第2話
「カブトムシ?」
「おい、ただカブトムシと言ってくれるなよ。カブトムシの中でも特に美しいとされるナポレオンカブト、それも16cm級がうじゃうじゃいるって話だ。よだれふけよ」
トリュフはこれまでの人生で最も強く睨みつけた。
「疑ってるんなら今から帰ってもいいが車は出さないぞ」
「闇バイトってこんな馬鹿な仕事?」
「わかったわかった。キャビア、お前はこのロマン分かるだろ?」
キャビアは汗一つかかず肯定も否定もしなかった。
「とりあえず話をきいてからでも遅くないんじゃないか?」
「あの山が丸々一個、三木號士の持ち物だ」フォアグラはゆっくり車を走らせて回った。トリュフは車窓から山の様子を伺った。
「あんまり顔出すなよ。ここいらじゃ人が通るのも珍しいんだから」
中ほどに何の理由か金網で囲いがされてあり、それはぐるっと回っていた。
「ドーム3つ分。何で儲けたのかしんねーけど、かなりの動物オタクらしくて、庭の中じゃ放し飼いにしてある生き物だらけらしい」
「危ないのもいるって事?」
「だからあんたを連れてきたんだよ。女警備員、頼りにしてるぞ」
「ゴリラとか出てきたら流石に手も足も出ないよ」
「三木は昼間は寝ているらしい。今のうちにトラップを仕掛けといて早朝いただきにあがろうや」
「ばれりゃ家宅侵入、窃盗、それから…?」
「いっとくけどこんな安全な仕事ないぞ。三木は密輸してんだから。自分で盗んだもん取られましたっていう馬鹿がどこにいるよ。ほれ、とっとと運べ」
フォアグラが車を降りてトランクを開けた。
「匂いがつきそうでやだったんだがな。」
なるほどそのケースの中のポリ袋は異臭を放っていた。
「なにこれ…」
「バナナと焼酎、俺の飲みさしな。それから腐らせた肉少々」
「嫌がらせも加わるね」
「これに気づきゃだかな。ほらキャビア、お前は向こう側な」
夜に備え買い出しに行く場所を探していたらコンビニを見つけた。
こんな田舎にもコンビニはあるのかと思いつつトリュフは中を覗く。
「すいませーん」
見慣れたチェーン店のコンビニだが、中はスーパー、むしろよろずやのようだった。
「カボチャ、たまねぎ、煮干し…。ひでーなこりゃ。街まで戻った方がいいかもな」
フォアグラの意見には今回も同感だったが、どこか落ち着いた雰囲気があった。
トリュフは一瞬、地元のことを思い出した。だめだだめだ、これから私は民家に入ってカブトムシを荒らして帰る事を忘れるな。そう思った。
「けぇんな」
三人共、あのキャビアまでも声のした方を見た。
誰もいないとおもっていたその場所に、老婆が座っていた。シワによって目は見えないほどであり、汚れたシャツと油で固まった白髪は、トリュフに高校の授業で習った羅生門を思い出させた。
「ばーさん…いるならいるって言ってくんねぇとさ」
「けぇんな」老婆は繰り返した。
「…あのな、こっちは客だぞ。その態度ないだろうよ」
「こんなとこに用はなかろ。」
「あんたの知ったこっちゃないんだよ」
フォアグラは驚かされた腹いせか、頭に血が昇っていたようだった。もしくは、仕事に取り掛かる前で緊張しているのか。
「山の上の成金に用があるんじゃろ。なにぞ悪い事でも企んどるんじゃろうさ。あん?」
フォアグラの視線が泳いだ。
「わかったよ。帰れ帰れと言われなくても帰るとこだったよ。こんななんもねー店」
フォアグラは野菜の詰まれた荷台を蹴り上げ、店から出て行った。
トリュフは老婆の方を向き、ぺこりと頭を下げて自分も去ろうとした時
「うわばみがおるでな」
そう聞こえた。
三、四歩歩き
「おばあちゃん、うわばみって…」と聞き返した時には、店には誰もいなかった。
