第2話

 革命についてわたしはほとんど知らない。革命がどうしてこんな戦争に繋がるのかもわからない。ましてや、わたしがどうして命を奪われそうにならなきゃいけないのかなんて、まったく理解できない。革命なんて教科書の中にある遠い外国か、遥か昔の出来事だと思っていた。それがいつの間にか始まり、新聞やテレビの向こうの出来事に変わった。

 本当にいつ始まったのかだって分からないのだ。初めはただのテロと呼ばれていたのに、みんないつの間にか革命と呼ぶようになっていた。けれど相変わらずわたしには遠い世界の出来事だった。見知った地名の戦場の見知らぬ誰かから送られてくるストリーミング配信の映像はリアルだったし、テレビでは詳しすぎるほどの解説が付け加えられていたけれども、それを見て母はまるで映画ねと言ったし、わたしも同じことを思っていた。ノイズ混じりの放送に映し出される戦闘の様子や、戦場の裏側と称した兵士達の営舎の様子も、臨場感を盛り上げるための小道具にしか見えなかったのだ。

 それは、この町が戦場になった今でも変わらない。空腹や恐怖にどれだけ苛まれても、わたしはいまだにどこか夢を見ているような気がしている。

 夢。そう、死をいつでも選ぶことの出来るわたしにとって、現実は夢のようなものなのだ。

 いつから夢の中にいるんだろうと、わたしは時々考える。でもそれは眠りについた時刻がわからないように、深い靄の奥にあって思い出すことができない。もちろん、この町が戦場になった日のことは思い出すことができる。つまり、わたしが一人になった日のことだ。現実が意味をなさなくなった日と、それはかなり近い。でも、それは何かが決定的に違う。そこに太陽と月のように決定的な違いをわたしは感じ取る。月の光が太陽の反射であるように、それはわたしが思い出そうとしているものの、ただの手がかりでしかないのだ。でも、たった一つの手がかりだから、わたしはその日を何度も思い出すんだ。


 その日も始まりはいつもと変わりなかった。朝のニュースでは天気予報に続いて、今日の前線の位置と、革命軍の今後の進路が予報されていた。前線はこの町の二百キロも西にあって、十日も膠着状態が続いていた。

 ローカルニュースでは、県庁に押しかけるデモ隊の様子が映し出された。彼らはまともな仕事とまともな住居とまともな教育を求めてシュプレヒコールを上げ、ついでに知事の解任を要求していた。次の映像では、彼らは機動隊に石礫と火炎瓶を投げつけ、強化プラスチックの盾に殺到していた。ニュースキャスターは、デモの勢いは今後ますます強くなるだろうと解説を加えていた。

 なるほどそうだろうとわたしは思った。わたしのクラスでもデモに加わるために何人もの生徒が学校を休んでいたし、もうすぐ学校に来なくなるだろう生徒がその三倍はいたからだ。彼らは彼氏や彼女や友達に誘われて一度か二度デモに参加した子たちで、それ以来ずっと熱病にでもかかったように世界が変わるよと繰り返し話していた。そうなってしまうと、たいていの子は二、三週間もすれば学校に来なくなってしまう。クラスの空席はそうやって増え続けていた。

 わたしは何度か、学校に来なくなったクラスメイトから革命についてのURLを受け取ったことがある。ためしにクリックしてみると、オメガやゼータといったギリシャ文字のコードネームを与えられた革命軍のリーダーのたちの、アイドルみたいに修正された写真の並んだSNSが表示された。彼らのフォロワーは、わたしの見ている間にも絶え間なく増え続けていた。

 まったく、それは熱病に似ていた。

 けれども何回ものインフルエンザの学級閉鎖でもぴんぴんしている子がいるように、その気配のない生徒がいることも確かだった。わたしは彼らには何らかの共通の数式的な法則があるんじゃないかと思っているけれど、今のところそれはよくわかってはいない。強いて言えばだいたい二割くらいの子はどういう法則でグループを分けても、まったく革命に興味を示さなかった。たとえば服装や髪型も派手な感じの子達や、あまり外見はぱっとしないオタクと呼ばれる子達も、普段は共通点なんてないくせに、同じように学校に来てはいつも通りの生活を続けていた。

 わたしもその二割のうちの一人だった。わたしもいくら語りかけられても、世界の変化がさっぱり理解できなかったのだ。今の世界が終わるのは、まあいい。それはなんとなく理解できる。でも、その先にはいったい何が待っているのだろうか。たとえ革命が成功しても、わたしは結局、毎日同じように学校に通っているだけなんじゃないだろうか。

 テレビの向こうでは、機動隊の封鎖をようやく掻い潜ったデモ隊の一人が、つんのめりそうになりながらも鉄パイプを手に走り出していた。わたしはその様子を眺めながら、彼の目にはいったい何が見えていて、いったいどこに向かっているのだろうかと思った。

