第7話 スイーツ男子とスイーツ女子

 日曜日の朝は大変だった。寝起きが悪い僕に対して、葛城さんは自分よりも僕の身支度に余念がない。

 服装については葛城さんのリクエストで、黒のコルセットスカートにボータイシャツの組み合わせを実家から送ってもらった。でも、それだけでは飽き足らずに髪形はツーサイドアップで、ナチュラルなメイクを葛城さんのメイク道具でされてしまった。手鏡で自分の顔を見て、もうちょっと大人っぽくならないかと思ってしまう。

 僕はただ酒巻君が一緒に行ってくれるよう誘導しただけだし、そのことは葛城さんも分かっている筈だ。こんな地雷系ファッションみたいな格好が酒巻君の好みなのかどうか知らないが、僕が気合を入れてどうするんだよとツッコミを入れたくなる。


「あのね、幸ちゃん。僕は男に興味ないから」

「酒巻君の方は、莉音に興味があるでしょう。好意を持たれていれば、また誘われるじゃない。でも、莉音は二人きりにはなりたくないから、私を誘ってくれるし」


 葛城さんが酒巻君と時間を共有したいという気持ちは分からないではないし、僕も友人関係になることは嫌じゃない。葛城さんの思惑で可愛い格好をさせられて、ある意味お人形さんのようだ。


「同じ空間に居るだけとか、虚しくならない?」

「それも出来なくなるくらいなら、友達のままでいいよ」


 確かに酒巻君は葛城さんのことを、女性としては認識していないと思う。友達以上の関係を望んでしまったら、友達ですら居られなくなる。トランスジェンダーの共通の悩みなのかもしれない。


「自意識過剰に聞こえるかもしれないけど、酒巻君が僕のことを好きになっても、カップルになることは有り得ないからね。だから、酒巻君が僕に告白したらゲームオーバーだよ」

「ありがとう。いい友達を持てて、本当に嬉しいよ」

「幸ちゃんのためならね」


 そろそろ時間なので、二人で部屋を出て行く。葛城さんは気持ちが先行しているのか、僕の手を握って引っ張っていた。



 寮から一番近い駅の前で、酒巻くんと待ち合わせをしていた。

 こういう時は僕か葛城さんが『待った?』と聞いて、酒巻君が『今、来たとこ』と答えるのが定番だと思う。そういうこともやってみたかったのに、僕が声を掛けても暫く返事は返って来なかった。


「おーい」

「あ、ごめん。見とれてた」


 男子は気をつけた方がいい。どこを見ているかは、視線の動きで分かるものだ。まあ、思春期の健康的な男子だから仕方のないことか。

 駅の構内へ入ると、酒巻君は時刻表を確認してから前を歩いて行く。その後から僕と葛城さんは並んで付いて行った。


「どこの駅まで行くの?」

「湯の山温泉駅だよ。リゾート施設があって、その中に辻本シェフのお店があるんだ」

「へえ、リゾート施設だって。幸ちゃんと二人で、語り明かしたいよね」

「普段と変わりないような気がするけど」


 三人共、交通系のICカードを持っているので、そのまま改札口を通ってホームへと移動する。そこで暫く待って、到着した電車に乗り込んだ。


 僕と葛城さんが同じシートに並んで座り、向かい側に酒巻君が座る。葛城さんが言うように、本当に酒巻君が僕に好意を持っているのか半信半疑だった。でも、迷わず僕の正面に来るあたり、あながち間違ってはいないような気がする。


「一之瀬さんは彼氏、居るの?」


 いきなり、それかよと思う。女子が男子にそれを聞かれるのも定番だけど、それは別にやってみたいとは思っていなかった。


「居ないし、居たこともないよ」

「へえ、そうなんだ。モテそうなのに」

「男子と二人きりになるの、ちょっと苦手だから。あ、酒巻君のことを言ってるんじゃないからね」

「男子全般が駄目ってこと?」

「駄目じゃないけど一対一は、ちょっと嫌なんだよね」


 酒巻君は少しだけ怪訝な表情をして、視線がチラッと葛城さんの方へ移動する。身体的には男の葛城さんと、同室で嫌じゃないのかと思っているのだろう。それは葛城さん自身も言っていたことだが、別に嫌じゃない。そこは彼女に対する認識の違いだ。

