嘘つき魔術師アレッタの償い

モルスの思い出語り

 モルスは本。魔術師アレッタ様の、赤い魔術書。

 はるか昔、アレッタ様を誑かした悪い女がいて、魔術書を装丁をする際、その表紙に女の顔を封じ込めたのだとか。だから、アレッタ様の赤い魔術書は語ることができる。

 本になったモルスはしばらくして、アレッタ様に従順になった。お仕置きにうんざりしたのだろう。そこは出ることもできず、消えることもできない、本の表紙という名の監獄だもの。

 その魔術書を開いてみると、本扉にはアレッタ様のお名前があった。ガラスペンで刻まれた、青いインクのお美しい字だ。その先にはアレッタ様の魔法の言霊が、つらつらと楽しげに綴られていることだろう。

 しかし魔術書の中扉には、思い出がひとつだけ書かれている。

 モルスのもうひとつの役目は、僕に思い出を語ること。名前も思い出も、心もない僕に。おやさしいアレッタ様が、思い出を書いてくださった。


「モルスが弟子に語ろう。魔術師が、弟子を見つけた日のこと」




『私の可愛い弟子へ』


「みんな凍ってしまったのに、ひとりだけ生きてる子、だーれだ」

 その日、私が呼びかけると、凍った城の地下室から子どもがひとり出てきました。真っ黒こげのほうきを持った、可愛らしい怪物です。泣いて腫れた目を擦っていたし、おまけに綺麗な顔を血まみれにしていました。あれはどう見ても、小さな怪物だったのです。

「ぼくは、」

 年頃は五、六歳でしょうか。酷い仕打ちを受けたのか、震えていました。しかし呼吸を整えると瞳に活力を養い、私に見惚れたようでした。白い髪にいくつも宝石を飾って纏めた私を、目を見開いて見て驚いてもいました。それだから私は、髪に飾った宝石をひとつ手に取り、教えてやったのです。

「これは魔女の涙。私は不滅の魔女のただひとりの生き残りだからね。流れる涙が、魔法の宝石になるんだよ」

 そしてまた、魔女の涙を髪に飾って見せました。小さな子ですから。あやしたつもりです。すると怪物は、首を傾げて私に言いました。

「不滅の魔女なのに、どうしてほかの魔女は滅んだのですか……?」

「これは賢い子だ」私は賢い子が好きですから。「不思議だろう。私も随分長く答えを探しているよ」

 事実です。おまえの想像をはるかに超える程には、長い時間をかけました。そう教えてやりました。

「魔術師様は、不滅の魔女が滅んだこたえを見つけたのですか……?」

「さてはおまえ、知りたいのかい」

 答えを出し惜しみする意地悪な私を見上げ、怪物はこくんと頷きました。その顔は、それはそれは美しいのです。

 まんまるい純粋な瞳に、長い睫毛。真っ白い肌には、赤い血液がよく映えます。思い出せばあの頃の怪物はまだ、黒い髪をしていました。

 大切に育てられ愛情を注がれた証は、皺の少ない詰襟のシャツと身体に合ったズボン、よく磨かれたブーツを見ればわかるものです。育て方が良かったのでしょう。おかげで怪物は私によく似て素直で、大変可愛らしい子どもに育ったのです。

 人の血と欲望が生み出した芸術作品とでも言いたくなるほどの、美しさを秘めていました。

 愛の結晶を見下ろした私は、生まれて初めて愛しさを抱いたような、新しい心を手に入れたような、良い気分になりました。それだから心から微笑んで、ひとつ提案してあげました。

