14、おるすばん

 二日後の朝。

 ミリアムはエントランスの外に出て、馬車に乗って去っていくレオンを眺めていた。


 ブルーノが「え? なんでこないの? おなかいたいの?」といいたげに、なんどもミリアムをふり返る。


 嵐の後の朝に家に戻ってきた日は、一日じゅうやすんでいたし、シトリン亭も店休日となった。

 お互いに疲れていたこともあり、ちゃんとレオンと話をしていない。


 レオンの部屋のドアをノックしようと思って、手を伸ばしても。結局、ミリアムはただマホガニー色の扉に触れるだけで、音もなく自室に戻った。


 今朝も、ミリアムがニンジンの皮むきのお手伝いをしている間もキッチンは静まりかえっていた。


「あら、もうしわけございません。誰もいらっしゃらないと思って」

「おふたりともいらしたんですか。気づきませんでした」


 談笑しながらキッチンにはいってきたメイドに、謝られてしまうほど、ふたりのあいだに会話はない。


「つまんないの……」


 門を出て、すでに見えなくなってしまった馬車を、ミリアムはいつまでも見送る。

 モンシロチョウが、のんきそうにひらひらと薔薇のあいだを舞っている。

 あまりにも軽いチョウの体は、薔薇の花弁にとまっても、花がゆれることもない。


「わたしの存在も、レオンお兄さまにとってはあんなにも軽いのかな」


 いやだな。こんな後ろ向きな考えかた。

 ミリアムはふるふると首をふった。


「刺繍の続きでもしよっかな。あとちょっとだし」


 目隠しの覆いのむこうで催されるはずの、女性客だけのゆったりとした宴を見てみたかった。

 

◇◇◇


 レオンは馬車を操縦しながら、肩を落とした。

 いまの自分のまとう雰囲気が、どよーんとしているのは百も承知だ。


 嵐の夜のことは、誰にもとがめられなかった。

 むしろ「適切な判断だ。橋をわたるときに増水して、危険があっては大変だからな」と、男爵にはむしろ褒められた。


「きみひとりなら、戻ってくることもできたろうに。ミリアムがくっついていたばかりに、迷惑をかけてしまったな」とも。


「俺は頭が固いのか?」


 それとも実家であるリングダール家が、厳しすぎるのか?

 わからない。

 議員仲間には相談できない。むしろ鼻で笑われる。子ども相手に悩むようなことか、と。


「いや、ちがうな。婚約者が十二歳であることをバカにされたくないから。彼女の存在を話したくないんだな」


 御者席のとなりに、ふだんよりも風が抜ける。すうすうと。

 春まだ浅い時季よりも、夏も間近な今のほうが涼しさをかんじるなんて。どうかしている。


◇◇◇


「できたぁ」


 その日の午後。ミリアムは床に広げた布の前で両手をあげた。


「あっ」


 けれど、糸をとおした針をもったまま手をあげたので、刺繍の最後の部分がひっぱられて布が持ちあがる。

 布を汚してはいけないので、母やメイドたちにもミリアムの部屋にはいるときには靴を脱ぐようにと頼んだ。


──お嬢さま。面倒ですよ。

──ミリアム。さすがに靴下だけというのは、どうかしら。


 そんな小言を聞き流す日々も終わり。


「さぁ、これをレオンお兄さまに見てもらうのよ」


 開いた窓から射しこむ光が、ライラック色の布地をすかして、あわいむらさきの色に染まる。

 シトリン亭の名前と、花の宴の模様。小鳥がはこぶヤドリギの実。


 女の子なら、知識として教えられるので、この覆いのむこうでお食事がとれることはわかってもらえるはず。

 それに浜には人はいないし、もしいたとしても海岸通りと浜の間には木々がしげっているから。通りからも砂浜からも目隠しになる。


「紳士は察して覗こうとしないだろうし。それでももし男の人が目隠しの奥を見ようとしたら、わたしとブルーノで……」


 ミリアムの声は消え入るほどに小さくなった。


(そうだった。わたしはもうお店でのお手伝いをしなくていいんだった)


 庭をわたった草の匂いの風が、ライラック色の布をひるがえす。ばさばさと。

 その時、馬車の車輪の音がきこえた。

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