夢をみる少女 ⑴

 十七の夜。

 おまえ、今宵で十七くらいだろう――アレッタ様がそう言った。要するに、街を自由に歩いたり、空を自由に飛んでいいとお許しをもらった夜。それはつまり小さな子どもだった僕も、一人前の魔術師に手が届いたということだった。

 僕にとって今宵は、記念すべき十七の夜。

「やあ弟子。気分はどうだい」

 黒い夜空の上で、ほうきは陽気に声をかけてきた。

(まあね。気分はいいよ。)

 夜空を見上げて、黒くて可愛らしいほうきに胸の中で言葉を返してあげる。

「空の上で寝そべっているものね」ほうきはどこか嬉しそうに言った。「見てよ、今宵は満月さ。月は旅には欠かせない演出だもの。なかなかよい旅の始まりだよ」

 森の外に出る時はいつも、心配性のアレッタ様が一緒にいる。しかし今夜、僕とほうきはふたりきり。

(森から見上げる月はいつも青いのに。森の外の人たちが見ている月の色は黄色いのか)

「アレッタ様が青くしているのさ。その方が、心が落ち着くからだよ」

 気さくに声をかけてくる黒いほうき――ロココは僕の可愛いほうき。付き合いはかれこれ十四年らしかった。思い返しても覚えてはいないが、一番近い思い出の中でロココはそう言っていた。果たしてほうきはいつから喋るようになっただろう。思い返せる思い出の中で、ロココはもう喋っていた。

(僕も月は青い方がいいよ。)

 胸の中の言葉をロココに伝えるのは、容易なこと。僕らは常日頃、一心同体なのだった。

 ロココとふたりで夜空を飛ぶと、そんな当たり前のことが神秘的に思えてならなかった。

「慣れない旅になりそうだけど、弟子は調子がいいようだ。よし、ここらで一度おりてみよう」

(好きにすればいいよ。僕は地図すら読めない。)

「弟子はアレッタ様に教わってないもの。きっと魔術師に、地図は必要ないということさ」

 故郷の森を離れると、ご機嫌なロココが空の上でふわふわと速度を緩めた。その時、僕は不思議なものを見た。おかしなことに、夜空に瞬く星屑が下にもある。いくつもだ。

(あれは、なんだろうか。)

 空が下にあるのだと思った。空を飛んでいるのに。

「街明かりさ。大きな街だよ。そして、優雅で美しい街のようだね」

 ロココは降下した。街明かりはさっきよりもぐんと近くにやってくる。

 ほうきの上で、僕は堪らず立ち上がり、夜空を見上げた。眩しくて目が痛い。

「まだ遠いけど、弟子はもう街の光に酔ったのかい? この街は金持ちの街らしいね。人だって輝いているよ」

 宝飾の輝きも金銀の装飾の光沢も、僕の目には全てが眩しかった。思わず、布を巻いた顔を掻きむしってしまうほど。

(目玉を捨ててしまいたいよ。)

「爪を立てちゃだめだよ。綺麗な顔に傷がつくだろう? アレッタ様を悲しませちゃいけないよ。落ち着いて」

 煌びやかな世界は思った以上に目に煩わしい。ローブのフードをかぶって、目を隠してみるが。

「……こりゃ弟子には刺激が強すぎたか。頼むから顔だけは晒さないでおくれよ……ん?」

(どうした?)

 するとロココは東に旋回。いい場所があるのだろう。

「あっちのクロックタワーの方はどうかな。まるで貧乏丸出しのボロ家がいっぱいだ。暗いよ」

 ちらりとロココが指し示す方角を一瞥した。そして、こくりと頷いた。

(ああ、いいね。)

「行こう。さあ、もう布を掻きむしるのはやめて。まったく気が気じゃないよ」

(わるい。もうしない。たぶん。)

「まったく先が思いやられるよ」

 おそらく、アレッタ様も同じように旅に出たのだろう。今は亡き恩師がおり、一人前の魔術師になるための修行の旅へ出たのだ。それは今の僕のように十七の夜であり、空の旅から始まったのだろう。

 美しい、満月の夜であっただろう。多くの街を訪れ人々と出会い、言葉を交わしただろう。そして旅を終えたとき、一人前の魔術師に。

(僕は本当に、一人前の魔術師になれるだろうか。)

 しかしながら、拾われ子の僕は果たして。

 アレッタ様と僕は、流れる血が違うのだから。

「なれるさ」

(なれなかったら、どうすれば?)

