第3話 女同士で変に意識する先輩達
中学生にもなると、それなりに女性らしい体形になる。成長過程では骨盤はまだ小さいが、乳房はある程度大きくなっている。
放課後の教室の片隅で、男子が後ろから両手で僕の乳房を掴み、荒々しく揉んでいる。その様子を別の男子が数人で取り囲み、ヘラヘラと笑いながら眺めていた。
「へへっ、こいつ男のくせに、おっぱいがあるぜ」
「や、やめてよ…」
誰も止めようとしないのをいいことに、男子は制服の裾から手を突っ込み、直接触っている。
「あ…やだ…」
「セクハラじゃないぜ、男同士だもんな」
そう言う男子の勃起したモノが、僕の背中に当たっていた。そこへ担任の先生が入って来ると、慌てて男子は僕を突き飛ばすようにして体を離す。
「何やってるの!」
「ふざけてただけだよ」
「もう授業は終わってるんだから、早く帰りなさい」
蜘蛛の子を散らすように、男子達は僕から離れて行く。その場にうずくまり涙を流す僕に対して、担任の先生は汚い物でも見るような目で見下している。
「気持ち悪い」
小声でそう呟いていた。
「莉音!早く起きないと朝食、間に合わないよ」
そう言って葛城さんが、僕を叩き起こしてくれる。叩くと言うよりは、揺さぶるという感じか。
「あぁ…嫌な夢、見てた…」
「ほんと、寝起き悪いよね。先に行ってるから」
起こしてくれるだけでも本当に有り難いのだけれど、さすがに僕が仕度できるまでは待ってくれない。さっさと葛城さんは部屋を出て行った。
寮の中は私服で構わないのだが、パジャマで食堂へ行くことは禁止されている。だから、先に制服に着替えてから朝食を食べるか、ラフな私服で寝るかのどちらかになる。殆どの生徒は後者で、僕もトレーナーにハーフパンツという格好で寝ていた。
部屋の中に洗面台はないので、僕はベッドから出てそのままタオルと洗顔セットを持って部屋を出て行く。今迄に朝食に間に合わなかったことはないが、いつも時間ギリギリだ。
洗面所で顔を洗いタオルで拭いていると、不意に誰かが背後から抱きつくようにして、腰に手を回して来た。胸こそ触らないものの、撫でるように僕の腰回りを触って耳に息を吹き掛けて来る。
「莉音ちゃん、可愛いね。このまま部屋まで連れて行っちゃおうかな」
寮に入った初日に僕のことを『美味しそう』と言っていた人だ。あの後、呼び止められて自己紹介をされた。二年生の
彼女は僕のことを女子だと認識しているようだが、女同士だったとしても性的な欲望で体に触れば、それは立派なセクハラだ。
「今すぐ離れないと、セクハラで寮長に訴えるから」
うちの学校は性的マイノリティーに寛容な分、風紀には厳しい。そうでないとトラブルが起きてしまうからだ。特に寮ではセクハラで訴えられようものなら即、退去させられてしまう。
慌てて藤堂さんは手を離し、後ずさりするように体ごと後退した。
「ごめんなさい!そんなに怒るって思わなかったから」
「別に怒ってないよ」
「土下座すればいい?靴を舐めようか?」
「どっちも要らない」
「ごめんなさい!二度としません!」
謝ってくれるんだ。そう思っただけで、藤堂さんに対する怒りは起きなかった。
立ち話をする余裕もないので、さっさと僕は部屋へと戻る。洗顔道具を置いてコンタクトレンズを付けるだけなので、ドアは開けっ放しにしていた。
「莉音ちゃんは部活動、決まった?」
「帰宅部」
藤堂さんは廊下で待っていて、僕が部屋から出て来てドアを閉めると、一緒に食堂へ向かう。彼女のことは嫌いではないが好きでもない。まだ、下の名前で呼ばれるほど親しくはないのだ。
「私、声優同好会に入ってるんだけど、良かったら見に来ない?莉音ちゃん、顔も可愛いけど声も可愛いから」
「同好会なんだ」
「学校公認だから、部室はあるよ」
僕を誘うために、理由を後付したような気がしないではない。でも、自分の声にはコンプレックスがあったので、可愛いと言われて何となく嬉しかった。
「見るだけなら」
「それじゃ、放課後に教室で待ってて。迎えに行くから」
食堂まで来たので、そこで話しが終わる。みんなもう食べ始めていて、何とかギリギリ間に合った。
