第2話 可愛い女の子が大好きな女子

 入学式は特筆するようなこともないので、詳細は割愛する。もっとも、僕が参加していたのは最初の30分だけで、途中で体調が悪くなって退席してしまった。

 保健室で寝ていると、入学式が終わったのか担任の桜井先生が入って来た。三十代の女性で、僕はこの先生とは数日前にも母親と一緒に会っている。

 LGBTの生徒は事前に説明会があったのだが、僕の場合はレアケースなために、寮へ入るのに個人的に説明をしてくれた。その時の先生がこの人だ。


「うちのクラスの生徒が、お邪魔してるかしら?」


 そう言って養護教諭、いわゆる保健室の先生に声を掛ける。


「ロキソニン飲ませたから、連れて行っていいよ」


 養護教諭はキャスター付きの椅子に座ったまま、親指でベッドに寝ている僕の方を指している。

 桜井先生は保健室へ入って来ると、ベッドを仕切っているるカーテンを開けて、僕の枕元までやって来た。


「あら、女の子の日だったの?いきなり保健室登校かと思って、心配しちゃったわよ」

「貧血です」

「だから、女の子の日のせいで貧血なんでしょう?」

「ただの貧血です」

「別に、どっちでもいいけど」


 体調としては、それほどダメージが大きかった訳ではない。ただ、入学式を退席する理由にしたかっただけだ。保健室登校と言うのも、そんなに間違った話しではないと思いつつ、僕はベッドから上半身を起こした。


「一之瀬さんの扱いには困るのよねえ。基本的に女子の制服を着ている生徒は女子扱いするんだけど、あなたは精神的に男子寄りなんでしょう?」

「女子扱いで構わないです」

「そうよねえ、思春期の男子の絡みつくような視線が気持ちいいとかじゃなければ、その方がいいと思うわよ」

「視線だけなら、まだ我慢できますけどね」

「あら、触れちゃいけないことだったかしら?」

「大丈夫です。聞き流してください」

「それじゃあ、ホームルームやるから教室へ行くわよ」

「はい」


 僕はベッドから出ると、掛け布団の上に重ねていた制服のブレザーを羽織った。そして、寝づらいので解いていた髪を、再び後頭部で結んでポニーテールにする。始めの頃は鏡を見ないと出来なかったことが、今では見なくても普通に出来るようになってしまった。

 その後は先生の後に続いて保健室を出て行くと、教室へ向かって長い廊下を歩いて行く。


「一之瀬さんのことは、わざわざ他の生徒に説明する必要もないから、そのまま女子ってことでも構わないわね」

「別に隠してるつもりはないんですけど」

「声を大にして言うつもりもないでしょう?」

「まあ、そうですけど」

「それじゃあ、そういうことで」


 何だか日和見だなと思いつつも、先生の言うことには納得している。僕は女子の制服を着ているのだから、女子として扱うのがこの学校のルールだ。戸籍上の性別なんて、必要な時に必要な人にだけ話せば良いことだ。


 僕のクラスは一年A組で、入学式の前にクラス分けを見て一度教室に入っている。席は取り敢えず、出席番号順ということだ。

 因みに葛城さんはC組で、寮で同室の生徒が同じクラスになることはないらしい。四六時中一緒に居たら、うんざりもするだろうという配慮かもしれない。


「はい、みんな席に着いて」


 席を立っていた生徒は、それほど多くはない。僕も自分の席に着くと、桜井先生は黒板に自分の名前を書いて自己紹介をする。


「担任の桜井文香さくらいふみかです。担当教科は現代国語。言葉遣いには煩いから気をつけてね」


 それから、クラス委員は先生が勝手に決めた。入学式当日では、投票なんかしても決まらないだろう。選ばれるだけの根拠はあるんだろうけど、建て前としては出席番号が一番だからだそうだ。僕は出席番号が二番なので、前の席に座っている相原美咲あいはらみさきさんだ。


 登校初日はホームルーム以外に授業はなく、午前中に帰宅することになる。

 みんなが教室を出ていく中、僕はこれから寮へ帰ってもすることがないし、買い物もしたいしと席を立たずに考えていた。

 クラス委員に決まったばかりの相原さんは、桜井先生に渡された名簿に目を通していた。それを鞄に仕舞って、席を立とうと体の向きを変えた時に僕と目が合った。じっと見詰められて、そのまま右手を伸ばし、ムニュっと僕の頬を摘んでいる。


