第9話 自宅へ友達を連れ込む
連休の後半は葛城さんを連れて、僕は地元へと帰って来た。葛城さんは僕の家に一晩泊まってから、自分の家へと帰省する予定だ。
それぞれの荷物を背負って駅前のロータリーで待っていると、ステーションワゴンが僕らの前で停車する。運転席を覗き込んでドライバーを確認してから、僕は助手席のドアを開けた。
「兄貴、悪いね。迎えに来てもらって」
「お前、暫く見ない間に女の子の度合いが増してるな」
「可愛いって言ってくれた方が嬉しいんだけど」
「ああ、可愛いよ」
荷物を後部座席に放り込み、僕は助手席、葛城さんは後部座席の空いている所へ座った。
僕が寮へ入った日と同じように、兄貴が進学祝いにプレゼントしてくれた銀のヘアピンを左右二本ずつ付けているのに、特に感想はないらしい。葛城さんの紹介が終わるまで、兄貴は車を発進させずに待っている。
「寮で同室の葛城幸ちゃんだよ。こっちは幼馴染みの、
「莉音から頻繁にメールが来るから、君のことはよく知ってるよ」
葛城さんは恐縮した様子で軽く頭を下げた。よく知っているという言葉の中には、葛城さんがトランスジェンダーだということも含まれている。
普通の友人知人なら、葛城さんの性別に違和感を感じたとしてもスルーしてくれるだろう。しかし、家族や幼馴染みともなると、余計な心配が入り込んで来る。事前に知らせておくのもどうかと思うのだが、彼女に不快な思いをさせたくなかった。
「あの…この車って…」
葛城さんの視線が、車のハンドルに向けられていた。普通の車にはない、不自然な回転式グリップが付いている。
「左手に障害があって、握力が殆どないんだ。両手でハンドルを回せないから、改造してあるんだよ」
そう言って兄貴は、左手を上げて葛城さんに見せた。手首の可動範囲を制限するためのプロテクターに、シフトレバーを動かすための補助器具が取り付けてある。
「いつからなんですか?」
「三年前にバイクで事故ってね」
ようやく兄貴は車を発進させるとロータリーを回って、来た道を引き返して行く。歩いても15分程度の距離だが、荷物があるので歩きたくはない。
「三年前って、莉音が女の子の格好をするようになったっていう時期と重なりますね」
「俺が入院してる時に、無い物をねだるよりも、有る物を有効に活用した方がいいって言ったんだよ。自分に対する戒めだったんだけど、何を勘違いしたのか莉音が女の子の格好をするようになったんだよな」
「勘違いじゃないよ。僕は女の子になりたい訳じゃないけど、今有る物を失ってまで男になりたいとも思わない。だったら、有効に活用した方がいいでしょう」
「弟だと思ってた奴が急に女の子の格好をするようになって、複雑な心境だったけどな。元々、可愛い顔してたから似合ってはいるけど」
「コスプレやってみて思ったんだよね。普段やってることと、あんまり変わらないなって」
「ああ、青い目にツインテールの女の子な。おばさんにイベントの時の写真を見せてもらったけど、ああいうメイクすると半端なく可愛いよな」
「メイクしてないと、可愛くないみたいに聞こえるんだけど」
「スッピンも可愛いよ。面倒臭い奴だな」
車は幹線道路から住宅街の路地へと入り、すぐに自宅へ到着した。
僕の家と兄貴の家は隣りなので、車はそのまま兄貴の家に入った。車庫に車を入れてしまうと助手席側のドアが開けられなくなるので、少し手前で停止する。そこで僕と葛城さんは、荷物を持って車を降りた。
「じゃあ兄貴。また明日、頼むよ」
「莉音。そのヘアピン、似合ってるぞ」
「遅いよ!」
兄貴が車を車庫に入れるのを尻目に僕と葛城さんは、そのまま二人で隣りの家へ歩いて行く。お母さんは僕が帰ることを知っていて、わざわざ外出したりはしないだろう。免許を待っているし、車も車庫にある。それでも兄貴に迎えに来てもらったのは、もう習慣みたいなものだ。
玄関のチャイムを押すと、お母さんがドアを開けて僕と葛城さんは中へ入った。そこで、まだ靴も脱いでいないのに、いきなり僕は抱き締められてしまった。
「お帰り♡莉音」
そう言って、僕の顔を自分の胸へ押し付ける。初めての帰省だから、愛情表現が過剰になるのは仕方がない。小学生の頃、泣きながら家に帰った時にはそれなりに効果はあったのだが、高校生になった今では、かなり恥ずかしい行為だ。
