性的マイノリティーの学園生活

道化師

第1話 見た目が女子のような男子

 世の中は、ジェンダーレスへと向かって行くらしい。男だから、女だから、という性的な区別をなくそうという考え方だ。

 この春から僕が入学することになった椿が丘学園も、そんな流れに乗っている。お嬢様学校と言われた名門の女子校だったのに、少子化の影響で生徒数を確保するのが難しくなった。そこで数年前からは共学となり、男子生徒も受け入れることになったのだ。

 そんな経緯がある学校だから、LGBTの生徒も積極的に受け入れている。一応、LGBTについて説明しておくと、


 L=レズビアン

 G=ゲイ

 B=バイセクシャル

 T=トランスジェンダー


 要するに、性的にマイノリティーな人だ。

 割合で言えば、一クラスに一人は居ると言われている性同一性障害についても、心の性に合った制服を着て登校することが認められている。つまり、体の性別が男性でも、心の性別が女性なら女子の制服を着て登校しても良いし、その逆でも良いということだ。

 ただし、例外として女装趣味、いわゆる『男の娘おとこのこ』は、性同一性障害とは同等には扱われない。そのために、精神科医を交えて入念な聞き取り調査を行っているのだ。

 そんな学校だから、わざわざ遠方から受験して入学を決めた生徒も少なからず居るようだ。僕もその一人で、隣県から受験して無事に入学を決めることが出来た。


 伝統のある寮へ入ることになった僕は、入学式の前日に寮へやって来た。敷地の前までは、お母さんが車で送ってくれたが、そこから先は重たい荷物を一人で抱えて行かなければならない。

 参道のように木が植えられた広い庭を通って寮の建物に辿り着くと、まず事務所のような所に通された。取り敢えず荷物を置いてソファーに座ると、お茶を出してくれる。


一之瀬莉音いちのせりおんさんね」


 そう言って寮長が、ファイルに入った書類をペラペラと捲る。眼鏡を掛けた中年の女性で、呼び方は先生だが教員ではない。


「同室の葛城かつらぎさんのことは聞いてるの?今からでも遅くないから、アパートでも借りた方がいいんじゃないの?」

「いえ、大丈夫です。特に問題はありません」

「そう…なら、いいんだけど」


 寮長は、あまり納得が行かない様子だが、本人が良いと言っているのだから、それ以上は反対されることもなかった。

 その後は寮の規則や注意事項の説明を受けて、部屋の鍵とネームプレートを渡してくれた。何だか病院みたいだなと思いながら、指定された部屋へと荷物を抱えて行く。


 僕の部屋は二階の端にあり、部屋番号は201号室だ。

 ドアの横には、もう同室の葛城さんのネームプレートが掛かっている。僕も自分のネームプレートを掛けると、そのままノックもせずにドアを開けた。

 二人部屋にしてはこぢんまりとしていて、二段ベッドと勉強机が二つある。そして部屋の中には、先に到着していた葛城さんの姿があった。

 葛城さんは肩より少し長いくらいの髪を左右で縛っていて、長身でスラッとした体形の少女だ。可愛いと言うよりは、格好良いタイプだろう。ただし、僕は事前に説明を聞いているので、彼女が心は女性、体は男性の性同一性障害だということを知っている。

 性同一性障害とトランスジェンダーは同一だと思われがちだが、心の性別と体の性別を一致させたいという願望があるかどうかに違いがある。見たところ葛城さんは女性らしい外見をしているので、トランスジェンダーだと言えるだろう。


「同室の一之瀬莉音です。よろしく」


 先程の寮長とはまた違った反応で、僕を見て葛城さんは焦っている。期待通りの反応で、ちょっと面白かった。


「えっ、一之瀬さん!男性だって聞いてたけど」

「男だよ。戸籍上はね」

「ええぇ!どこから見ても女の子だし、声高いし、顔ちっちゃいし」

「可愛いっていうのも、入れてくれないかな」

「もも勿論、可愛いよ」

「ありがと」


 男だと言われても信じられないのは当然だ。僕の身長は150cmで、女性でも小柄な方だ。髪はウエストの辺りまであり、バストはCカップ。おまけに、女子の制服を着ている。

 因みに制服のデザインは男女共通で、スカートとズボンの違いと、前合わせが右前か左前かの違いだけだ。女子だからスカートを履かなければいけないという決まりはないのだが、名門校だけに制服はステータスで、ズボンを履きたいという女子はまず居ないそうだ。