「アレッタ様はなれるって言ったもの。なれるさ」

 アレッタ様は、嘘をつかない。

 僕はほうきを撫でてあげた。

(そうか。)

「そうさ」

 旅を終えた僕は、アレッタ様のような美しい魔術師になる。

 十七の僕は、赤い魔術書を抱いて願い、旅に出たのだった。



    ◇



 石造りのクロックタワーはなんとも汚らしい。じめっとしていてカビ臭くて。ご丁寧に崩れた壁に穴があり、そこからお邪魔すると着地に失敗した。羽織っていた黒いローブも他所行きの黒いジュストコルも見事に埃まみれになってしまった。

(ああ、お気に入りだったのに。)

 仕方なく手で埃をたたいていると、その時。

「あなた、どうして顔がないの?」

 唐突に、壁にあいた穴から声がした。僕は固まった。どこから声をかけられる? ロココが突入した穴だろう。ということは、外から誰かが僕に声をかけたということなのだ。

(……ここは三階なのに。どうやって?)

 パチンと指を鳴らし、ほうきの頭にくっついているランプに火を灯らせた。廃墟同然の心地いい内装が、ほんわりとした灯に揺れた。そして僕は、そっと振り返った。

(……殺される?)

「誰だい。弟子はいろいろと不安定でね。ぼくが代弁を」

 ロココはできるほうきだ。幼い子どものように命知らずである。胸を張って僕の前に出他のだからすごい。声の主と僕の間に割って入った。

 ほうきの細い身体の後ろで、僕は背中を丸めて覗いた。どうやらお隣の建物も壁に穴があいている。お互い様というやつだ。素晴らしくボロい。

 なるほど。声の主は隣の建物にいるようだった。

「わたしはリティア。ここは富の街ルピナスと呼ばれているわ」

「富の街だって? たしかに西側は煌びやかだったよ。でもこっちはボロ家しかないじゃないか」

「貧富の差があるだけ。同じ街よ」

「それにしては、差がありすぎじゃあないかい?」

 ロココは馬鹿にしたように言った。けれども、リティアという女の子は、金色の長い髪を月光に照らして柔らかく微笑んだ。ボロ雑巾のような服を着て、窓がわりの壁の穴に肘をつき、小さな顔を乗せて。

 僕も恐る恐る壁の穴に近づいた。この子は怖くはない。少し、違和感があるだけ。瞳が、やけに。

「こんばんは、顔なしの人」

 顔なしとはなかなかに失礼だ。けれども、屈託なく笑う女の子だった。喋るほうきも怖がらない。

 僕は黙って、こくんと頷いた。

「旅人さんでしょう? ねえ、どうして旅を? どうして顔がないの?」

 真っ黒い布を巻いて覆っている僕の顔に、リティアは手を伸ばした。布を取って欲しいのならお断りだが、僕は動けなかった。体が、動かない。ここは暗くて汚いのに、リティアの目が眩しいほど煌めいていたからだ。

 宝石のような美しい瞳。みずみずしく、目が痛いほどに。動けないほどに。それはまさしく、みたことがない、不思議な魔法のようだった。

「旅をしているのは、弟子がアレッタ様のような立派な魔術師になるためさ」

「……まじゅつし? ご本に書いてある魔術師? ほんとうに?」

「それに、見せていないだけで、弟子には顔があるよ」

「まあ……」

 ロココが代弁すると、リティアは伸ばした手をすっと引っ込めた。その顔を見てはならないのだと察してくれたのだろう。きっといい子なのだ。

 けれども、

(……手を洗ったことがないのかい?)

 傷だらけで汚い手をしている子。

 少しの傷なら、僕は治してあげられるだろうか。魔法で長い髪もボロ雑巾の服も綺麗に整えてあげられるだろう。

 そう思い、今度は僕が黒いローブから手を伸ばしてみた。が、

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