「何やってるの?」

「あんまり可愛いから、イジってないか確かめたくて」


 別にどこもイジっていないし、メイクもしていない。二重瞼も天然だ。

 女子高生と言うとキャピキャピしているイメージがあるのに、相原さんの口調は淡々としている。こういう感情の抑揚が少ない人が、話しをする切っ掛けとしては面白いのかもしれない。


「一之瀬さんだっけ。家は、どっち方面?」

「僕は寮だから」

「自分のこと、僕って言うんだ。可愛いわね、食べちゃうぞ」


 淡々とした口調で言われると、笑うに笑えない。僕のことを女子だと思っているから、こんな調子で話せるのだと思う。廊下で桜井先生に言われたことも一理あるのかもしれない。


「買い物したいんだけど、土地勘がないから一人だと道に迷っちゃうかな」

「そうね。一人で歩いてたら、悪い大人に連れて行かれそうだもんね」

「どういう意味かなぁ?」


 繰り返しになるが、淡々とした口調で言われると本当に笑えない。

 取り敢えずは、相原さんが僕の買い物に付き合ってくれることで話しがまとまり、二人で教室を出て行った。こんなにあっさり、クラスメイトと買い物へ行くなんて、自分でも意外だった。



 寮へ入るのに荷物は必要最小限にしようと思い、消耗品は殆ど持って来ていない。僕が一番行きたかったのはドラッグストアで、相原さんは学校から一番近い店舗に案内してくれた。


「カードでお買い物なんて、お嬢様ね」

「使う度に通知がお母さんの所へ行くから、下手な物は買えないけどね」

「下手な物って何?コンドームとか?」

「いや、お店の名前しか通知されないから」


 相原さんの自宅は、電車で15分程らしい。買い物に付き合ってもらったので、駅までは一緒に行って、そこで別れるのが礼儀だと思う。


「お腹空いたから、何か食べて行かない?」


 駅前まで来ると飲食店が並んでいるので、相原さんがそう言った。先に言ってくれれば荷物が増える前に食事できたのにな、と思いつつも誘われたことが嬉しくて、二人で一緒にお店に入った。

 生クリームがドッサリと乗ったパンケーキを注文する相原さんを見て、僕も同じ物を注文していた。


「莉音は、人が集まる所とか苦手な人なの?」

「得意ではないけど、なんで?」

「入学早々、保健室登校かと思って心配したから」


 ああ、そういうことか。クラス委員があっさりと決まったのも、きっと先生が事前に根回しをしていたのだろう。僕が入学式を退席して保健室で寝ていたから、そんな話しになったのかもしれない。


「気を使ってくれて、ありがとう」

「ん、どうした急に?」

「桜井先生と、同じこと言ってるから」


 淡々とした口調で感情の抑揚が少ない相原さんが、ほんの少しだけ焦った様子を見せた。


「切っ掛けなんて、何だっていいじゃない。私は本気で莉音に添い寝したいとか、膝の上に抱っこしたいとか思ってるんだから」

「下心がダダ漏れなんだけど」

「レズビアンとかじゃないから、勘違いしないでよね。ちょっと、ロリコンなだけだから」

「違う意味でショック!」

「莉音の買い物くらい、普通に付き合うよ。先生のことは関係ないでしょう」

「そうだね。僕も美咲ちゃんには付き合うから」


 僕の言葉を聞いて、うっすらと笑みを浮かべる相原さんには一抹の不安を感じる。でもそれは、僕のことを普通の女子だと思っているからだろう。

 身体的には女性に近いので、桜井先生が言うように女子だということで通しても問題はないのかもしれない。別に隠しているつもりはないが、自分から言い出す勇気はなかった。



 寮の食堂の席は、どこに誰が座るのか特に決まってはいない。でも、毎日みんな同じ席に座る傾向があるようだ。僕と葛城さんも、昨日と同じ席に座っていた。


「幸ちゃん、友達できた?」

「ん?んん…まあ…」


 出来ていないようだ。まあ、今日は入学式とホームルームがあっただけで、午前中で学校は終ってしまった。相原さんみたいな変わり者、いや、面白い子でない限りは、そんなに急に仲良くはなれないだろう。