「私を泣かせることができたら、ひとりぼっちのおまえに魔女の涙を授けて、弟子にしてやる。立派な魔術師になった時、おまえも答えに辿り着くだろう」

「ほんとう、ですか」

 怪物はひとりぼっちです。愛情を注いでくれた両親は亡くしました。刺繍まみれの私の真っ黒いローブにしがみつき、縋るように見上げていました。

「魔法は心。怖いものだからね。一人前になるまで、名前も心も思い出も預かるが。さあ、私を泣かせてごらん」

 ひとり取り残され、絶望したことでしょう。これからどのように生きていくのか。あの頃の怪物はまだ、生きる術を持たない幼い子どもだったのです。

 そこへ私の誘いです。神でも降臨したかと思ったことでしょう。私も何か良いことをした気分です。悪くなかったです。

「えっと、えっと、ぼくは、」

 怪物は私を泣かせるために、語りました。

 どうして、ひとりぼっちになってしまったのか。

「ぼくは皇帝に時計を献上するため、お父さんとここに来たのです」

 どうして、血を浴びたのか。

「けれど、皇太子がぼくの顔を気に入って、ぼくを捕まえました」

 どうして、氷漬けになった城の地下室から出てきたのか。

「ぼくをどうしても帰してくれなかったのです」

「悪い皇太子だ」私は、凍りついた広大な皇都を手をかざして見渡しました。「探してやろう。この氷像のどれかが悪い皇太子だ。見つけたら粉々にしてやる」

 もちろんそのつもりです。

「ぼくは、お父さんが恋しくて逃げたのです。そうしたら、皇太子が狂ったように街に火をつけて、ぼくを火で炙ったのです。……そしてぼくは、城に連れ戻されてしまったのです」

 綺麗な瞳に、涙が浮かびました。それは瞳から溢れ、大地に落ちて無くなりました。

 怪物は無垢だったのです。人の恐ろしさも愚かさも知らなかったのです。

 人は無垢な怪物を追い回し、火で炙ったのです。その美しさに気がついた、愚かでマヌケで勇敢な皇太子が。

「なるほど火炙りか。おもしろい。皇太子の氷像は、やはり燃やして同じ目に遭わせよう」

 火を放った張本人は、氷になり輝き、私を恨めしそうに見ていました。つい、笑ってしまいました。私は泣かなければならないのです。

「続けて」

 気を取り直し、話を耳に入れてやりました。

「怒った街の人々が、皇都に助けに来たのです。でも、凄惨な殺し合いになりました。ぼくは地下室に隠れて、自分の顔を恨んだのです。どうしてこの顔は――」

 美しさは時に、人を惑わせ狂わせることがあります。よく覚えておくといいでしょう。

 果たして怪物は私をまっすぐに見上げました。そしてひとつ、確かめたのです。

「殺し合いを終わらせたのは、魔術師様ですか」

 誰が、この都を凍らせたのか――言い換えれば、誰が、ぼくをひとりぼっちにしたのか。そう問いかけているのだと思いました。

 愚かな戦いは終わっていました。皇都は死に、故郷を失い、生きた人はいなくなったのです。氷像の群衆は、小さな怪物の悲しみを具現化した美しい芸術となりました。

 いつかこの悲しみを思い出す時が来た時、思い出は少しでも美しい方が良いのです。悲惨な思い出ほど、輝かしいほどに美しい方が良いでしょう。

 私はそう思いますが、しかしその代償は、まだ乳臭いような美しい怪物がひとりぼっちになることでした。

 では誰が、怪物をひとりぼっちにしたのか。

「私だよ」

 もちろんです。この世に私以外に、それができる者はいないでしょう。感情を揺さぶられ、都を死なせたのは実に久しぶりのことでした。

 私は子どもを怖がらせ、泣かせる大人が大嫌いなのです。そういうものを見ていると、私の心は乱れます。


 魔法は心。

 魔法は感情。

 時折暴発します。


 私は涙を流して、怪物を抱きしめてあげました。償いです。何に胸を痛めたのか。怪物の話に胸を打たれたわけではないのです。うまく心を安定させられず、魔法を暴発させたことに胸を痛めたのです。結果、おまえをひとりにしてしまったのは私です。

 それを知ったものですから、あの時の私は泣いたのです。

「……これが魔女の涙、なのですか」

 私の瞳から流れた涙は、ぽろぽろと輝いて落ちました。私は宝石になった涙を一粒拾い、おまえの小さな手のひらに置きました。

「きれい……」

「飲み込んでしまえば、後戻りはできないよ」

 魔法は美しく、恐ろしいものです。

「それでも弟子になりたいかい。思い出も名前も心も全て、私に差し出して」

 おまえは魔女の涙を眺めて、可愛らしく笑った怪物です。魔法の原石を握りしめて、頷いた怪物です。おまえは私のように、魔術師になることを望んだ怪物です。

「あなたのお名前は、なんというのですか」

 私は魔女の涙を一粒、おまえに授けた魔術師です。私が抱き上げたおまえはそれを飲み込み、思い出と名前と、心の全てを私に差し出した怪物です。

 それが私の弟子になる、唯一無二の条件です。

「私は不滅の魔女の生き残り、魔術師アレッタだ」


 忘れるなよ弟子。おまえの思い出も、おまえの心も、おまえの名前も全て私の中にある。いつか立派な魔術師になった時、おまえの中にかえってくる。事実です。

 そして、どうしてお前は怪物なのか? それはおまえが怪物だからです。

 それもまた、紛れもない事実です。



 可愛い弟子へ。よい旅を。

 アレッタより愛を込めて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る