「葛城さんね。莉音から聞いてるわよ」
「お邪魔します」
「ゆっくりして行ってね」
そんな挨拶をしている間も、僕の顔はお母さんの胸に押し付けられたままだ。ようやく体を離して葛城さんの方を見ると、ニコッと優しい目で見守ってくれている。
「莉音は、お母さんに似てるね」
「よく言われるよ」
僕の部屋へ行く前に、取り敢えずリビングへ行って荷物を降ろした。その中から、駅で買った手土産を取り出す。
「リクエスト通り赤福、買って来たよ」
「あら、お利口さんね。日持ちしないから、さっさと食べちゃいましょう」
僕と葛城さんがソファーへ座り、テーブルの上で手土産を開ける。その間にお母さんは対面キッチンでお茶を入れて、それをリビングまで持って来た。
あんこが乗った餅を小皿に取り分けて、お母さんも加わった三人でティータイムが始まった。お母さんとしては、葛城さんが僕と同室でも問題はないのか見極めたいのだろう。だから帰省する時に、連れて来るよう要望したんだと思う。
「葛城さんは兄弟、居るの?」
「姉が居ますけど、もう結婚して子供も居るので」
「莉音は一人っ子だから、好き勝手やってくれちゃうけど、迷惑かけてないかしら?」
「迷惑なんて、とんでもないです。むしろ、私の方が莉音に迷惑かけてるくらいだから」
「失礼なこと聞いちゃうけど、小さい頃から自分の性別に違和感はあったの?」
「お母さん!」
単刀直入な聞き方に、僕は話しを変えさせようとする。でも、葛城さんは大丈夫だという意味で、僕の膝にポンと手を置いた。家に来ないかと誘われた時点で、その意図を理解していたのだろう。
「小さい頃は女の子なのに、どうして男の子の服を着せられるのって思ってました。だんだん、自分の体は女の子じゃないんだって分かるようになって」
「学校で苛められたんじゃない?」
「小学生の頃に苛められたので、隠すようになりました。中学生の時は自分で言わなくても周りは何となく分かってたみたいで、そういう目では見られてましたけど」
「女性になるために、外科的なことは何かしてるの?」
「身体的には男性のままです。あとは定期的に、ホルモン療法をやってます」
「じゃあ、将来的には体も戸籍も女性になりたいのね」
「そう思ってます」
「莉音は見た目がこんなだけど、中身は8割方、男の子なのよ。多少は女の子っぽい部分もあるけど、精神的には女の子の葛城さんと同室で嫌じゃないの?」
「そんな、嫌だなんて一度も思ったことないです」
「莉音はどうなの?」
就職の面接のような雰囲気に、僕は黙ってお餅を食べていたのだが、急に話しを振られて
「ないない」
と答えた。
「拓馬君が近くに居ないから心配してたけど、いい友達が出来て良かったわね」
「あ…そっちの心配なんだ…」
「何言ってるの。拓馬君が居なかったら、今頃は引き籠りになってたでしょう。保健室登校してる莉音の勉強を毎日のように見てくれて、感謝してもし切れないわよ」
「へえ、そんなことがあったんですね」
「葛城さんも莉音のこと、温かい目で見てあげてね。この子は何かと中途半端だから」
葛城さんは僕のことを頼りないと思っているようなので、お母さんの言葉には納得している様子だ。僕の方を向いて、温かい目で見ていた。
ティータイムを終えると、お母さんは仕事の打ち合わせがあるということで、自分の仕事部屋でバタバタとバッグに図面やノートパソコンを詰め込んでいた。
「夕方までには帰るから、お腹空かせてなさいよ」
そう言い残して、車で家を出て行った。フリーランスだから時間は自由になる分、自己管理は大変だ。
「莉音のお母さん、忙しいんだね」
「僕には、やりたいことをやらせてくれるからね。全力でサポートするからって、フリーランスになったんだよ」
「いい、お母さんだね」
荷物をリビングに置いたままなので、それらを持って二階にある僕の部屋ヘ葛城さんを連れて行く。
部屋にゴチャゴチャと物を置くのは好きではないので、葛城さんから見れば殺風景な部屋かもしれない。そこには今晩、葛城さんが寝るためのエアーマットレスが膨らませた状態で用意してあり、布団も敷いてあった。
このエアーマットレスには僕も寝たことはないので、葛城さんと二人で座布団代わりにして感触を確かめていた。
「莉音のお母さんに、気に入られたかな」
