夢をみる少女 ⑵

「あなたってきっと、綺麗なお顔なんでしょうね」

(いてててっ!)

 リティアの声に誘われるように出しかけた手を、赤い魔術書が噛んだ。無闇に魔法を使ってはならないという、アレッタ様との約束をついつい忘れていたからだ。危ない危ない。

「弟子の顔が綺麗なお顔だなんて。どうしてそう思うのさ。見てもいないのに」

 ロココは彼女を覗き込むようにして訊いた。背中を丸めて、先っぽにぶら下げたランプで、リティアの顔を照らすように。

「白い髪は肩で綺麗に揃っているし、高価なお洋服に皺がないもの」窓際のその子は、手をかざして灯りを遮って笑う。「そういう人はこの街ではみんな綺麗なお顔よ。羨ましいわ」

「君だって綺麗さ」喋るほうきは饒舌だった。

「……そんなこと」リティアはどうやら、ほんのり赤くした顔をランプの灯りに照らされた。

 女の子を熱らせて、ロココの饒舌は面白いように続いた。

「お人形のような顔に、宝石のような青い瞳。月の色をした長い髪に、死人のような白い肌」

「しにん?」

「冗談だよ。お姫様のようさ」

「面白いほうきのおともだちね?」

 僕をみて、彼女は微笑んだ。なんだか全身がむず痒い。女の子に声をかけられたことなどないからだ。しかも、可愛らしく。

「あなた、お名前は?」

(なまえだって? それ僕に言ってるのかい?)

「弟子に名前はないよ。弟子は弟子さ」

「顔は見せてはいけなくて、名前もないの? ……声も、出ないのかしら」

「たまには喋るけどね。顔を見せている時だけさ。ついでに弟子には思い出もなければ、心もないよ。全てをアレッタ様に預けて弟子になったのさ」

「……まあ、心もないだなんて変わってる」

 それは、覚えていないほど前。小さな頃からだ。

「それが魔術師アレッタ様の弟子になる条件だもの。いいかい? アレッタ様の弟子は弟子だけ。すごいことなのさ」

 ほうきが自慢げに教えてあげると、リティアの青い瞳はまた、きらきらと煌めいた。

「魔術師だなんて、ご本でしか見たことがないの。素敵ね……魔法が使えるの?」

(少々だよ。僕はまだ、修行中の弟子だもの。)

「もちろんさ。どうだい? 夜空の散歩でも」

「本当に……?」

 僕には、少々眩しいが。

 リティアの青い瞳は、星のように綺麗だ。たしかに夜空が似合うだろう。

「弟子に二言はないさ」

 ほうきは胸を張る。手があれば差し伸べて「さあどうぞ、お嬢さん」なんてぬかしていただろう。気持ちはよくわかる。リティアと話をするのは、心地よいものだ。

 さっきまでボロの壁の穴に見えていたそれは、今となってはまるで、僕らの居場所を繋ぐ窓。気がつけばお互いに肘をついて、顔を乗せていた。キスができそうなほどそばにいる。キスの仕方はまだアレッタ様に習っていないが。

「じゃあ、明日の夜に空のお散歩をしましょう?」

「今じゃないのかい?」

「明朝から仕事があるの。ルザンナ公爵のご令嬢の目になりに行くのよ? 今日はもう寝なくちゃ」

「公爵令嬢の目かい?」ほうきは再び、リティアを照らした。「どんな仕事なのさ」

 問いかけに、窓越しの女の子は、夢を見るように星空に語るのだった。

「ルザンナ家の公爵令嬢はお美しいけれど、生まれつき目が良くないの。だから、お手伝いをして差し上げるの。ご令嬢が私を選んでくださったのよ?」

 僕とほうきは、うんうん、と頷いた。なるほど。公爵令嬢は目が見えないから、色々とご不便があるのだろう。

「美しい人は、美しい場所にいるわ。憧れだったの。あの場所に行くのも、あの人をそばで眺めるのも」

 顔を見せない奇妙な僕に、笑ってくれる女の子だ。この子なら、精一杯公爵令嬢とやらに尽くすだろう。選ばれるのは頷けた。

「綺麗なお洋服を着て、髪だって整えるわ。化粧だって。そうしたら、あなたと一緒に夜空のお散歩をしたって恥ずかしくないわ」

(着飾らなくたって、君の青い瞳は、僕には少々眩いのだよ。)

「君は男心をわかっちゃいないね」

「……どうして?」

 心がない僕の心に、ほわっと、あたたかいものが灯った。街や人、歴史や文化を焼きつくす、赤い火のようなものだ。

「弟子は君と早くデートがしたいのさ。待たせるなんて、酷だね」

 はじめてのことだった。これはきっと、良い心。

 リティアも顔を赤くして、月のように眩しく微笑んだ。

「心がないなんて嘘よ。心って芽生えるものですもの。そうじゃなきゃ、私だってデートを断っていたわ」

「何か芽生えたのかい?」

「きっとこれは、恋なのよ」

(わっ!)

 僕は驚いて、後ろに倒れた。尻餅をついて痛い思いをした。恋だなんて言うのだから。衝撃的。

「こりゃ大変だ」

 ロココはあからさまに慌てた。赤い魔術書も、僕の顔に覆い被さった。ふたりとも、僕とあの子の間に壁を作るのに必死らしい。

「とにかく今日は休もう。魔法は心。心が乱れると、暴発するよ。弟子が恋を知るにはまだ早いよ」

 魔法は、心なのだと習った。

 魔法は、暴発するのだと教わった。

 僕も、そうなのだろうか?

「でも、ご本で見た魔法は、百万個の流れ星のように綺麗だったわ?」

 そのご本は、どこにあるのだろう。魔法を語る本が、モルスの他にもいるのか?

 リティアは、それを知っているのか?

「あまりきらきらと輝くと、街がひとつなくなってしまうよ」

 素敵な感情が、心の中に染み込んでくる。百万個の流れ星のように輝いている、綺麗な感情だ。

「面白いことを言うほうきね?」

 その魔法は、どんな色で、重いのか、軽いのか。

 どんなあたたかさで、それとも冷たいのか。

 どんな魔法になり、どのように輝くのだろう。

「今日はおやすみ。弟子は色々と、不安定さ」

 心は、芽生えるもの。僕の胸は、熱くて痛いが。それは、初めて知った感情だ。

 僕が飲み込んだアレッタ様の涙に、勝るとも劣らぬ、美しいものを見つけたような気がした。

 僕の中にそれを宿し、それをあたため、それを輝かせ、それを育て、果てはどうなるのだ。

「弟子はもう、休んだ方がいいね」

 考えると、心臓が痛いのだ。抉り取って、握り潰したいほどに。

 それほどに、僕の胸は熱く、痛むのだ。

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