第6話 秘密の花園

 日曜日に僕は、森本さんと一緒に靴とカラーコンタクトを買いに行った。

 前回、森本さんは殆ど買い物をしなかったが、今回はカラーコンタクトを僕とお揃いで買うことにした。森本さんがコスプレをするヒイラギと、僕のアルテミスは設定上は親子なので、色を合わせた方が良いということからだ。

 森本さんは学校以外では元々コンタクトレンズを付けていたし、僕も普段は黒目が大きく見えるタイプのコンタクトレンズを付けている。だから二人で度が入った物を買って、そのまま街を歩いていた。ただ一つ残念なのは、アニメのような水色のカラーコンタクトが見付からずに、青で妥協したということだ。青い瞳をした二人が、フルーツサンドのお店へ入って行く。

 イートインスペースでフルーツサンドを食べながら、目の前に美少女が居るとつい見入ってしまう。森本さんも同じような事を考えているのだろうか。しっかりと見詰められている。


「イベント当日は私がメイク道具を持って行くから、莉音ちゃんのメイクは任せてね」

「森本さんが優しくしてくれるのは、僕のことを女の子だと思ってるからだよね」


 コスプレに関しては森本さんに任せっきりで、僕は殆ど何もしていない。それで森本さんに何の得があるのかと思うと、少し不安になっていた。


「自分のことを僕って言うから性同一性障害かと思ったけど、私より髪長いし私服もスカート履いてるし、普通に女の子なんじゃないの?」

「見た目は女の子なんだけど、実は違うんだよね」

「何言ってるの?声を聞いただけで、トランスジェンダーじゃないってことくらい分かるわよ」

「トランスジェンダーじゃないよ。半陰陽って知ってる?」

「性分化疾患のことよね。え、莉音ちゃん、半陰陽なの?」

「そうだよ。僕が半陰陽だったから産まれた時に男の子だと判断されて、出生届を男で出してるんだよね」

「子宮はあるの?」

「子宮だけじゃなくて、生理もあるよ。初潮の時に問題があって、救急車で運ばれたけど」

「ああ…男の子だと思われてたくらいだから、出口に問題があったのね」

「病院で初潮ですって言われた時は、耳を疑ったよ。そこだけは治療してるから、今はもう正常に機能してるけど」

「遺伝子レベルでは、女性の方に近いってことね。そのまま完全な女性になろうとは思わなかったの?」

「僕は自分のことを男だと思ってたし、学校でもそう扱われてたよ。医者には心の性別に合った治療を薦められたけど、両親が自然体で育てることに固執してたからね。僕も自分の体に手を加えるのは絶対に嫌だったから、もう見た目は女の子でもいいやって」

「精神的な性の自覚と、身体的な性の自覚は別の話しよ。必ずしも一致する必要はないんじゃない?莉音ちゃんは男の子だけど、見た目は女の子らしくなりたい。それでいいと思うけど」


 森本さんは冷静な面持ちで、そんな話しをする。葛城さんは事前に僕が男だと聞かされていたから、実際に会った時にはインパクトがあっただろう。でも、僕のことを知った後でそんな話しをされても、森本さんにとっては悩み相談くらいのことだったのかもしれない。


「なんか、説得力があるよね」

「身近にマイノリティーな人が居るのよ。うちは母親が二人居る家庭だから」

「え、どういうこと?」

「母親がレズビアンなのよ。相手の人は女性なんだけど、私はボランティア的な男性から精子を提供してもらって生まれたの。容姿や学歴で相手を選んでるから、良い遺伝子を貰って有り難いとは思ってるけど」

「血筋なんだ…」

「何よ血筋って。私がレズビアンみたいに」

「違うの?」

「否定はしないわよ。ただ、これでお互いの秘密を知ったことになるわね。私は莉音ちゃんが秘密を漏らさないように、いつも監視してないといけないわね」


 ムフッと笑う森本さんを見て、また余計なことを言ってしまったと思った。でも、聞いてもいないのに自分から出生の秘密を話してくれたのは、僕に対する優しさなのだろう。何も不安に思う必要などなかった。



 寮の各部屋にはテレビがないので、夕食が終わった後も食堂に残って、テレビを見ている生徒がちらほらと居る。食事中はテレビを消しているので見ることは出来ないが、食堂はリビング的な役割も兼ねている。

