16、レバーのフォンダン

「いらっしゃいませ」


 今日のミリアムは、これまでとちがい店の前ではなく、シトリン亭と道を挟んだ海岸側で声をかけている。

 気持ちのいい気候なので、菩提樹の下の席を選ぶ男性客は多い。


「これはなんだい?」


 海に近い木の枝にかけられた布の覆い。

 菩提樹の席から見える景色を邪魔はしないけれど、やはり誰もが気になるようだ。


「こちらは女性のお客さまのお席なんです」

「なんで?」

「レディやマダムは、秘してこそ花ですよ」


 自分でもなにを言っているのかわからないけれど。ミリアムの説明に、男性客は「ふぅん。そういうものかね」と納得した。


 たしかにテラス席での食事は、女性でもできる。

 でもそれもお行儀よく、マナーを守ったよそ行きの姿。つねに人に見られることが前提で会話も控えめ、品よくとる食事は少々窮屈だ。


「あら、もしかして花の宴の模様かしら」


 ふたりづれのマダムが立ちどまる。


「ほんとうね。これはヤドリギの実を運んでいるわ。なつかしいわね、子どものことを思いだすわ」

「そうなんですっ」


 ミリアムは勢いこんだ。

 わかってもらえた。それがこんなにも嬉しいなんて。

 

 覆いのむこうには、布が敷いてある。ピクニックのような地面に座るスタイルだ。


「遠出をしなくても遊びに出かけたみたいで、楽しいわね」


 女性客が徐々にふえてくる。

 レオンがシトリン亭から運んできた料理を、ミリアムが給仕する。なにしろ男性禁止なのだから。


 まずは鶏レバーのフォンダン。それに根セロリのサラダ。

 なめらかで濃いレバーと、あっさりとしたサラダの組みあわせは好評だった。


「ピクニックでも、こんな風に海のちかくでお食事をいただくことはないわねぇ」

「ふふ、お行儀が悪くて楽しいわ」


 うすく切ったパンにとろりとなめらかなレバーを塗って、そのままぱくり。

 こってりとした口のなかに、さらにワインを。

 ミリアムはお酒は飲めないけれど。マダムたちの満足そうな顔を眺めていると、くぅぅとおなかが鳴った。


 レバーの煮込みは臭みもあるし、ぱさぱさしているからミリアムは苦手なのだけれど。調理法がちがうだけで、おなじ材料でもおいしくなるのが不思議だった。


「キュウリのピクルスがさっぱりしていいわね」


 フォンダンは、とろけるような柔らかい食感の意味。

 ふんわりと空気を含んだフォンダンは、いくらでも食べられるようで、マダムたちはおかわりを頼んだ。 


「フリットを持ってきたぞ」

「はぁい」


 レオンの声が聞こえる。虹の木からふんだんに垂れさがる花房を手でのけながら、ミリアムは覆いから出た。


 揚げたてなのだろう。

 レオンが運んできたフリットは、ほわほわと湯気がたっている。


「こちらはホタテ貝とズッキーニのフリットです。揚げたてですから、熱いうちにどうぞ召しあがってください」


 ミリアムが説明すると、お客さまから歓声があがる。

 お客さまはぜんぶで六人になった。

 テラス席で食事をしたことのある女性がほとんどだ。


 風はそよいで、黄色やピンク、白にそまった花が頭上で揺れている。

 どこまでも海は静かで、寄せる波はさらさらと砂浜をなでている。

 ゆったりとした時間。


(レオンお兄さまは、こういうおだやかな時間を望んでいらっしゃるんだわ)


 王都での議会も、めったに戻ることのないレオンの実家であるリングダール伯爵家も、ぴりぴりと緊張した空気に満ちていると、ミリアムは父から聞いたことがある。

 あれはストレスがたまる、とも。


(わたしもお兄さまに、平穏でやすらいだ日々を送っていただきたいもの)


 さわがしい声がして、突然ばさっと覆いがめくられた。


「なんだよ。ここにも席があるじゃねぇか」


 乱入してきたのは、高級なシトリン亭にはふさわしくない風体の男だった。

 海岸通りを行く人々は、男性も女性も背筋を伸ばして歩いている。紳士は帽子を、淑女は夏ならばレースの手袋に日傘をさすのがマナーだ。


 けれど男は猫背で目つきが悪く、両手をポケットにつっこんでいる。


「あ、あの。ここは女性のお客さま専用のお席なんです」

「はーぁ? なんで女なんかを特別扱いしないといけねぇんだよ」


 ミリアムの足ががたがたと震える。

 背後で女性客の悲鳴があがる。


(こわい。でも、ここで逃げるわけにはいかない)


 お店の人間がお客さまを守らないで、誰が守るの?

 ミリアムは両腕を広げて、立ちはだかった。

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