ぼったくりパンデモニウム
渡貫とゐち
パンデモニウムと元教え子
「――ぼったくりじゃねえかッッ!!」
隣の席から聞こえてくる怒声。
ふくよかな中年男性が、若い綺麗な女性の胸倉を掴もうとして――その魅力的な大きなおっぱいに見惚れていた。……そりゃ胸倉を掴もうとしたらそうなるわな。
行き場を見失った手は、座っている女性の髪に伸び、遠巻きに見ていた俺でさえ「あいつッ」と反射的に腰を上げてしまった。
当然ながら、この店の女性は商品である。彼女たちの接客こそがこの店の持ち味だ。女性に危害を加えようとするだなんて、そいつはもはや客ではない。
想定していた展開だったのだろう、事前にスタンバイしていた、腕に自信がある男性が中年男の腕を掴んだ。「なんだよッ!」と横を見た中年男の顔がさっと白くなる。
スキンヘッドでサングラスの、いかにもボディガード然とした男に、中年男は完全に怯えてしまっている。それを見た、襲われそうだった女性がくすりと笑った。
グラスのお酒を飲み切って、席を立つ。
仕事は終わったとばかりに、見せていた笑顔をすっと消した。
「違う、私は……」
「ぼったくり、ですか……奥でお話を聞きましょう」
「待て……違う、カッとなってしまっただけで……払う! 払うから、金額に文句などない、だから人目のない場所へは――」
「ウチの大事なキャストへの暴行がありますので。今後も我々の店を利用していきたいのであれば、一度きちんと話し合った方がいいでしょうね……オーナーの元へご案内します」
「やめろ……やめてくれぇッッ!!!?」
引きずられていく中年男性。
重たい鉄の扉の奥へ連れていかれた彼の悲鳴は聞こえなくなった……、静まり返っていた店内は、ついさっきまでの喧噪を取り戻す。
ちょうど、俺のグラスに酒が注がれた。
「お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」
「いや……、まあ、そうだな。怒鳴られていた子は大丈夫なのか? 平気そうな顔をしていたけど、でもやっぱり最初はびっくりしただろ」
「慣れていますよ、私たちの仕事はこういう仕事ですから」
「お客を楽しませるのが仕事であって、怒鳴られるのが仕事じゃないだろ?」
「相手を楽しませられなければ、怒鳴られるだけです。こう言ったらあの子に悪いですけど、満足させられなかったのはあの子のせいですから。実力不足です」
「受け取る側の性格もあるしなあ……、いくら技術があっても、ぼったくりだと感じた客がごねて安くしようと思えば、挑戦はできるわけだし……。
怒鳴られたからって、あの子の失敗ってわけじゃないだろう?」
「失敗ですよ。そういう客も含めて、満足させるのが実力です」
俺を担当してくれている隣の女性(まだ少女だろう……)も、理不尽に怒鳴られたことがあるのだろうか。ある、と想像してしまうと、俺がムカついてきた……、充分に楽しかった二時間なのに、これに不満を持つ客がいるのか……っ。
店内にいる女性は多種多様だった。人種が、ではなく(もちろん外国の方もいるけど、ほとんどが日本人である)……見た目の話だ。
美人かブスかの話じゃない。みんな美人だ。違いがあるとすれば、服装。さっきの怒鳴られていた女性は、胸元が大きく見えるドレスだ。
お姫様よりはキャバ嬢である。……たぶんあれがオーソドックスなのだろうが。
俺の隣にいる娘は、チャイナ服である。
ノースリーブで、下半身にはスリットが入り、肌の露出と言えば腕と足である。逆に胸は覆い隠されていた。不満がないと言えば嘘になるけれど、彼女の魅力はそこではない。
いや、魅力がゼロって話ではなくてね?
「――いま、私の胸を見ました? このぺったんこの胸を!!」
「見たけど……見てもいいんでしょ? ダメだったっけ?」
お店のルールにあったかな?