 食堂に残っている生徒は数人程度で、葛城さんも部屋へ戻っていた。バラエティ番組が終わったタイミングで僕は席を立つと、藤堂さんの座っている席まで行って


「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」


 そう話し掛けた。すると藤堂さんの隣りに座っていた、彼女と同室の生徒が立ち上がって、以前に相原さんが僕にやったように両手でムニュムニュと頬を摘まれた。


「やだぁ、ただでさえ可愛いのにカラコン付けてるとホント、お人形さんみたいなんですけどぉ」


 藤堂さんも慌てて立ち上がると、その手を引き剥がした。


「ちょっと、やめてよ。この子、触られるの嫌がるんだから」

「え、そうなの?ごめんね」


 触られるのが嫌なのは体の方で、顔なら別に問題はない。いや、問題はあるのだが、体を触られるほど嫌ではない。でも、藤堂さんがそうやって気を使ってくれるのは、この間のセクハラのことが効いているようだ。


「藤堂さんの実家は県内だって聞いたけど、どうして寮に入ってるの?」

「どうしたの?急にそんなこと気にして」

「森本さんと、お互いの秘密を知っちゃったから、藤堂さんの秘密も知っておいた方が人間関係が上手く行くかなと思って」


 藤堂さんが少しだけ、ムッとした表情になる。カラーコンタクトについて特に感想を言わないのも、森本さんと一緒に買いに行ったからだろうか。


「あ、隠すような理由じゃなかったら、別に話さなくてもいいけど」

「美波、30分だけここに居てくれる?私はこの子と話したいことがあるから」


 同室の子にそう言い残して藤堂さんは僕の手首を掴むと、食堂の外へと引っ張って行く。自分の部屋で話しをしたいようで、階段を上って二階まで連れて行かれた。


「言っとくけど、森本さんと仲が悪い訳じゃないからね。ただ、好みのタイプが似通ってるから、対象が被ってるだけだからね」


 好みと言うのは、僕のことだろうか。


 そのまま藤堂さんの部屋へ入ると、ようやく手を離してくれた。部屋の造りは全く同じで、お菓子や飲み物を置いてあるのが、僕らの部屋と違うところだ。

 藤堂さんはロイヤルミルクティーのペットボトルを一本渡してくれて、僕は床にペタッと座りキャップを開ける。常温で置いてあったので熱くも冷たくもないが、今くらいの季節なら気にならない。

 藤堂さんは立ったまま、勉強机に寄り掛かってペットボトルを開けていた。


「莉音ちゃんは彼氏、居るの?」

「居たことないけど」

「そう、可愛いんだから安売りしちゃ駄目よ」


 秘密だからやはり言いにくいのか、そんな前置きをしてから藤堂さんは話しを続ける。


「私の初体験の相手は父親なの。母親が再婚で血の繋がりはないんだけど、その父親は母親の目を盗んで私をレイプしたのよ。今でも母親はその人と一緒に暮らしてるけど、私を引き離すために寮がある高校を探してくれたの」

「お、重たい…聞くんじゃなかった…」


 想像しただけでも鳥肌が立ちそうな話しだ。僕もクラスメイトに性的な要求をされたことはあるが、ボタンを二、三個外されただけで逃げ出している。それでもトラウマになっているのに、藤堂さんが感じた苦痛はどれほどのものか。

 藤堂さんの性癖については、実際のところはよく分からない。ただ、そんなことが影響しているのかもしれない。


「何よ。私は秘密を喋ったんだから、莉音ちゃんの秘密も聞かせてくれるんでしょうね」

「うん、半陰陽って知ってる?」


 ここからは森本さんと同じように、僕が半陰陽だという説明をする。あっさりとした森本さんの反応に比べると、藤堂さんのリアクションは大きかった。


「じゃあ莉音ちゃんは、女の子として扱ってもらえなかったの?」

「男子からはセクハラされてたから、ある意味女の子扱いだったのかも」

「それで触られるの嫌なんだね。ごめんね」

「僕も男子と二人切りになるのは苦手だから、藤堂さんと同じとまでは言わないけど、気持ちは分かるよ」

「小さくて華奢なのに、よく頑張ったね。抱き締めてあげたいけど、そういうのも苦手なんだよね」


 そう言いながら、藤堂さんは目に涙を溜めている。同情されるようなことなんだと、この時初めて思った。当時は自分が他の人とは違うという疎外感しか感じていなかったから、周囲の理解が足りないんだという考えには至らなかったのだ。

 僕は空になったペットボトルを床に置いたまま立ち上がると、藤堂さんを軽く抱擁した。森本さんのように、何事もなかったように態度が変わらないのも優しさだと思うし、藤堂さんのように共感してくれるのも優しさだと思う。

