悪い夏/グレートハンティング 微糖
@Talkstand_bungeibu
第1話
夏だというのにいやに涼しい日の事だった。
「あなた」は、コーヒーのにおいで目を覚ました。めずらしく気持ちのいい目覚めだと思い、目を開けようとしたが、目が開かないことにも気がついた。
布のようなものが目の上から巻かれている。
確かめようと手を伸ばそうとしたが、後ろ手が細い糸のようなもので縛られている事がわかった。少しの間じたばたもがく。パニックに陥いり、自分が金属の棒を咥えていることもわかった。
こんなものを咥えて寝ているとは、何があったのだろう。混乱する意識の中で思い出そうとするが、そうするたびに頭を鈍い痛みが襲った。
息が荒くなるが、鼻呼吸しかできない為に全身を震わせる。急に陸に置かれた魚のようにピチピチとはねた。
突然電子音楽が流れ始めた。
BGMのような、クセのない曲調だ。その音にびくっと身体を震わせる。
肌を剥かれたように全ての感覚が敏感になっている。
人の声がした。高い声だが、男の声だ。
「ツムゴロウのわくわく動物王国〜!!」
ぱちぱちという音が聞こえる。
「あーい、4日ぶりでしたっけ。意外とそんなもんか。いかがお過ごしだったでしょーか。なんか猛暑猛暑っていう割には暑くないよねー。俺なんて今日重ね着してるもんさ」
あなたの少し上のあたりからこえがきこえてくる。
「ほんじゃそろそろメイン行っちゃう?その前にひごぽさん、スパチャありがとうございます。『まってた』。だよねー。なかなか普通の人の生活でこんな体験ないよねー。きしかわ50さん『その後ろでピチピチしてるのが獲物?』バレたー。その額でバラすなよー。じゃ、そろそろいっちゃうかぁ」
ズズズズと何かを啜る音がした。
あなたの肉体は上下運動を続けていた。無意味だとわかっていてもおさまりはつかない。
「今回初めての人多いんでちょっと軽く語っちゃうわ。なんかさ、再生数稼ぐのに動物いじめたりするやつあんじゃん。あれまじひどくない?なんかあんなん見てるとすげー腹立ってくんだよな。んな事すんなやってさ。だから俺思ったの。どうせいじめんなら動物に動物以下のやついじめさせてやろうって」
男の手だろうか、両手があなたの頭に触れた。
「それがこいつなんだけどさー、こいつ俺の金パクって逃げてやんの。37万。マジ腹立ってさ。37万なんて100万だよな。ほんとありえねぇわ。借りた金返すなんて小学生でも知ってるだろ。まぁ俺知らなかったんだけどさ。でさー」
微かに甘い匂いがしたのと、何かが顔に垂れたのを感じる。
「ずっとこいつ聞く耳持たなかったんだよね。何回もお前マジ痛い目あわすぞっつってんのにへらへらしたままでいんだよ。んで頭きたのがさ、なんでこいつ聞く耳持たないのに耳もってんだろって思ったんだよ。だからとっちまおうって思って。」
耳の穴の中に金属の棒のようなものがつっこまれた。
「ハコフグさんスパチャありがとうございます。『なにそれローション?』いやちげーわ。ガムシロだよガムシロ。」
耳の穴の中を冷たくベタベタしたものが入ってきた。顔を動かしたせいか、耳の外側を切ってしまったのを感じた。
「じゃんじゃじゃーん。おまえらニュースでヒアリってやついたの覚えてる?なんかニュースで昔やってたじゃん。あいつが今ここにいんだけどさ。大変だったんだよ、最初2匹とかだったんだけどさ、観察キットみたいなのでむっちゃ増えててさ。見てみ?これ。わらわらいんぜ。」
耳の穴の中を何かが、もちろんヒアリだろう。コソコソコソコソ動き回るのを感じる。耳から漏れ出て、顔や喉の上を歩き回っているのを感じた。
思わず身体をよじる。
「やめとけよー。嫌がると余計危ないぞ。こいつらまじキレやすくて、仲間が死んでるの見たら噛んでくっからよ」
その言葉はもはや耳に入っていなかった。
体の上を這い回るヒアリを振り落とそうと動けない身体をゆすりまくっていた。
「そろそろ奥までいったんじゃね」
確かにぱちんと、伸ばし切った輪ゴムを真ん中で切ったような音がした後、一才の音がなくなり、代わりに熱した鉄の杭で貫かれたような痛みが襲った。
金属の口枷から悲鳴にならない悲鳴が漏れた。
痙攣のように身体を動かすと、男が頭を掴み、逆側に顔をひっくり返された。
「ほい、こっちも」
五日後。
キャビアと呼ばれた男は胸の上の腐葉土の匂いを嗅ぎながらも、顔色ひとつ変えずに車に揺られていた。キャビアの顔はまさにどこにでもいそう、と言った様子で会っても数分経てば忘れるような顔だった。
キャビアはトリュフとフォアグラと出会ってから一言も言葉を発しなかった。それが彼のポリシーなのだろうか。
トリュフはバックミラーに映る姿を見てそう思った。やつれた安物のスーツ、マスク、短髪。おそらくこの仕事を長く続けた人間だろうか。そのまま茶色のシートに溶け込むようだった。
その反面、フォアグラと呼ばれた男は真逆と言っていい情報量だった。
車内の腐葉土のにおいと張り合うような香水の匂い、ロゴの入ったパーカーに明るめの茶髪。そして2時間近く続けている車の自慢話。
「まぁ、俺にいじる趣味はないんだよね。どっちかっていうと俺は探す専門?なんかほら、そういうのやるのってオタクみたいで性に合わないんだよね。ま、そういうわけで3台も持っちゃって、もう管理が大変大変」
三人の名前を決めたのもフォアグラだった。自分は酒を飲むから油ののった肝臓でフォアグラ。不気味な見た目をしてるからキャビア、余ったのがトリュフという事になった。
まともな人生を送ってないな、とトリュフは思った。そして少し遅れて自分が言う事じゃないとも思った。
トリュフは女性ながら警備員の仕事をしていた。昔から夜型な上に細かい事がなさそうだからという事で決めたが、同僚とそりが合わないことが多く、溜まったストレスを偶然付き合いでいったホストクラブで発散するようになった。
自分のキャパを超える量の借金に、トリュフの手はスマホで闇バイトと検索していた。
「そんな話ばっかしてていいのか?今日の夜にはもう仕事に移るんだろ」トリュフは柄にもなくそんな事を言った。
「だいじょぶだいじょぶ。仕事の内容は向こうに着いたらするよ。それに仕事の前には緊張しないようにあえてこーいう話をしてリラックスしといた方がいーのよ」
リラックスできるのはじぶんだけだ、とトリュフは思った。少し窓を開けると、雨が上がったばかりの森のにおいがした。
蛇行が続く山道を車は走っていった。
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