嘘つき魔術師アレッタの償い

モルスの思い出語り

 十七の夜。

「僕に少しばかり、森の外に出て、修行に出向く機会をください」

 恩師である魔術師アレッタ様に、僕はそう言った。

 きっかけは、アレッタ様がベッドに横たわる僕をまじまじと見下ろして「おまえ、今宵で十七くらいになったかな」と、仰ったことである。

 アレッタ様は続けて「バースデープレゼントはなにがいいかな」と仰った。

 僕は、修行に出たいとお返しした。

 不滅の魔女は皆、十七になると修行の旅に出るらしかった。要するに、街を自由に歩いたり、空を自由に飛ぶためのお許しをもらうのが、十七の夜なのだった。

「私に似て、おまえは真面目な弟子だね」

 アレッタ様の綺麗なお顔がにやりと笑うのを見た。

「森の外は危ないからね」僕の白い髪を、手櫛でといてくださった。「森から出たことがない弟子のひとり旅なんて、危ないね」

「ですから、この子を連れていくのです」

「ああほうきね。弟子が大好きなほうき」

 僕のほうきは焦げてしまっているが、仲が良く、相性はいい。

「ほうきだけじゃあ頼りない。ほうきはまだ子供」

「僕のほうきはまだ子供なのですか? 僕と一緒に、アレッタ様に育てていただいたのにですか? 十四年も」

「ほうきは歳を重ねたが、ずうっと子供のままだよ。まあいい。私の魔術書を持って行きなさい」

「……アレッタ様の魔術書」

 その日、アレッタ様は一冊の赤い本を、差し出してくださった。

「赤い、大切な魔術書。おまえに貸してやる」

 憧れの、魔術書。

「貸すだけで、あげない。魔術書は、いつか自分で装丁しなさい」

 許された夜。

「僕も、自分で魔術書を……?」

「必ず、その日が来るからね」

 それはつまり小さな子どもだった僕も、一人前の魔術師に手が届いたという、証。

 僕にとって今宵は、記念すべき十七の夜だった。



 モルスは本。魔術師アレッタ様の、赤い魔術書。

 はるか昔、アレッタ様を誑かした悪い女がいた。魔術書を装丁をする際、アレッタ様はその表紙に女の顔を封じ込めたのだとか。

 だから、アレッタ様の赤い魔術書は、語ることができる。

 本になったモルスはしばらくして、アレッタ様に従順になったらしい。お仕置きにうんざりしたのだろう。そこは出ることもできず、消えることもできない、本の表紙という名の監獄だ。

 本扉には、アレッタ様のお名前がある。ガラスペンで刻まれた、青いインクのお美しい字だ。その先にはアレッタ様の魔法の言霊が、つらつらと楽しげに綴られていることだろう。