入学式から数日が過ぎているから、クラスメイトの顔と名前が徐々に結び付いて来た。
LGBTについてはホームルームでしっかり説明をして、差別がないような教育をしている。半陰陽についても説明があったのは、僕を意識してのことだろう。性別には多様性があり男と女だけではなく、その間はグラデーションのように繋がっていると説明していた。
僕は藤堂さんと約束をしているので、放課後になっても席を立たないでいると、前の席の相原さんは振り向きざまに、
「まだ帰らないの?」
そう言った。
「寮の先輩に声優同好会、見に来いって言われてるから」
「確かに莉音は、声だけ聞いてたら小学生だもんね。いいよね、顔も声も可愛くて」
「好きでこうなった訳じゃないけどね」
「何それ、隣りの芝生って奴?」
「今日、先生が半陰陽の話ししてたでしょ。あれ、僕のことだから」
「へえ、そうなんだ」
告白するには丁度良いタイミングだと思って言ったのに、意外に反応が薄いので拍子抜けしてしまった。元々、相原さんは感情の抑揚が少ない人なのだが、もう少し大きなリアクションがあるかと思っていた。
「気持ち悪くない?こんな奴」
「莉音は私が男だったら、友達やめるの?」
「まさか。そんなの関係ないよ」
「でしょ。私だってそうだよ。それで一人称が『僕』なのかと思っただけで、莉音を膝の上に抱っこしたいという気持ちは揺るぎないから」
しれっと下心を喋っているのは置いておいて、僕は何を悩んでいたのかと恥ずかしくなってしまう。桜井先生が言うように、自分から言う必要はないのかもしれない。
「先輩って、あの人?」
相原さんの視線を辿ると、開けっ放しになっていた扉から藤堂さんが手を振っている。
「そう」
「それじゃ私、帰るわ。じゃあね」
あわよくば相原さんも誘おうという気持ちもあったのだが、彼女は全く興味がないらしい。鞄を持って、さっさと教室を出て行った。
藤堂さんに連れられて、声優同好会の部室へとやって来た。同好会なのに部室と言うのもおかしな話しだが、部屋の隅には倉庫代わりに使われているようなダンボールが積んである。専用の部室ということではなさそうだ。
声優と言うだけあって、部室にはテレビモニターが置いてあり、BDプレイヤーが繋いである。その前にはスタンドマイクもあった。どれも年季が入っていて、他の場所で使っていた物を使い回しているのだろう。
部室の中には僕と藤堂さんを除いて三人の生徒が居るが、全員が女子だ。学校全体でも男子の比率は低いのだから三、四人程度の同好会に居なくても不思議はない。
スチールラックには手作りの台本が平積みしてあり、その中から藤堂さんが一冊を取ってパラパラと捲って見せてくれる。
「台本はアニメを見てセリフを全部、書き起こしてるんだよね。これが結構、大変なのよ」
藤堂さんがリモコンを取ってBDプレイヤーの電源を入れると、既にディスクが入っていたらしくレジューム再生が勝手に始まった。
『あぁぁ、そこはダメぇぇ、おかしくなっちゃうぅぅぅ!』
慌てて藤堂さんは、プレイヤーを停止する。
「誰よ!変なアニメ、入れてたのは」
「もう、帰る」
「莉音ちゃん、ごめんね。悪気はないの!」
向きを変えて部室を出て行こうとする僕を、藤堂さんが引き止める。体に触らないのは、今朝のことが効いているのだろうか。
それよりも僕は、部屋の片隅で縫い物をしている女子が気になった。アニメの衣装を作っているようで、手作業で細かいパーツを縫い付けている。
「コスプレやるんだ」
「そう、アニメ好きの集まりだからね。森本さん、コスプレ衣装を見せてもらっていいかな」
僕が興味を示したので、チャンスとばかりに藤堂さんが声を掛けた。その森本さんは顔を上げて僕と目が合った。彼女はお下げ髪に眼鏡を掛けて、典型的なダサい女子高生だ。でも、意図的にそうしているのだろう。綺麗な人はどんな格好をしていても、やっぱり綺麗だ。
「三年生の
「色白で目が大きくて本当に、お人形さんみたいね」
それが、僕を見た第一印象らしい。いきなりそんなことを言うのは、事前に藤堂さんから話しを聞いていたのだろう。