 寝たきりの祖母も含めて家族四人で朝食を食べたあと、父とわたしは家を出た。町のあちこちでは鋭角的なフォントで描かれたストライキを呼びかける看板が林立していて、そのせいで見慣れているはずの町は、まるでどこかの前衛画家が大げさに描いたスケッチか風刺画のように見えた。明け方に線路に置石があったらしいが、電車はちゃんとストライキ用の臨時ダイヤを守って動いていたし、学校も教師が半分しかいなかったけれど、いつもと同じようにちゃんと授業があった。多分、父の会社もどこか歪みながらもいつも通り始まったはずだ。

 けれど、決定的な異変が昼休みに起こった。

 急に非常ベルが鳴り響いて、校内放送が始まった。スピーカーの向こうで校長が重々しい口調で語りだし、午後から休校になることを告げた。

 ざわめきが止んで静まり返った教室に、質の悪いスピーカーから届く校長の割れた声だけが響いていた。校長は話しているうちにどんどんと早口になって、言葉はところどころ聞き取れなかったけれど、革命軍が侵攻を始めて自衛隊と県境の近くで小競り合いを始めたことだけはわかったし、それだけで十分だった。

 放送が終わるのももどかしく、例の熱病に侵された生徒のうち数人が、「やった」とか「来た」とか叫びながら、教室を飛び出していった。

 彼らの足音が行ってしまったあとは教室はまた静まり返ってしまった。みんな、笑顔に戻っていいのかどうかわからないといったふうな顔をして、昼食を食べるために机を引っ付けたりして作っている小さなグループのメンバーの表情を窺いながら、状況がどれほど深刻なのかを探り合っているようだった。

 突然、一人の男子が立ち上がり、小銃を構えるまねをして、「バババババーン」と大声でおどけてみせた。けれど、誰もぴくりとも笑わなかった。彼の冗談が不謹慎だったとか不快だったわけじゃない。彼の冗談はいつもならもっと不謹慎で不快で、前日に彼氏と別れたばかりの女の子に向かって「お前、今日は放課後暇だろ? 俺とセックスしよう」くらいの意味不明なことを平気で言う奴なのだ。でも、いつもならそんなふざけた言葉でもクラス中を笑わせることが出来るお調子者で通っているはずの彼だったのに、誰もが彼を黙殺した。たぶんその時その場所で、彼の冗談はわたしたちの望んでいたものじゃなかったのだ。わたしたちはむしろ、彼が小銃じゃなくていつも通りバイブレーターの物真似でもしてくれることを望んでいたのだ。

 誰かが大きな音を立てて、缶ジュースのプルタブを開いた。しんとした教室に、大げさなためいきのような炭酸の抜ける音が響いた。するとそれをきっかけに、まるで予定調和のような喧騒が教室に戻った。無数の話し声に加えて、とりあえず昼食を食べきってしまおうとする男子が立てる弁当箱と箸がせわしなくぶつかる音や、カバンから携帯を取り出す音や、外に出ていた生徒達が戻ってくる足音で、教室はちょっとした騒ぎになった。

 わたしも何人かの友人に話しかけられた。ほとんどは避難先や、その心当たりについて尋ねるものだった。避難するなら国外かなるだけ北へというのが常識だったが、わたしの家族は北海道や東北やましてや国外に親戚などいなかったし、あてのない国外生活が出来るほどのお金持ちでもなかった。わたしはきっと政府が用意している避難所に入るんだろうと答えた。友人達も同じ状況で、わたし達はネットで得た断片的な知識で、避難所の生活を考えながら、お風呂はちゃんと入れるだろうかとか、着替える場所はちゃんと確保されているだろうかとかの、どうしようもない心配をしていた。

 そうやってわたし達はわずかな間、いつもと変わらない昼休みを過ごしていた。けれど担任の教師が戻ってくると、わたし達は追い立てられるように教室を出て帰宅させられた。おかげでわたし達のクラスではさよなら言う時間もほとんどなかった。

 滑稽なことだが、わたし達はこれからずっと先の生活のことばかり考えていて、すぐに下校しなくちゃならなくなるということに、誰も気づくことが出来なかったのだ。

 クラスメイトたちと校門で別れるとき、何かを言いたくて、けれども咄嗟にはうまく言葉が出なかったことを覚えている。学校なんてくだらなくて、友達なんてうわべだけの付き合いだとずっと思っていたはずなのに、今になって思えば弁当なんて食べていないで、せめてお別れくらいちゃんとしておけばよかった。きっと死んでしまったり、もう二度と会えない子もいるはずなのだ。でも、今のわたしには彼女達の生死を確認する術すらない。

 帰り道の電車は、いつもの朝のラッシュよりずっと混んでいた。外は夏服にはかすかに肌寒く秋の気配を感じるほどだったのに、車内は人いきれで蒸されていて、窓はじっとりと濡れていた。発車ベルが鳴り響くと同時にわたしはドアに押し付けられて、息が詰まりそうで、せめて曇ったガラスを拭った。でも、そこにも出鱈目に詰め込まれた衣装ダンスのようにひどく渋滞した道路があった。動く気配もない無数に並んだテールランプの赤色を見ていると、まるで誰かがわざとわたし達の行く手を遮っているような気がして、少し気分が悪くなった。

