12:熊殺し

 しばらく呆けて空を眺めていた。


 なんとなく喉の渇きを覚えようやく我に返り、手を小川に突っ込んで冷やした後で、そのまま素手で水をすくいゴクゴクと小川の水を飲んだ。小川の水はとても美味しかった。


 喉の渇きを潤したところで今度は空腹を覚えたので、携帯端末を確認すると時刻は11時前にまでなっていた。なんと試し割りだけで5時間近くもやっていたことになる。


 とりあえず朝に買った弁当を食べることにした。根菜の煮物と卵焼きと何かの肉の照り焼きが入っていて、ご飯にはごまがふりかけられており真ん中には梅干しがあった。誰もいない小川の川べりで石に腰かけ一人弁当をかきこんだ。


 これまでこんなに身体を動かしたことなどないのでエネルギーを消費したせいか、あっという間に弁当は空になった。食後にまた小川の水をゴクゴクと飲み一休みした。聞こえてくるのは小川のせせらぎと何かの鳥の鳴き声。そして抜けるような青空の下でとても穏やかな気分になった。


 日差しが暖かくてそのうちウトウトと眠気がしてきた時のことだった。


 それまで聞こえていた小川のせせらぎや鳥の鳴き声など全ての音がほんの一瞬だけなくなり世界が無音につつまれた気がした。


 そして何かすごく危険な感じがして緩んでいた気持ちが一気に緊張感に変わった。


 すると小川の向こうにある林の奥から大きな何かが現われた。


 誰がどうみても熊だった・・・


 距離にしておよそ20メートル程だろうか。熊は林から出ると立ち上がりこちらを見た。立ち上がった全長は2メートルは超えている。


うかつだった・・・

油断していた・・・

のんきに弁当など食べなければよかった・・・


 弁当?そうか弁当の匂いか!くそっ!どうすればいい?目をそらさずに荷物を置いたまま少しずつ後ずさりすればいいんだったっけ?ちきしょうどうしたら!どうしたらいいんだ!!


 熊は悠長に思考する時間など与えることなく猛然と突進してきた。石を蹴散らし小川などものともせず突進してくる熊。それを背にして一目散に逃げるという選択肢は自殺行為だ。


 やるしかない、大岩だって真っ二つに出来たんだ。ならばアレを倒せる可能性に賭けるしかない!突進する熊を見てイノシシと同じように体裁きをしようと思ったが、近づくにつれて熊は上体を起こし両手を広げてきた。


 これでは横に捌こうとしてもするどい爪にやられる。どうすりゃいいんだよコレ!頭の中は真っ白でパニック状態だったが、それでも身体は反応し、あろうことか自らまっすぐ熊に向かっていった。


 熊はもう目前で、目の前には大きく口を開けた恐ろしい顔が!そしてその両手にある凶悪な爪で自分を挟みこもうとしている!


「ワァーーーーッ!!!」


 恐怖をかき消すようにあらんかぎりの大声をはりあげ、熊の眉間にめがけて無我夢中で渾身の一撃チョップを叩き込む!!さすがにインパクトの瞬間は恐怖で目を閉じてしまった。


 そのまま目を閉じた状態で身動き一つ、微動だに出来なかった・・・


 ごく数秒の間身動き一つ出来なかったが、少しづつ目を開けていくと消えかかっていく黒い煙が見えた。


 ハッと我に返りグルグルと大袈裟に身体を回して周りを凝視する。そしてもう一度目の前を確認するとそこにはもう熊は存在せず、静かな小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。足元には何かが落ちていて左手は光り輝いていた。


「やった・・・・やったんだ・・・・オレは熊を倒したんだ」

「オレの・・・オレのチョップで・・・・」

「・・・・」

「・・・・」

「ウオオオオオーーーーッ!!!」


 雄たけびを上げた、あげずにはいられなかった。こんな雄たけびを上げたことは自分の人生で一度もなかった。全身がカーッと熱くなり髪の毛はおろか全身の毛が逆立つようなそんな感覚になった。


 熟練者がいたらまだ警戒を怠るなと注意されるのだろうけど、この時ばかりは気が抜けて放心状態になってしまった。その後何度も深呼吸を繰り返し、なんとか呼吸と心臓の鼓動を落ち着かせることに成功した。


 今度は手ではなく頭ごと小川に突っ込んで、そのまま水をガブガブ飲んでついでに頭を冷やした。はたから見たらさぞやおかしな光景であったことだろう。


 ようやく通常状態に戻ることが出来たので、身体に異常はないか確認し身体各部を見回してみたが、プロテクターにはキズ一つついていないことを確認した。念のため軽くジャンプしたり屈伸したりして問題なく動けることも確認した。


 次に念を入れてもう一度周辺を警戒した。自分の五感を全て注ぐ感覚で目、耳、鼻、肌、とにかく全身で全方位の気配を感じてみた。その結果、脅威は感じられなかった。


 そこまでしてようやく考えに余裕が出てきて、そういえばレベルアップと何かが落ちていたことを思い出した。


 あまりにも濃密な生死を賭けた時間だったので、途方もない時間が過ぎていたように感じた。


 そして左手上空に投影されたステータスを確認したところ、下記のようになっていた


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冴内 洋(さえない よう)

20歳男性

★スキル:チョップLv10⇒Lv15

★称号:黒帯チョップ⇒熊殺しの黒帯チョップ

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