 中扉には、思い出をひとつ書いてくださった。

 魔術書であるモルスの、もうひとつの役目。それは道中僕に、その思い出を語ることである。

 名前も思い出も、心もない僕に。

 おやさしいアレッタ様は、思い出をひとつ返してくださった。

「モルスが弟子に語ろう」

 モルスは空の上で、僕が知らない、僕の思い出を静かに語った。

「魔術師が、弟子を見つけた日のこと」


    ◇


『私の可愛い弟子へ』


「みんな凍ってしまったのに、ひとりだけ生きてる子、だーれだ」

 その日、私が呼びかけると、凍った城の地下室から子どもがひとり出てきました。真っ黒こげのほうきを持った、可愛らしい怪物です。

 綺麗な顔を血まみれにしていましたが、精悍を貫き通し、涙を堪えている。あれはどう見ても、小さな怪物だったのです。

 年頃は五、六歳でしょうか。酷い仕打ちを受けたのか、震えていました。しかし呼吸を整えると瞳に活力を養い、私に見惚れたようでした。

 白い髪にいくつも宝石を飾って纏めた私を、目を見開いて見て、驚いてもいました。

 なんとも可愛らしい。

 それだから私は、笑ってやりました。

「おいで」

 手招きをして、髪に飾った宝石をひとつ手に取り、躊躇いなく教えてやったのです。

「これは魔女の涙。私は不滅の魔女の、ただひとりの生き残りだからね。流れる涙が、魔法の宝石になるんだよ」

 そしてまた、魔女の涙を髪に飾って見せました。子どもですから。あやしたつもりです。

 すると怪物は、首を傾げて私に言いました。

「不滅の魔女なのに、どうしてほかの魔女は滅んだのですか」

「これは賢い子だ」私は賢い子どもが好きですから。「不思議だろう。私も随分長く答えを探しているよ」

 事実です。おまえの想像をはるかに超える程、長い時間をかけました。

 そう教えてやりました。

「魔術師様は、不滅の魔女が滅んだこたえを見つけたのですか」

「さてはおまえ、こたえを知りたいのかい」

 出し惜しみする意地悪な私を見上げ、怪物はこくんと頷きました。

 その顔は子どもとは思えぬほどに端正で、美しい。まんまるい純粋な瞳に、長い睫毛。真っ白い肌には、赤い血液がよく映える。

 思い出せばあの頃の怪物はまだ、黒い髪をしていましたね。

 愛情を注がれ、大切に育てられたのでしょう。皺の少ない詰襟のシャツと身体に合ったズボン、よく磨かれたブーツを見れば分かります。

 育ちも良かったのでしょう。おかげで怪物は、私によく似て素直で、大変可愛らしい子どもに育ったのです。

 人の血と欲望が生み出した、芸術作品です。とでも言いたくなるほどの、美しさを秘めて。

 愛の結晶を見下ろした私は、生まれて初めて愛しさを抱いたような、新しい心を手に入れたような、良い気分になったのです。

 それだから心から微笑んで、ひとつ提案してやった。

「私を泣かせることができたら、ひとりぼっちのおまえに魔女の涙を授けて、弟子にしてやる。立派な魔術師になった時、おまえもこたえに辿り着くだろう」

「ほんとう、ですか?」

 怪物は刺繍まみれの私の真っ黒いローブにしがみつき、縋るように見上げました。

 ひとりぼっちですから。寂しかったのでしょう。

 愛情を注いでくれた両親を、失った。それはおそらくごく最近、今さっき。

「魔法は心。怖いものだからね。一人前になるまで名前も心も思い出も預かるが。さあ、私を泣かせてごらん」

 ひとり取り残され、絶望したことでしょう。

 これからどのように生きていくのか。

 あの頃の怪物はまだ、生きる術を持たない幼い子どもだったのです。

 そこへ私の誘いです。神でも降臨したかと思ったことでしょう。

 私も何か良いことをした気分です。悪くなかったです。

「魔術師様、ぼくは、」

 怪物は私を泣かせるために、語りました。

「皇太子がぼくの顔を気に入って、ぼくを捕まえたのです」

「悪い皇太子だ」私は広大な皇都を手をかざして見渡しました。「探してやろう。この氷像のどれかが悪い皇太子だ。見つけたら砕いてやろう」

 もちろんそのつもりです。

「皇太子は狂ったように街に火をつけて、ぼくを火で炙ったのです」

「なぜだろうか」

「わからないのです……ぼくは、なにもしていないのに……」

 怪物の綺麗な瞳に、涙が溢れました。

 それは瞳から溢れ、大地に落ちて消えました。

 怪物は、無垢だったのです。人の恐ろしさも、愚かさも、知らなかったのです。

 人は無垢な怪物を追い回し、火で炙りました。その美しさに気がついた、愚かでマヌケで勇敢な皇太子如きが。

「なるほど火炙りか。おもしろい。皇太子の氷像は、やはり燃やして同じ目に遭わせよう。この地に炎を纏った矢の雨を降らせよう」

 火を放った張本人は、氷になり輝き、私を恨めしそうに見ていました。つい、笑ってしまいました。私は泣かなければならないのです。

「続けて」

 気を取り直し、話を耳に入れてやりました。

「怒った街の人々が、皇都に僕を助けに来たのです。でも、凄惨な殺し合いになりました。ぼくは地下室に隠れて、自分の顔を恨んだのです。どうしてこの顔は――」

 美しさは時に、人を惑わせ狂わせることがあります。よく覚えておきなさい。

 愚かな戦いは終わっていました。皇都は死に、故郷を失い、生きた人はいなくなったのです。氷像の群衆は、小さな怪物の悲しみを具現化した美しい芸術となりました。

 いつかこの悲しみを思い出す時が来た時、思い出は少しでも美しい方が良いのです。悲惨な思い出ほど輝かしく、美しい方が良い。

 しかしその代償は、まだ乳臭いような美しい怪物がひとりぼっちになることでした。

 では誰が、怪物をひとりぼっちにしたのか?

「おまえをひとりにしたのは、私だね」

 もちろんです。この世に私以外に、それができる者はいないでしょう。

 私はおまえに出会い、思い出したのです。どうして私が、ひとりなのか。

「ぼくはひとりぼっちじゃありません。魔術師様とおともだちになりました」

 感情を揺さぶられ、都を死なせたのは実に久しぶりのことでした。

 魔法は心。魔法は感情。時折暴発します。

 私は涙を流して、怪物を抱きしめてあげました。怪物の話に胸を、打たれたわけではないのです。

 私にも、失った思い出があったのです。

 怪物はそれを、返してくれた。

「……これが魔女の涙、なのですか」

 私の瞳から流れた涙は、ぽろぽろと輝いて落ちました。私は宝石になった涙を一粒拾い、おまえの小さな手のひらに置きました。

「きれい、」

「飲み込んでしまえば、後戻りはできないよ」

 魔法は美しく、恐ろしいものです。

「それでも弟子になりたいかい。思い出も名前も心も全て、私に差し出して」

 おまえは魔女の涙を眺めて、可愛らしく笑った怪物です。魔法の原石を握りしめて、頷いた怪物です。おまえは私のように、魔術師になることを望んだ怪物です。

「あなたのお名前は、なんというのですか」

 私は魔女の涙を一粒、おまえに授けた魔術師です。おまえはそれを飲み込み、思い出と名前と心の全てを、私に差し出した怪物です。

「私は不滅の魔女の生き残り、魔術師アレッタだ」


 忘れるなよ弟子。おまえの思い出もおまえの心も、おまえの名前も全て私の中にある。いつか立派な魔術師になった時、おまえの中にかえってくる。

 おまえは怪物。事実です。


 可愛い弟子へ。よい旅を。

 アレッタより愛を込めて。

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