山さんが、少しムッとした表情をする。多分、彼女が兄貴を誘ったのに、先約があるからと言って断られたのだろう。それなら、僕が来ることを知っていたのも納得できる。


「こいつ、温室育ちで一人じゃ何も出来ないからな」

「大学を見に来るくらいだから、高校生なんでしょう?いつまでも、お兄ちゃんを頼ってないで自立した方がいいんじゃない?」


 うっすらと笑みを浮かべながら、松山さんがじっと僕を見ている。でも、その目は笑っていない。兄貴とはクラスメイトだと言っているくらいだから恋人ではないと思うのだが、鋭い視線が何だかちょっと怖い。


「自立したいから見学してるのに」

「そうよね、何でも自分で出来るようにならないとね」


 何となく中三の時の担任を思い出してしまい、僕は何も言えなくなる。先生には特別に悪い感情は持っていなくても、当時のことがトラウマなのだろうか。


「莉音は早生まれだから、15歳になったばかりなんだよ。何、本気で説教してるんだ」

「え、そうなの?受験生にしては幼いと思ったけど」

「学校から泣きながら帰って来るような奴だったのに、あの頃に比べたら進歩してる方だよ」


 確かにそんなこともあったが、いつも泣いていた訳ではない。先に言った年齢のことと合わせて、未だに僕を子供だと思っている。そんなネタ振りがあったから、込み上げてくるものを我慢しているのが分かったのだろうか。松山さんは少し慌てた様子で


「ああっ、ごめんね。あんまり可愛いから、嫉妬しちゃったの」


 そう言った。


「僕に嫉妬する理由があるの?」

「自分のこと、僕って言うんだ。可愛いね」

「どうして僕に嫉妬するのか、聞いたんだけど」

「そ、それは…」

「莉音、悪趣味だぞ」


 兄貴も分かっていて、言わせないようにしたんだと思う。今、ここで本音を言われても返事に困るということか。


「ちょっと、言い返したかっただけだよ。ここで号泣するよりはマシでしょ」

「もう、気が済んだだろう」


 兄貴はハンカチを差し出したが、まだ泣いていないし、それくらいは自分で持っている。僕が掌で必要ないと合図すると、兄貴はハンカチを仕舞って席を立とうとする。


「じゃあ、そろそろ行くか」

「あ、もし良かったら、ラインを交換しない?」


 三人分のトレイを重ねている僕に、松山さんが笑顔を向けながらそう言った。僕がライバルではないことが分かったから、仲良くした方が良いと思ったのだろうか。


「ラインは、やってないから」

「それじゃ、メルアド教えてくれない?」

「別に構わないけど、兄貴に聞いといて」

「うん、ありがとう」


 トレイを所定の位置へ置くのは、葛城さんがやってくれた。その間に僕と兄貴は、出入り口へと向かっている。松山さんは席を立たずに、ニコニコと笑顔で軽く手を振っていた。



 葛城さんを駅で見送りたかったので、兄貴には駅裏のコインパーキングに車を停めてもらった。僕はすぐに戻って来るつもりなので、兄貴にはここで待っていてもらう。


「莉音は今度、いつ帰って来るんだ?」

「最低でも月一回は帰って来るよ。高校へ進学する時の、お母さんとの約束だから」

「六月は祝日がないから、葛城さんが一緒に来るのは無理かな」

「あ、機会があれば、また来ますから」

「莉音のこと頼むよ。俺の目が届かなくなって心配してたんだが、いい友達が出来て良かった」

「はい、任せてください」


 車に兄貴を残して、僕と葛城さんは駅へと向かった。コインパーキングからは駅舎が見える距離なので数分で到着すると、連絡通路を通って改札口の前までやって来た。連休中で人が多く、あまり立ち話が出来るような状況でもない。