「いえ、いいですけど……でもそう、まじまじと見られると恥ずかしいです」
「じゃ、やめとく。腕と美脚だけにしておこう」
「腕は美しくないみたいですね……」
「いやいや……、あれ? 腕はなんて言うの?」
そんな他愛のない話をしながら、やがて時間がやってくる。
「あ、そろそろお時間ですね。
ラストオーダーのお酒、さっさと飲み干しちゃってください」
「早く帰らせたいの?」
「私も、今日はもうこれで上がりです」
「へえ」
「外で待ち構えないでくださいね? プライベートでは飲みませんから」
「知ってる」
俺もこの店以外で飲む気はなかった。こんなに楽しいのは、彼女が仕事だからと割り切って演じているからである。
たぶん、プライベートで飲んでも今のような楽しさは作り出せない気がするし……、プロの技を、お金が絡まないところで易々と見せるべきでもない。
「物分かりがいいですね……楽ですけど。粘着質なおじさんとか、店の外で待っていたり、家までついてきたりするんですよ……。私に心酔してくれるのはいいですけど、『先生』みたいに距離感があるのも、ちょっと自信を無くしますよ……」
「生徒に手を出さないようにがまんしてるからな。その堪え性が、ここで発揮されたのかもしれないな――だって俺は生粋の先生だし」
「がまんしている時点でアウトな気もしますけどね」
「まあまあ。出さないためにここで発散しているし、これも訓練の内だ。お前に手を出さなければ、今の教え子にも手を出さないよ」
彼女の言葉は、責めているようで責めていない優しい口調だった。
昔と変わらないな……、学園祭の出し物で、同じようなことをしていた時、彼女はやっぱり、人気ナンバーワンだった。
当時から胸はぺったんこだったけど、そんなもの関係ないとばかりに、接客態度で人気をかき集めていた。
胸はぺったんこだったけど。
「先生、お会計、倍額にしますよ」
「なにか俺に落ち度でも?」
「失言をした気がしました」
呟いたわけでもないのに言い当てられている。表情に出ていたのか? 目線とか。
「いいですけど。では、お会計ですね……今日は……この金額です」
「ん」
見せられた勘定。俺は腰を抜かしそうになったが……、財布に手持ちはないけど、ATMから金を下ろせば、まあ払えない額ではない。
前に来た時よりも倍額に近い金額になっているけど、高いお酒でも頼んだっけ? それとも失言で倍額になった?
「……やっぱり、ダメですね、こういうのは。……オーナーから言われていたんです、倍額で客に突きつけろって。ようするにぼったくりですよ、これ」
「ほお」
「ほお、って。いや、先生はいま、ぼったくりをされているんですよ?
文句を言わないと! 怒っていいんです! それともさっきの人みたいに、裏に連れていかれるのを怖がってますか? そうなったら私が守りますのでっ、だから声を上げてくだ、」
「別にいいよ。楽しかったし」
「……はい? え?」
「二時間、お前と話せて楽しかった。たとえこれが、作られたものだったとしても。
プロの技術はやっぱりすげえな。知り合いだったことを抜かしても、たぶん、俺は充分に楽しめたと思うぞ。だからこの値段は妥当なんだ。正直、安いって思ったくらいだ」
人と、サービスにお金を払っている。
これが大量生産された商品の定価よりも倍額以上の値段を出されていたら怒っていただろうけど、人を楽しませる技術にお金を払うとなれば、定価なんて分からない。店が決めた金額があるのだろうけど、結局、それがどうであろうと、俺が納得するかどうかだ。
安いに越したことはないけど……それで元教え子が痛い目を見るなら、倍額にしてもらっても構わない。納得がいかない金額を出されたら……その時はその時だ。
また今度くるから、次までには接客技術を磨いておいてくれよ、とアドバイスをすることで次回の満足度を上げることを意識するべきだろう。
さっきの男みたいに声を上げて、「ぼったくりだ!」と言ったところで、現状で解決はできない。ただお金を払うのではなく、不足した満足感は、アドバイスをした上で気長に待っていればいい――後々、倍以上になって戻ってくるはず。
客も客で、思考停止したまま受け取り続けるだけではダメだ。
お互い人間なのだから――与えて、受け取る。そういう関係が望ましい。
「……いいんですか? だって、めちゃくちゃ高い……」
「隣に座ってお喋りしてくれる……しかも楽しませて、だ。これはもう『アート』だろ。白紙にインクを数滴垂らしただけの絵が数百万円になることもある。
俺には理解できないが、客が満足しているならそれはありだし、芸術だ。一緒じゃないか?
俺はお前の接客に満足した。数百万を請求されようと、不満に思ったりしない」
「先生……」
「ただ、俺が払える範囲で頼むな? 今回は払えるけど……、次、金額を上げるなら言ってくれ。出せる範囲で態度を変えてくれていいから……」
「あの……先生。
もしも私が股を開いたら……この金額の倍額以上、出せます?」
「生徒に手を出さないための訓練ってことを忘れたか。
元とは言え、お前も教え子だ、出すわけないだろ。股を開こうが知ったこっちゃないな」
「そうですか……ちら」
「スリットをめくるな……」
「相変わらずの鋼の精神ですね……股を開く以上のことをお望みで……?」
「教師としてなら、お前の妊娠報告の方が嬉しいな。俺との、じゃないぞ? 別の誰かと――クラスメイトと
「それ、もう養育費じゃないですか」
俺に金があるなら、教え子全員に渡してやりたいけどな。
―― 完 ――
ぼったくりパンデモニウム 渡貫とゐち @josho
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