 これで僕を誘う時は、常に葛城さんが一緒だという理由付けになる。嘘は言っていないし、そんなの面倒臭いから誘うのはやめようと思われたら、それはそれで仕方がないことだ。

 空気になっている葛城さんにスマホの画面を見せると、彼女は肩を寄せて覗き込む。辻本シェフのお店のホームページを、お気に入りに登録してあった。


「お母さんにスイーツを送れって言われてるけど、ケーキは無理だよね」

「チョコとかクッキーじゃない?そういうの、あると思うけど」

「あ、しまった!」

「何?何?どうかしたの?」

「苺狩り、予約が必要なんだ。もっと早く気付けば良かった」


 スマホを握り締めたまま項垂れている僕に対して、酒巻君は


「凄い落ち込み方だね」


 そう呟いた。


「大丈夫、莉音は生クリーム食べさせたら復活するから」

「仕方ない。お店に着いたら、俺が一品追加してあげよう」

「ホントに?」

「あ、元気になった」


 顔を上げた僕を見て、酒巻君はクスッと笑う。気を引こうとしているつもりは全くないのに、無意識に妹キャラを発動してしまった。中学の時は友達も居なくて保健室で寝ているような奴だったのに、いつの間にこうなってしまったのだろうか。



 駐車場に車が600台も停められるリゾート施設は、温泉やホテルの他にも、石窯パンやイタリアンレストランなどの商業施設がある。辻本シェフのお店も、そこだけを目的に訪れる客は少なくないようだ。

 お店の向かい側には温室があり、そこで苺を栽培している。僕一人だけが悔しい思いで温室を眺めながら、辻本シェフのお店へ入った。

 お店から直接商品を送ってくれるということなので、僕は缶に入ったクッキーを同じ物ばかり5つもお母さん宛に送ってもらった。その量の多さに、葛城さんと酒巻君は引き気味だった。


「一之瀬さんのお母さんって、何やってる人なの?」


 店内でケーキを食べながら、酒巻君に聞かれた。約束通りに、僕が注文したケーキに酒巻君が一品追加してくれている。彼はチョコレート系のスイーツが好みのようで、僕に追加してくれたのもチョコレートのケーキだった。


「インテリアデザイナーだよ。フリーランスだから、打ち合わせの時にお客さんに出す甘い物を送れって言われたんだよね」

「それにしても多くない?」

「あとは会社の女性にあげるのかな」

「会社?」

「お母さんはフリーランスだけど、お父さんは事務所を構えてるから」

「へえ、そうなんだ」

「お母さんはクッキー渡す時に、うちの娘からだって言うのかな」


 僕が小学生の頃は、お母さんは人と話す時に『うちの息子が』という言い方をしていた。僕が女の子の格好をするようになってからは、それが『うちの娘が』に変わっている。ご近所の目もあった筈なのに、そんなことで主義主張を変える人ではない。そのことが頭をよぎったので呟いたことだ。


「そりゃ、自分の娘は可愛いからね」


 言葉通りの意味だと思ったのか、酒巻君がそう言った。


「それは、僕が可愛いからじゃなくて?」

「あれ、そう言わなかったかな」

「言ってないよ。今からでも遅くないから」

「一之瀬さんが可愛いからだよね」

「僕も、そう思うよ」


 本当に気を引くつもりはないのに、どうして妹キャラになってしまうのだろう。小学校の中学年辺りから同級生の男子と仲良くなったことがないので、想像で物を言ってしまうのかもしれない。

 葛城さんが望む状況は、僕と酒巻君が恋愛には発展せずに友人関係でいることだと思う。そもそも、僕は男子に対する恋愛感情など持ち合わせてはいないので、その点では向かっている方向は同じだ。しかし、酒巻君はどう思っているのだろうか。


「もうすぐ連休だけど、一之瀬さんは何か予定はあるの?」

「昭和の日はコスプレのイベントがあるし、後半は幸ちゃんが実家へ遊びに来るから」

「一之瀬さん、コスプレやるんだ」


 コスプレについては、あまり言いたくなかったのだが、つい口が滑ってしまった。聞き流してくれれば良いのに、酒巻君は妙に食い付いて来る。


「莉音が『時空のアルテミス』のコスプレやるから、アニメを見たくなってDVDを借りたんだけど」

「コスプレのイベントって言うと、明治パークでやるやつだね。俺も見に行きたいけど、一緒に行ってもいいかな?」

「来てくれるのは構わないけど、一緒には行けないかな。同好会の先輩と一緒に、衣装とか持って行かないといけないから」

「あっ、私も見に行くつもりだったから、良かったら一緒に」


 ようやく葛城さんが自己主張をしてくれた。本音を言えば見に来られるのは恥ずかしいけど、話しの流れとしては悪くない。


「ん?ああ、そうだね。一緒に行こうか」

「じゃあ、昭和の日に」


 友達にコスプレを見られるのは、初めて女の子の服を着た時のような恥ずかしさがある。それでも葛城さんが酒巻君と時間を共有できるのなら、やって良かったと後で思えるかもしれない。



