第3話

部屋の中は鉄くさいにおいがした。

黒と紅の染みが部屋のあちこちに見えた。

トリュフはところどころに飛沫のついた天井を永遠のように眺めていた。

「多分」

フォアグラの声だ。かすれていた。

「予想なんだけどさ」

「予想?」

トリュフはフォアグラの近くまで寄っていった。

「あんた昼間なんて予想してたの?あんなお粗末な計画で何が予想よ」

「ああ。もっと慎重になればよかった」

「あんな頭のおかしいやつに狙われて。もうおしまいよ。予想も何も聞きたくない」

「多分、あいつの持ってたもの…。キャビアがやられたのは、猟銃だ」

「猟銃?」

「頭を撃ち抜かれたんだと思う。密輸以外にもやってんだろう。動きが慣れてた」

「ねぇ、それが予想?」

「いや、予想はまだある」

「何?」

「多分、どちらかは帰れない。だがどちらかは逃げ出せると思う」

「そんな憶測で言わないでよ」

「もちろん憶測だけど、根拠はあるんだ」

フォアグラは右手を差し出した。

「これを…」


その時、視界の片隅で動きがあった。

トリュフとフォアグラは、部屋の隅を見た。

そこには、何かに毛布が被さっていた。

「なに…?」

トリュフはそれを見つめた。

毛布はもぞもぞと揺れていた。海外のおばけのような、なんなら滑稽なほどの動きを見せていた。

フォアグラは「それ」にゆっくり近づいていった。手の甲で軽くはたくような事をしてみたが、特に反応は返ってこない。

親指と薬指で、赤黒い痕に触れないように毛布を持つと、そっと払い落とした。

「!」

トリュフは悲鳴を上げた。


そこにいたのは、「あなた」だった。

あなたは衰弱しきっていた。数日間に渡って食事と水を与えられていなかった為に、頬はすっかりこけていた。

最初は大事にされていたが何日かしてすっかりケースにいれたままにしていたメダカのように弱りきっていた。

ヒアリに鼓膜を破られ、耳を掻きむしろうとして横顔は抉られていた。

胴体は蟲たちによって食い荒らされていた。

「あなた」は、声にならない声を発した。

数日前に自ら命を絶とうと舌を噛み切ったが、痛みに思わず舌を吐き出してしまったようだった。


トリュフは見たもののグロテスクさに嗚咽を漏らした。

フォアグラは数秒の間呆然としたが、正気をやっとの事で取り戻した。

「落ち着け。落ち着け。化け物じゃない」

「じゃあなんなの?」

「俺たちの仲間だ」

「仲間?」

「そうだ。多分三木に連れてこられたんだろ」

若干怯えた様子を見せながら、フォアグラは「あなた」の肩口に触れた。

「オーケー、オーケー。大丈夫。もうすぐすれば助かる。しっかり意識を保つんだ」

それは自分に言っているようでもあった。

「…適当なこと言って」

「適当かどうかもうすぐ分かる」

「あなた」は、危害を加える相手では無いと分かったのか、微かな希望を感じた。


足音で三人は目を覚ましたほど、静かだった。

なにかが弾けた音で目を覚ました。

三木だった。

猟銃を肩から下げ、銃口を向けていた。

フォームは安定していた。初めて見るトリュフでさえ、それは分かった。

「男からこい」

フォアグラは諦念した顔を浮かべ、トリュフを見た。

身体は震えていた。

「ごめん」

トリュフは身動きすることのできないまま、見送った。

ドアは固く閉ざされた。


「あなた」は、体を投げ出したまま肩で息をしていた。

全身が痛く、気持ち悪く、苦しかった。

はやく楽になりたかった。

連れて行かれたフォアグラのことを思い出し、枯れていたはずの涙が出そうになっていた。

そんな時、指先に暖かいものが感じた。

トリュフの手だった。

汚れているから、手を離そうとしたが、トリュフはがっちりと手を掴んでいた。

鼓膜が破れていて、はっきりと聞こえなかったが、口を読んでなにを言っているのか読み取れた。


大丈夫、私が守る。


数時間が過ぎた。

トリュフは呆然とフォアグラの言っていた事を思い返していた。

靴音が聞こえた。

『これなんだか分かるか?』

靴音が聞こえた。

虚無のまま天井を見ていた。

『なにそれ』

『昼間のトラップのかけら』

靴音が聞こえた。

『そんなの何になるっていうのよ』

『ずっと細かく細かくちぎってきたんだ』

靴音が聞こえた。

『またカブトムシ呼ぶの?』

『いや、違う』

靴音が聞こえた。

『昨日のばーさんの言ってた、うわばみ。そして三木のコレクター魂、足跡。そこから考えればあいつなんじゃないかって思ってる』

靴音が止まった。

『でも、家に呼べるか分からないでしょ?』

『もちろんそれはそうだ。だから最後の賭けになると思う』

ドアが音を立てて開く。三木が立っていた。白いシャツが赤く染まっていた。

右手でフォアグラの右腕を持っていた。

『多分俺はこの後、殺される』

『…』

『だからできるだけ抵抗して三木に血をつけようと思う』

三木は右腕を転がした。

『多分、それで近くにまで来たあいつを誘き寄せれる筈だ』

『そんなの三木が着替えたら終わりじゃない』

部屋の中へと入った。

トリュフは三木の背後の暗闇へと目をやった。

『あれだけイカれたやつだ。きっとついた血液も演出に使ってくるだろ』

三木が銃をトリュフの頭へとつけた。

三木が口を開いた。

「お前の仲間さ、結構暴れたんだよね。おかげで相当カロリー使ったわ。でもその分アドレナリンめっちゃ出たからさ。今日あんたもやる事にした。とっとと来いよ。今友達の残りの体見せてやっから」

暗闇の中でそいつが見えた。


うわばみ。伝説上の龍。

もしくはニシキヘビの事も言う。

「ん?」

だが、庭には足跡がついていた。

それから考えると。

馬鹿みたいな事だが。

『三木は多分昔飼ってたんだろうな。だが部屋に入るまでのケースやなんかを見ると、大きくなりすぎて手放したんだろ。あんなもん外に放り出すとかどうかしてるけどな』


全長最大3m、体重150kg。

茂みに隠れて獲物を狙う奇襲を得意とする。

歯の間には出血毒を持つ。

高い知力を誇る。

その姿から恐竜の生き残りであると言われた。

『コモドドラゴン』


三木の顔が大口に飲み込まれた。

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