「別に、否定的なことは何も言ってなかったでしょ」
「莉音は自然体で育てられたんでしょう?ホルモン療法とか性別適合手術には批判的なのかと思って」
「生殖機能が伴わないなら、性別適合とは言わないだろっていうのが、お母さんの主張でね。自然体に拘ったのも、そこが一番の理由だし」
「そっか、孫の顔が見たいもんね。私は姉が居るけど、莉音は一人っ子だから」
「僕も将来的には、子供が欲しいと思ってるよ。自分で産むかどうかは別にして」
「難しい問題だね」
考えても答えが出ないと思ったのか、話しながら葛城さんの視線は部屋の中をグルっと一周した。女子高生の部屋にはありそうな、縫いぐるみや人形が何一つない部屋を見ても大して面白くはないだろう。
「ほんと、男の子みたいな部屋だね」
「いや、男の子だから」
不意に葛城さんが立ち上がると、エアーマットレスの中の空気が移動して、僕のお尻が少し沈み込む。彼女はクローゼットを見付けて、そちらの方へ歩いて行った。
「中、見てもいい?」
「どうぞ」
お母さんが言っていた、僕が中途半端なことの一つに、ファッションセンスがある。女の子の格好をするようになったのは中学生になってからなので、それは仕方のないことだ。それでも休日に小綺麗な格好をしているのは、服を買う時はいつもお母さんが一緒だったからだ。
せっかくだから洋服のコーディネートなど、葛城さんにご教授願いたいと帰省する前に話していた。僕の服装に注文をつけるくらい、ファッションには興味があるのだ。
「想像以上に女の子だね。部屋のインテリアとギャップありすぎ」
「大体は、お母さんの趣味だからね。もうちょい、大人っぽいボトムも揃えたいんだけどな」
「だったら、くるぶしまであるロングスカートがいいよ。あと、ハイウエストのワイドパンツとかね」
僕もクローゼットの所まで行くと、葛城さんはブラウスをハンガーごと一着取って僕の体に当ててみたりする。やっぱり、洋服選びは楽しいらしい。
「男の子の格好してた頃の洋服は、どうしちゃったの?」
「全部、処分したよ。どうせ体形に合わないし」
「そうなんだ。男の子の格好してる莉音も見たかったけど」
「男の格好してたら、セクハラの免罪符になるだけだよ。男同士なんだから、別に構わないだろうって」
「そっか…嫌なこと思い出させちゃった。ごめんね」
返事をする代わりに、僕は笑顔を返す。
男女の友情は成立するのか問題で、どちらかと言えば僕は否定的な意見だ。でも、内面的にも身体的にも真逆な僕と葛城さんとの間には、確かに友情が芽生えている。だから、酒巻君とも友情が成立するかもしれない。そんな期待があった。
夕方にはお母さんが帰って来て、きちんと夕食も作ってくれた。でも、お父さんは仕事で帰りが遅くなるので、三人で食卓を囲んでいた。
お父さんは自分の設計事務所を構えて、従業員も雇っている。生活は豊かになったが、その分家族と過ごす時間は少なくなった。
僕が風呂場から出ると、もうお父さんが帰っていて、リビングで葛城さんと話しをしていた。葛城さんは先にお風呂に入って僕の部屋に居た筈だが、真面目な性格だから、お父さんが帰宅して挨拶しようとしたのだろう。リビングにはお母さんも居るのだが、話しには加わっていないようだ。
タオルで髪を拭きながら僕はリビングへ行くと、ソファーに座っているお父さんの目の前に立って自分の顔でその視界を遮った。
「莉音…もう高校生なんだから、こういうことはやめないか?」
女の子の格好をする以前から、両親は僕に対して中性的な認識があった。でも、女性化が進行した今では、女の子としての認識の方が強くなっている。照れているお父さんを見ていると、ちょっと面白い。
「幸ちゃんが緊張するから、もういいでしょ」
「それは誤解だな。学校での莉音の話しを聞かせてもらってたんだよ」
「え、そうなの?」
振り返って葛城さんの方を見ると、コクリと頷いた。
「僕のこと、気になるんだ」
「当たり前だろう。父親なんだぞ」
逆に僕の方が恥ずかしくなって向きを変えると、タオルでゴシゴシと髪を拭いていた。
「幸ちゃん、部屋に行こうか」
葛城さんはクスッと笑って立ち上がった。
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