 夕食を食べ始める前に寮長が僕のところまでやって来て、昨日無くした筈のヘアピンを一本渡してくれた。


「これ、一之瀬さんのでしょう?お風呂の脱衣所に落ちてたわよ」


 寮へ入る時に左右二本ずつ横髪を留めていたので、寮長は覚えていたのだろう。自分で買った物ではないから、どれくらいの価値があるのかは知らない。でも、銀製で細かい彫刻が施されているから、とても高価な物だと思う。

 いつの間にか一本無くなっていたので、焦って部屋の中を探していたが見付からなかった。


「大切な物なら、もっと丁寧に扱いなさい。それから」


 寮長は腰を屈めて顔を寄せて来ると、僕の耳元で囁く。


「入学式の最中に、貧血で寝てたそうね。明日の夕食は一之瀬さんだけ特別に、レバーてんこ盛りね」


 まるで罰ゲームのようにそう言うと、寮長はさっさと自分の仕事へ戻って行った。どうやら、桜井先生と寮長は通じているらしい。

 僕はまたヘアピンを無くさないように、前髪を上げて頭の上で留める。そのヘアピンを葛城さんは、少し顎を上げた姿勢で凝視していた。


「高価な日用品って、自分じゃ買わないよね。誰かのプレゼント?」

「隣りの家の兄貴が、進学祝いにプレゼントしてくれたんだよね」

「へえ、彼氏なの?」

「いや、そういう趣味ないから」

「ややこしいなあ、莉音は…」


 葛城さんは恋バナ的なノリで、彼氏かと聞いたのだろう。女子の格好をしているという点では共通しているのだが、そこは僕とは違うところだ。



 昨日と同じように、僕と葛城さんのお風呂の順番は最後だった。でも、寮長に抗議したら時間を切り詰めてくれたので、消灯時間には間に合った。

 僕は床に胡座をかいて、ドライヤーで髪を乾かしていた。行儀が悪いんじゃなくて、コンセントが壁にあるので、そうしないとコードが届かないからだ。先にお風呂から上がっていた葛城さんは床に横座り、いわゆる女の子座りだったけど。


「女子寮のトランスジェンダーって、意外に少ないんだね。他には居ないみたいだけど」

「寮に入ってるとアルバイトが出来ないから、アパートとか借りてるんじゃないのかな」

「アルバイト?」


 うちの学校では、基本的にアルバイトは禁止だ。ただし、事情があって、どうしても必要な場合には、担任へ申請書類を提出すると許可される場合もある。

 トランスジェンダーとアルバイトが結び付かなくて、僕は首を傾げていた。


「ホルモン療法に、お金が掛かるからね。私は親の理解があって出してくれてるけど、トランスジェンダーは親に理解してもらえない人の方が多いから」

「へえ、そうなんだ」


 勝手に女性ホルモンが出ている僕と違って、男性から女性へのトランスジェンダーは、放っておいてたら体がどんどん男性化して行く。

 僕は両親が自然体で育ててくれたから、成り行きに任せて逆に女性化が進んでしまった。自分の体に違和感を感じる感覚は分からないではない。


「莉音はいつから、女の子の格好してるの?」

「中学生になってからだよ。それまでは髪も短かったし、女の子の服なんて一枚も持ってなかった」

「そっか、大変だったね」


 そう、大変だった。着る物は下着や夏服から冬服に至るまでを一年掛かりで買い集めて、他にも靴やバッグ、美容関係に至るまで、必要な物はいくらでもある。

 初めてスカートを履いて街を歩いた時は、気恥ずかしくて仕方がなかった。それでも、周囲の目を気にしてキョロキョロするのが一番みっともない。むしろ愛情の視線を注がれるくらい可愛くならないと、女の子の格好をする意味がない。そう自分に言い聞かせて努力した結果が今の状態だ。

 よくよく考えてみれば、僕が男の格好をしている方が周囲から見れば不自然だったのかもしれない。単純にボーイッシュというだけではなく、男子として扱われていたことがセクハラやイジメを助長していたのだろう。

 わざわざ県外の高校を選んで僕のことを知っている人物をリセットしたのだから、これからの学園生活に期待したい。

 ようやく僕の夢が一つ叶って、普通の日常生活を送ることが出来そうだ。

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