 自分もつらい想いをして来ている筈なのに、僕のために泣きそうになっている藤堂さんを、こっちが抱き締めてあげたい心境だった。


「莉音ちゃん?」

「高校生になったら、やってみたいことがあったんだよね。友達とハグすること。夢が叶ったよ」

「そんなこと、私がいつでも叶えてあげるよ」

「いや、もう、充分だから」


 ここぞとばかりに藤堂さんが僕をギュッと抱き締めるので、すぐには体を離せなかった。露骨に接触を求められるのは、やはり抵抗がある。彼女の腕をこじ開けて体を離すと、後ずさりしながら離れて行った。


「それじゃ、藤堂さんの秘密は守るからね」


 それだけ言うと、さっさと部屋を出て行った。


 * * *


 昼休みの教室で僕と相原さんは、それぞれが自分のスマホで検索をしていた。背後ではクラスメイトの廣田ひろたさんが、僕の髪を三つ編みにしている。髪の長い女子のあるあるで、クラスメイトに三つ編みにされるのは定番だ。


「昨日の日曜日で、スイーツ・フェスは終わってるね。来月から、大阪でやるみたいだけど」


 相原さんがスマホから目を離さずに、そう言った。


「大阪までスイーツを食べに行くのは大変だな。フェスに出店してるお店って、この辺にないの?」

 僕も自分のスマホは見ているが、検索は相原さん任せだ。土地勘がないので、地名が出て来ても分からないからだ。


「莉音、手伝ってるんだから抱っこさせろ」

「今忙しいから、また今度ね」


 そこへ背後から、廣田さんが口を挟む。


「出店してるかどうか知らないけど、有名なパティシエのお店が県内にあるよ。辻本シェフって聞いたことあるでしょう」


 それを聞いて『辻本』『パティシエ』で検索すると、すぐにお店の所在地がヒットした。県内であることは間違いないのだが、細かい地名までは分からない。肩越しにスマホの画面を廣田さんに見せた。


「これって近いの?」

「電車で30分てとこかな」

「よし、誘いに行く!」


 廣田さんが後ろで一本の三つ編みを完成させると、僕は二人を置き去りにして教室の出入口へと向かう。


「これって、放置プレイ?」

「同室の子を誘うんだと」


 背後でそんな声が聞こえていた。


 葛城さんが居るC組まで行くと、開けっ放しの出入口から教室の中を覗き込んだ。昼休みだから葛城さんが教室に居るとは限らないし、出来れば酒巻君も居た方が都合が良い。

 思惑通り二人の姿があったので、一直線に僕は葛城さんの所まで行く。二人が一緒に居る訳ではなく、それぞれが別々のことをしている。葛城さんの席はかなり後ろの方で、黙々と文庫本を読んでいた。


「幸ちゃん!」


 大きめの声で呼ぶと、葛城さんは僕に気付いて顔を上げる。横目で少し離れた場所に居る酒巻君の方をチラッと確認すると、同じタイミングで僕に気付いたようだった。


「あ、莉音、どうしたの?」

「有名なパティシエのお店、見付けたよ」


 そう言って、葛城さんにスマホの画面を見せた。


「よっぽどスイーツ・フェスが心残りなんだね」

「一人じゃ辿り着けないから今度の日曜日、空けといてよね」

「私も地元じゃないから自信ないけど、何とかなるかな」


 僕は酒巻君が居る方向へ背中を向けていたが、葛城さんの視線の動きで近寄って来るのは分かっていた。


「やあ、一之瀬さん。魔法少女みたいだね」


 髪形のことを言っているようだ。魔法少女は大概、小学生だろうとツッコミを入れたいところだが、スイーツの話しをしたいから敢えて言わなかった。


「あっ、酒巻君。昨日はごめんね、先約があったから」

「それは構わないけど、有名なパティシエって辻本シェフの店だろう。良かったら、俺が案内するけど」

「えーっ、そんなことお願いしたら申し訳ないよ」

「俺はスイーツ好きなんだけど、同調してくれる奴が居なくてさ。むしろ一緒に行きたいんだけど」

「それじゃ、お願いしてもいいかな。幸ちゃんも土地勘ないし」

「じゃあ、メルアドとか教えてもらっ…」

「あ、細かい話しは幸ちゃんとしといて。僕なんかより、しっかりしてるから」

「莉音に比べたら、みんなしっかりしてるよ」

「幸ちゃん、待ち合わせの場所とか時間とか決めといて。それじゃ」


 別に時間に追われている訳ではないのだが、あたかも次の用事があるように、あたふたと僕は教室を出て行った。

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