「そう言ったのか、あのばーさん」
フォアグラはハイボール缶を口にして言った。
「わかんない、そう聞こえたのかも」トリュフは窓を眺めた。雨が降り出していた。
「ねぇ、雨降ってきたよ」
「虫には晴れも雨もねーんだよ。今日やらなきゃトラップバレちまうだろ」
「だね…」
厚く黒い雲が西から迫っていた。
台風が近づいてはいるらしかった。
「景気付けに呑むか」
「いい、めっちゃ酔うから」
「ホストに入り浸ってたんだろ?」
「あれで懲りたの」
「ばかだよなー。キャビア、お前は?」
キャビアはマスクを外すと缶入りのスポーツドリンクのように斜め45度に顔を上げて酒を注いだ。
「流石」
「あほらし…」各々が各々の感想を呟いた。
雨は止むどころか勢いを増していた。
「なんでこんなとこいんのかなー」
「自業自得だろ」
「そうだけどさ。あんたは?」
フォアグラは赤い顔をさらにすこし赤くさせて言った。
「しばらく会社で働いてたんだけどよ、ある日なんか全部嫌になっちまってさ。俺昔から車好きだったからディーラーになろうと思ってさ。ところが全然受かんなくてさ。フリーでやろうとも思ったんだけどな…」
一瞬口を閉じた。
「若いうちに結婚して娘もいんだけど、出て行かれちゃってな。全然口聞いてくれないんだわこれが。まぁ、金持って帰りゃデートぐらいしてくれんだろ」
「あんた暴力振るいそうだもんね」
「ホストと一緒にすんなよ」
「あんたは?」
キャビアはマスクをもう一度上げ、虚空を見つめた。
悪いことでもいったかとトリュフが思ったその時、キャビアがつぶやいた。
「こうするしかなかった」
高くも低くも、抑揚もない声だった。
何か続けるかと思ったが、しばらくしても続く言葉はなかった。
フォアグラが痺れを切らしたようだった。
「十分だろ、いくぞ」
「さみー。もう一枚持ってくりゃよかったな」
トリュフは懐中電灯と虫取り網、腐葉土の入ったプラケースをキャビアと出した。
行きの時に入った金網に開いた穴をくぐり、三木の家の中へと入る。
山は放ったらかしだった。あちらこちらに生えているのは元からある木々もあれば南国が生産地のものもあった。
懐中電灯が照らす白い円を元に三人は少し湿った道を進んでいく。
フォアグラが顔を近づけた。
「足跡見てみろ」
消えかかっているのは行きにつけたものだろう。ところどころにロープのような痕がついている。
なんだろうか。
昼間につけたトラップ、一つ目はハズレだった。フォアグラが枝からロープを外す。
「家の方は大丈夫か?」
「明かりついてない。まだ起きてないみたいだよ」
前髪から雫が落ちる。
山の頂上の一軒家はどこからでも見渡せる。
二つ目のトラップは井戸のそばだった。
水の近くには生き物が寄ってきやすいということだろう。フォアグラが早足になっていた。
「待ってよ!」
滑る山道、というか獣道を二人も駆け寄る。
井戸に着いた時、フォアグラは立ちすくんでいた。
「ビンゴ」
井戸から垂らしたトラップには、エメラルドに黒い縞模様の入った甲虫が見えた。他にも黒とオレンジや青色の蝶、漆黒のクワガタがトラップから垂れた腐った蜜を舐めていた。
「おい、ここまで来て流したら馬鹿だぞ。一匹も流すな。1匹5万円が木にたかっていると思え」
トリュフが虫取り網を構えた。
シャンパンの栓が抜ける音がした。トリュフが来た道を振り返ると、キャビアの顔がなくなっていて、そこにはきれいな丸い穴が開いていた。
火薬の匂いと煙の向こうから、男が出てきた。
「トラップに虫が寄ってきたか」
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