「気合いを入れて制服を着て来たけど、寮は私服でも良かったみたいだね。着替えてもいい?」


 僕は二つある勉強机の片方に荷物を置いた。どうやら葛城さんは、生真面目な性格らしい。先に到着していたにも関わらず荷物を床に置いて、ベットも机もどちらを使うか決めていないようだ。同室の僕が来るまで、勝手に決められなかったのだろう。

 僕が制服を脱ぎ始めると葛城さんは、ちょっと焦っている。


「あああの、部屋の外に出てようか?」

「いいよ、別に。全部は脱がないから」


 葛城さんは心が女性なんだから、僕が脱いだところで興奮はしないだろう。学校側も部屋決めには気を使っていて、問題が起きないように配慮している。

 基本的には同種のマイノリティーを同室にするので、戸籍上は男である僕と葛城さんが同室になった。でも、それは書類上の話しで、実際に会えば僕が普通の女の子と変わらないことが分かるだろう。だから、寮長はアパートを借りることを薦めていたのだ。身体的には男性の葛城さんと同室にして、何か問題は起きないのかと考えるのは当然のことだ。


「葛城さん、ベッドどっち使う?」

「一之瀬さんが決めていいよ」

「じゃあ、僕が下ね。高いの苦手だから」


 トレーナーとハーフパンツに着替えると早速、僕はベッドの下の段へ飛び込んだ。一人で荷物を運んで来たから、ちょっと大変だった。


「一之瀬さん、本当に男なの?胸あるし骨盤広がってるし、脱いでも女の子にしか見えないんだけど」

「戸籍上はって言ったでしょ。身体的には女性の方に近いんだよね」

「え、どういうこと?」


 勉強机と二段ベッドのどちらを使うか決まったところで、ようやく葛城さんは荷物の整理を始める。その動作も、あたふたとした様子だ。僕が男だということは聞いていたようだが、それ以上のことを知らないからこんなに焦っているのだろう。


「半陰陽って知ってる?」

「聞いたことはあるけど、詳しくは知らない」

「性分化疾患の一種でね。遺伝的な性別と身体的な性別が食い違ってる状態かな。簡単に言うと、男と女の中間ってこと。僕が産まれた時に外見的な特徴から、出生届を男で出したんだと。僕は自分を男だと思って育ったし、学校でもそう扱われてたよ。でも、成長と共に体が女の子になって行って、生理が始まった時には泣いたよ」

「普通に可愛いから、好きで女の子の格好してるのかと思った」

「普通に?」

「すっごく可愛いから、好きで女の子の格好してるのかと思った」

「この外見で男の振る舞いをしても、何もいいことなんてなかったよ。セクハラされたり、イジメられたりね。僕はただ、普通に生活したいだけだから」


 僕は女の子になりたい訳じゃない。話しの流れで、内面的には男寄りだということは分かるだろう。両親が自然体で育ててくれたのを意図的に変えたいとは思わないし、戸籍上の性別を変えたいとも思わない。現状のままで普通に生活をするには、見た目に合った格好をするしかない。それが僕の出した結論だ。


「私みたいなのが同室で、嫌じゃないの?戸籍上は男だってことは共通してるけど、一之瀬さんはどう見ても女の子だし」

「嫌なら、初めから断ってるよ。ああ、そうだ。僕のことは莉音りおんって呼んでくれる?女の子同士って、下の名前で呼び合ってるイメージあるよね」

「それじゃ私のことは、ゆきって呼んでくれると嬉しいかな。本名は幸久ゆきひさなんだけどね」

「了解、幸ちゃんね」


 性同一性障害の人は、ネームプレートに男の名前が書いてあるのも嫌がるという話しを聞いたことがある。僕の場合は両親が男女両方で使えそうな名前を付けてくれたお陰で、自分の名前にそれほど違和感を感じたことはない。そう言えば、この部屋のネームプレートも下の名前は幸になっていた。


「夕食は時間厳守だよ。莉音も荷物、片付けたら?」

「明日やる」

 初対面から数十分で、僕の性格が露呈していた。



 夕食の時間になると、一階にある食堂に生徒が集まっていた。

 寮には第一と第ニがあり、ここ第一が女子寮。第ニが男子寮になっている。男子寮、女子寮というのは男装か女装かの違いで、実際の性別とは関係がない。勿論、全室が鍵付きでプライバシーはきちんと守られている。