 電車のダイヤは乱れていた上に、しばしば何分も信号待ちをした。乗客は皆、不安と苛立ちの混ざった表情に顔を歪めていて、信号待ちのアナウンスが流れるたびに、車内のあちこちで不満の声があがった。わたしはなるだけ他の乗客の顔を見ないようにしながら、携帯で母にメッセージを送った。

〈これから帰るよ。午後から休みになったんだ〉

 母からの返事はすぐに来た。

〈待ってるね。お父さんも帰ってくるそうです。お父さんが会社から車を借りて来るそうなので、一緒に避難しましょう〉

 けれど、いつもの倍の時間をかけて家に帰り着いたとき、家には誰もいなかった。たった3LDKのマンションは、家中を探してもほとんど時間はかからない。祖母の部屋からは紙おむつと車椅子が消えていた。父と母のベッドが並んだ寝室の戸棚からは、通帳や印鑑の入ったクッキーの缶とノートPCが無くなっていた。キッチンに置いていた非常用の食料も半分以上が持ち出されていた。それなのにわたしの部屋だけが手付かずで、衣類や必需品をひとまとめにしてあったボストンバッグもそのままだった。

 かといって置手紙が残されているわけでもなかった。念のため、テーブルや玄関の靴箱の上や新聞受けも探したが、手紙どころかメモさえもどこにもなかった。父と母のそれぞれの携帯に電話をしたが、二人とも、電波の圏外にいることを知らせるアナウンスが応答しただけだった。

 認めたくはなかったが、わたしは置いていかれたのだ。

 けれど、永遠にわたしを置き去りにしたものか、それとも、たとえば祖母だけを寝たきり老人のために用意された避難用の大型バスの乗り場に連れて行き、その後でわたしを迎えに戻ってくるような一時的な置き去りなのかが、わたしにはわからなかった。ひょっとして、父が会社から借りてきた車が軽自動車で、寝たきりの祖母と四人で荷物を載せて避難するには小さ過ぎたのかもしれない。

 わたしは父と母に帰ってきたことを知らせるメッセージを打ち、家で待っていることを告げた。それ以外にわたしに出来ることはなかったし、その後すぐ町中に銃声が轟き始めたので、結局わたしにはそれ以上のことは永遠に出来なくなった。

 そして、結局誰も戻っては来なかった。連絡もない。

 一人で家の中に篭っていても希望なんてないことは知っている。隠れているうちにどんどん状況は悪くなる一方だ。ネットと携帯は最初の二日で繋がらなくなって、電気は一週間で止まってしまった。おまけに戦闘は激しくなるばかりで一向に止む気配もない。

 いつの間にか、わたしはこの生活を何日続けているのか、それさえもすぐには思い出すことができなくなっていた。眠る前、ベッドの中でときどき避難所のことを考える。家族や友達はちゃんとたどり着くことができたのだろうかと、あの日学校で想像した避難所での暮らしに彼らの姿を重ねてみる。でもそれは砂を積み重ねて城を作るように、すぐに形を失ってしまう。ましてやそこにわたしがいたかもしれないなんて、どうしても想像することができなかった。

 考えるのは、家族がわたしのことなんてとっくに諦めているんじゃないかとか、避難所にわたしの姿がないことを知った友達にももう死んだと思われているかもしれないとか、もしかしたら友達や家族はみんな死んでいるのかも知れないとかそんなことばかりだ。わたしには人を思いやる力やポジティブな想像力が欠けているんだろうかと、ほんの少し不安になる。けれどそのかわり、わたしを置き去りにした家族のことを恨む気持ちも、まったく沸いてこなかった。多分、やっぱりわたしには何かが決定的に欠けているのかもしれない。

 だって、わたしは自分の命も大切に思えないのだ。わたしはいつだって死ぬ事が出来る。首を吊って死ぬ事をわたしは受け入れている。だから、誰かに生きている事を望んでもらう必要性も、生きている事を知ってもらいたいという欲求も、わたしは感じることが出来なかった。

 それに、もし家族や友達が皆無事に生き延びて、わたしの生死を心配してくれているとしても、どうせ連絡のつけようなんてないのだ。だって町は戦場なんだ。無理に生きている事を知らせようとすれば、その前にきっと兵士たちに気づかれてしまう。そしたら彼らは、まるで漁師達が魚を引き上げたときのように、わたしの生を喜び、生身の体を喜ぶだろう。でも結局彼らは魚の肉を貪るようにわたしを陵辱し、命を奪うだけなんだ。だから、海底で誰にも見向きもされず、ひっそりと生きるヒトデのようにわたしは生きるんだ。

 そう、わたしは誰にも生きている事を知られてはいないし、望まれる必要だってない。

 多分これは孤独なんだろう。他に例えるべき言葉を知らない。けれど、わたしはそのことを意識せずに生きている。だからわたしはとても穏やかだった。

 少なくとも、想像していたよりもずっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る