 寮に戻った僕は、辻本シェフのお店で買ったクッキーを持って藤堂さんの部屋へ行った。お店でお母さんへ送ってもらったのと同じ物だ。

 扉をノックすると出て来たのは、もう一人の方だった。いつも藤堂さんは下の名前で美波と呼んでいるので名字を知らなかったが、ネームプレートには新居と書いてある。


「今日、クッキー買って来たから、これ二人でどうぞ」

「やだぁ、顔ちっちゃいよね。普段でも黒目のカラコン付けてるんだ。毛先の色が抜けてるのは、ロン毛のあるあるだよねぇ」

「ち、近いんだけど…」


 藤堂さんに言われて僕の体に触らない分、グイグイと顔を寄せて来る。さっさとクッキーを渡して自分の部屋へ戻ろうと思ったが、部屋の中から藤堂さんに


「莉音ちゃんも一緒に食べようよ。午後ティーあるから」


 そう、声を掛けられた。


「僕の分は、別に買ってあるから」

「じゃあ、午後ティーだけ飲んで行きなよ」


 素直に僕は部屋の中へ入って、藤堂さんに缶に入ったクッキーを渡す。代わりに彼女は、ロイヤルミルクティーのペットボトルを渡してくれた。

 即座に藤堂さんはクッキーの封を切って缶を開けると、それを取り囲むようにして三人で床に座った。


「何これ、ちょー美味しいんだけど」


 新居さんが一口齧っただけで、感動の声を上げた。僕は葛城さんと食べようと思ってもう一缶買ってあるので、味見のために一枚だけ手に取っていた。


「今日は辻本シェフのお店に行って来たから」

「へえ、高かったでしょう?」

「まあ、スーパーで買うよりは」

「友達と行って来たの?」


 今度は藤堂さんに聞かれた。


「幸ちゃんと、そのクラスメイトの男子と三人で」

「両手に花で楽しそうだけど、普通の男子なら本命は…」


 言いながら藤堂さんはクッキーを齧っているので、語尾はよく聞き取れなかった。


「男女の友情って有り得ると思う?」

「ないない。美波はどう思う?」

「ない方に一票」

「はい。満場一致で、ないことに決定」

「僕の票が入ってないけど」

「ないと思ってるから、そんなこと聞いたんでしょう?」

「友達には、なれると思うよ。でも、友情とは別物かな」


 高校生になったら、男友達を作りたいという願望は心のどこかにあった。単純に友達と言うだけなら、酒巻君はそれに該当しているだろう。しかし、男子と二人きりになるのは、未だにちょっと怖い。このトラウマを解消しない限り、友情なんて成立しないんだろうなという気がする。


「ところで、莉音ちゃん。高校生になったらやってみたいことって、他にもあるの?」

「学校で椅子の数が足りない時に、一個の椅子に二人で半分ずつ座るとか」

「仕方ない。私がその夢を叶えてあげよう」


 藤堂さんは立ち上がると、勉強机の方へ行って椅子に座面を半分空けた状態で座る。


「おいで♡」


 ちょっとシチュエーションが違うのだが、せっかくだから藤堂さんの横へ行って座ってみた。この状態で体に触らないようにすると椅子から落ちそうになるので、藤堂さんは僕の腰に手を回している。


「また一つ、夢が叶ったよ」

「先輩とキスしたいっていう夢はないの?」

「ないない」


 藤堂さんには僕が半陰陽だという話しはしてあるので、戸籍上は男だし、内面的にも男寄りだということは知っている筈だ。それでも、僕に対する認識は何も変わっていないらしい。

 藤堂さんと二人切りになるのも、ちょっと危険かもしれない。ただ、僕が腰に手を回されても嫌がらないので、心を許した感があったのだろうか。藤堂さんは上機嫌だった。

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