 一年生から三年生までが、男子寮と女子寮を合わせて40人で、必ずしもLGBTとは限らない。ごく普通の生徒も一緒だから、寮へ入るのは狭き門だ。

 大半の生徒が通学だから、これで問題はないのかもしれない。遠方からどうしても入学したくて寮へ入れなかった生徒は、自分でアパートを借りるしかない。そんな生徒が、どれくらい居るのかはよく知らない。


 夕食の配膳はトレイに乗せられた物を各自で運び、食べる時は全員が手を合わせて一斉にスタートする。伝統のある学校だから、それくらいの規律は覚悟していた。


「幸ちゃん、好き嫌いある?」

「特にないけど」


 和風の夕食の中から、僕は向かいに座っている葛城さんの方へ味噌汁を寄せて行く。


「何が苦手なの?」

「しじみ」

「ダイエット中なんだけど、仕方ないなぁ」


 もう充分に痩せていると思うのだが、これ以上細くなる必要があるのだろうか。葛城さんが僕の味噌汁を自分の方へ引き寄せると、どこからともなくクスッという笑い声が聞こえて来た。


「あの子、一年生?お人形さんみたいね」


 ボソボソと、そんなことを呟いている。

 声がした方を見ると、一人の女子と目が合った。席は同じ学年である程度は固まっているので、少なくとも一年生ではないだろう。食事中は席を立ったり大きな声で騒いだりしてはいけないから、その人はニッコリと微笑んで、声を出さずに口だけ動かしている。


『美味しそう』


 そう言っているような気がする。まあ、寮に居るのはトランスジェンダーだけではないから、そういう性癖の人も居るだろう。僕は彼女の好みのタイプなんだろうか。少し気になっていた。



 各部屋には水回りの設備がなく、お風呂は共同になっている。ジェンダーレスとは言っても、何もかも同じという訳には行かない。いくら精神的には女性でも、身体的に男性の人がお風呂に入って来れば、元から女性だった人には恐怖でしかないだろう。

 以前は銭湯のような複数の人が同時に入れるお風呂だったそうだが、現在では6室に分割されて個別に入れるバスルームに改修されている。ただし、脱衣所は全てのバスルームで共用だ。

 生徒の部屋は各室に二人ずつで10室あるから、バスルームが3回転で9室。一番最後に僕と葛城さんの部屋が割り当てられていた。

 お風呂から上がって部屋に戻ると、もう消灯時間は過ぎていて、葛城さんは先にベッドに入っていた。毎日こんな時間だと先が思いやられる。寮長に抗議した方が良いかもしれない。

 消灯時間だからと言って、明かりを消さなくてはいけない訳ではない。単なる目安だ。僕はドライヤーで髪を乾かして、お肌の手入れをしてからベッドに入ると、上の段から葛城さんの声が聞こえて来た。


「莉音、今日はありがとう」

「え、何が?」


 お風呂に入る前にコンタクトレンズを外しているので、僕は眼鏡を掛けて布団に入り、スマホでメールを打ちながら話しを聞いていた。女性は男性に比べると右脳と左脳を繋ぐ脳梁が太いので、同時に二つのことが出来るそうだ。そういう意味では、僕の脳は女性に近いのかもしれない。


「初対面なのに、莉音が普通に接してくれて嬉しかったよ」


 性同一性障害の葛城さんは、今迄に嫌な思いを沢山して来たのだろう。どんなことがあったのか一々聞くつもりはないし、自分はそういう人達とは違うと善人面するつもりもない。


「うん、そうだね」


 それで会話は終わり、部屋は静かになった。ベッドに入ったまま上下で話していたので、葛城さんは僕がずっとメールを打っていたことを知らない。



件名:

 親愛なる母上様へ

本文:

 生まれて初めて親元を離れての生活で物凄く不安だったけど、ルームメイトがいい人みたいで上手くやって行けそうです。

 お母さんは僕が半陰陽だと分かっても、医者の薦めを全部拒否して自然体で育ててくれましたね。自分が思っていたのとは違う方に体は成長してしまったけれど、それが自然体なんだから誰も恨んではいません。中性的な外見になるよりは、よっぽど良かったと今では思っています。だって、お母さんも十代の頃は、こんなに可愛かったのかなって思いますからね。

 どうか、ご心配なく。


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