「今、作ってるのは『俺のカラダを返せ!』の衣装だったよね」
「そう、ヒイラギのエルフバージョン」
ヒイラギと言えば金髪のエルフだ。元は黒髪の少年だったが、異世界でエルフの少女に体を奪われて、代わりに自分がエルフになってしまった。自分の体を取り戻すために、異世界を旅するといったストーリだ。
アニメは僕も好きだし、心と体が入れ替わっているというところに共感して、全編を見ている。
「あなたは、やりたいコスプレとかあるの?」
「コスプレって言うか『時空のアルテミス』の衣装は好きだけど」
「まんま行けそうね」
まんまと言われると、ちょっと微妙だ。
『時空のアルテミス』は『俺のカラダを返せ!』のラストシーンで元の体に戻ったエルフの少女の、お腹の中に居た赤ちゃんが主人公になった、続編とも言えるストーリーだ。
日本人の少年と異世界のエルフとの間に生まれた唯一無二の存在で、黒髪に水色の瞳をしている。分厚い歴史書と共に時空を転移する能力を持ち、ロングのツインテールにクラシックなデザインの衣装を着ている。
微妙なのは、そのアルテミスが12歳の少女だということだ。藤堂さんが僕のことを、お人形さんみたいだと言っていたのも、きっと実年齢よりも幼く見えるからだろう。
「連休にコスプレイベントがあるから私がヒイラギで、あなたがアルテミスのコスプレをすれば、夢の親子共演になるわね」
「いやいやいやいや、コスプレするなんて言ってないから」
僕はただ衣装が可愛いと言っただけで、自分が着たいという訳ではない。でも、ここぞとばかりに藤堂さんが追い込んで来る。
「私も衣装作るの手伝うから莉音ちゃん、イベントに参加しよう。『時空のアルテミス』録画してあるから、デザイン画描くよ」
「待って、待って、参加するなんて言ってない」
「コスプレ、嫌いなの?アニメのことは結構、知ってるのに」
ウキウキの藤堂さんとは対象的に、森本さんは柔らかい物腰で僕を説得しようとしている。
「好きとか嫌いとか、分かんないよ。やったことないから」
「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいいって、アニメのセリフに有りがちじゃない。こんな可愛い子がアルテミスをやったら、カメコを独り占めね」
「でも、衣装の作り方とか分かんないし」
「それじゃ日曜日、空けといて。一緒に材料を買いに行くから」
落ち着いた口調とは裏腹に、何という強引さだろうか。もう、断るには逃げ出すしかないだろうと思いつつ、そこまでするほど嫌ではなかった。普段でも僕は、女子高生のコスプレをしているようなものだ。
「いいよ、先輩に任せる」
森本さんは横目で藤堂さんの方を見ながら、ニヤッと笑う。すると藤堂さんは、チッと舌打ちをした。
シチュエーションとしては、女子を誘おうとした男子が別の男子に出し抜かれたと言った感じだろうか。実際には男女が逆なのだが、外見上はそれが全員女子だったという話しだ。
「お名前、聞いてなかったわね」
「一之瀬莉音です」
「私も莉音ちゃんって呼んでもいい?」
「どうぞ」
再び森本さんは横目で藤堂さんの方を見て、ニッコリと微笑む。今度は余裕の笑みだった。
寮に戻ると、部屋では葛城さんが勉強机に向かっていた。宿題でもやっているのかと思い覗き込むと、頬杖を突いてボーッとしているだけだった。
「あ、莉音、お帰り」
「クラスに気になる男子でも居るの?」
「や、やだ、そんな風に見えた?」
冗談のつもりで言ったのに、どうやら図星だったようだ。葛城さんは照れ臭そうに、僕とは目を合わせないようにしている。
「莉音って、やっぱり恋愛対象は女の子だよね」
「ごめんね、相談に乗れなくて。乙女心ってのは、今一よく分かんない」
「いいの、いいの。気にしないで」
女の子同士なら恋バナになるんだろうけど、僕と葛城さんがそんな話しをしても噛み合わないだけだろう。本人が言わない限りは、僕の方から聞こうというつもりはなかった。
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