「莉音が新谷さんに会わせてくれたの、嬉しかったよ。大切な人なんだよね」

「そうだけど、変な意味じゃないからね」

「分かってる。それじゃ、ここで」


 軽く手を振り、改札口を通ってホームへ向かう葛城さんを見送ってから、僕はコインパーキングへと引き返して行った。


 * * *


 連休を一日残して、僕は寮へ戻って来た。帰省する時は葛城さんと一緒だったのに、寮へ戻る時は一人きりだ。それをお母さんは、落ち着かない様子で心配していた。

 県を跨いでの移動だから、電車の乗り替えで迷って、寮まで辿り着けないんじゃないかという心配をしているのかと思った。でも、お母さんとしては一人で大きな荷物を背負っていると、家出少女と間違われて保護されるのではないかという心配らしい。どれだけ、子供扱いされているんだろうか。

 無事に寮へ辿り着くと、戻ったことの報告も兼ねて寮長に挨拶をする。いつもなら声だけ掛けて通り過ぎて行くのだが、聞きたいことがあったので事務所の中まで入って行った。


「寮長先生、藤堂さん戻ってますか?」

「藤堂さんなら、ずっと寮に居たわよ」

「やっぱり」

「あら、それで一日早く戻って来たのね」

「あ、お土産買って来たんで食べてください」


 僕は荷物を床に置いて、地元で買って来たお土産の箱を取り出した。観光地ではないから、和菓子屋が作っている普通の最中もなかだ。


「ありがとう、遠慮なく頂くわ」


 再び荷物を抱えて事務所を出て行くと、二階へと上がって行く。部屋の鍵を開けて荷物を置き、もう一つ買ってあった最中を取り出した。それを持って、すぐに部屋を出て行く。

 藤堂さんの部屋まで行くと、扉をノックした。休日で反応が鈍いのか、暫く待ってから藤堂さんが扉を開けた。


「あれ、莉音ちゃん。今、帰ったの?可愛い格好してるわね」


 お母さんの口車に乗せられて、リボンとフリルが付いたフェミニンな服装で電車に乗ってしまった。これなら、家出少女には見えないだろうということだ。葛城さんのアドバイス通りにロングスカートを買いに行っただけなのに、お母さんは僕の服を選ぶのが楽しいらしい。


「お土産買って来たから、良かったら食べて」

「中に入って、一緒に食べようよ」


 そう言われると思ったので、遠慮なく僕は部屋の中へ入る。同室の新居さんはまだ戻っていないようで、僕と藤堂さんの二人きりになった。

 以前と同じように常温のロイヤルミルクティーを渡され、床に座って最中の箱を開けた。


「莉音ちゃんは、甘い物好きだよね。女の子は大概そうたけど」


 あんこの中に餅が入った最中を食べながら、藤堂さんがそう言った。カミングアウトしても、誰も僕のことを男だとは思わないようだ。


「一人娘が親元離れて、両親は心配してたでしょう。もっと、ゆっくりして来れば良かったのに」

「藤堂さんが、一人で退屈してるんじゃないかと思ってね」

「ふーん、嫌なことがあった訳じゃないんだ」

「別に嫌なことはないけど、藤堂さんはどうやってトラウマを解消してるのかなと思って」

「解消なんかしてないわよ。今でも、トラウマあるもん」

「そっか…そうだよね…」


 藤堂さんが立ち上がってゴソゴソやっているので、どうしたのかと思ったら、コスプレのイベントの時に使っていたミラーレスカメラを取り出した。


「ほんと、お人形さんみたいよね。何かの呪縛で歳を取らないとか?」


 そう言って、パシャパシャと僕の写真を撮っている。声優同好会だけあって、やはり元ネタはアニメだ。


「こういう格好してると以前は違和感あったけど、もうすっかり馴染んじゃったよ」

「そうそう。好きな服と似合う服が同じだとは限らないからね」


 まあ、無事に寮まで帰って来れたから、可愛い格好をしていたのも無駄ではなかった。そう思いつつ、僕はカメラのレンズに向かって作り笑いを浮かべていた。

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