第18話 ノー・ワン・イズ・イノセント

「……えっ?」


 言葉の意味を理解出来ないコスモが次に連れていかれた場所は学園の一室だった。

 生気を感じさせない薄暗い廊下の先に存在する旧音楽室。


 二年前の改装により使用されなくなった教室には埃を被り、音色の鳴らないピアノが淋しげに放置されていた。

 時間に忘れ去られたような哀愁を醸し出すこの場所にはバタフライ達とステラの制服を着た一人の少女がいた。


 赤い短髪に眼鏡を着用し弱気な形相で落ち着かない様子を彼女は見せている。


「ルック・ノット・ナーバス」


 軽やかな詠唱と共にバタフライは少女の頭部へと魔法陣を形成し、粒子のようなモノを流し込んでいく。


「はい、これで終わりさ」


「えっ……も、もう!?」


「もちのろん、君が依頼してくれた緊張を解せる魔法は今ので完了したよ。なんか軽い気分になっただろう?」

 

「た、確かに……スッキリしたような、迷いがなくなったような」


 目の下にあった隈はいつの間にか消え軽やかさを感じさせる表情を浮かべる。

 明らかに激変した自らの様子に少女は吃驚した。


「こ、これなら行けそうです! その……ありがとうございました!」


「いいって、勉強は頑張って来な」


「はいッ!」


 先程とは打って変わっての明朗快活な表情と共に少女はその場を去っていく。

 深々と頭を下げ、走ってゆく後ろ姿は希望に溢れていた。


「な、何……生徒からの依頼?」


「そうさ、人前だと緊張してしまう体質の自分を治して欲しいって極秘にね。ちと解してあげる魔法を流してあげた訳さ」


「アンタ……他学科の生徒からの依頼も受けてるの?」


「魔法創造に隔たりはない。望むというのなら誰だろうと道筋を作ってあげる。まっ犯罪に使われるのは流石に勘弁だけど」


 年季のあるピアノに被さった埃を息で拭き落としながらバタフライは答える。

 コスモは若干の戸惑いの感情を含みながら睥睨した。


「貴方分かってないの? 『魔法創造科』はこの学園で極めて浮いてる存在。安易に他学科の生徒と深く接触するのは危険を」


「伴うことは理解しているさ、依頼してきたあの娘があらぬ噂を広めるかもしれない。良く思ってない人達がいることも分かる。でも本当に悩める子を無視する方が胸糞悪いよ」


 弱者救済は正義とするコスモにとって人助けを無視しない姿勢には共感を示す。

 だが、自身の立場を考慮せずに無造作に助けていくバタフライの命知らずな姿勢は流石に理解出来ずにいた。 


「国内屈指の魔法のエリート学園だってあの娘みたいに悩みを解決出来ず塞ぎ込みかける人間だっている。今の世界じゃ救いきれないからこそ魔法創造があるんだ」


「……独善的ね。今だからこその幸せもあるはずよ」


「この世界は独善の押し付け合いさ。さて、今日の依頼はこれだけだし後は好きにしよっか! コスモちゃんも自由にどうぞ、ワタシは外の空気吸ってくる!」


「えっ、ちょ待てまだ話は!?」


 激しい論争に発展しかけた空気を遮断すべくバタフライは返答を待たずしてその場から半ば強引に立ち去っていった。

 

「ホント何なのよ……アイツ」


 振り回し続けていく彼女への悪態をつきながら深くため息を吐く。

 放置されたような現状に困惑しながらもコスモは埃に塗れた教室から出る。


 形を保ちつつも今にも壊れそうな光景は自身の心情を表しているようで顔を歪めた。

 終末世界のような不気味な静寂が広がる廊下にいつまでもいるわけにもいかず、コスモは校内の徘徊を始める。


(そういえば……他の学科の様子は見たことがなかったな) 

 

 常日頃バタフライによって外出をさせられていたコスモは学園の内情を生徒の立場でありながら全く認知していない。

 学生だが学園に大抵はいないという生活が彼女を無知にさせてしまっていた。


 自身にとっては初めて見る景色の数々に感心の目を向ける。

 唐突の自由に暇を持て余す彼女とは裏腹に可憐な未来ある才媛達は学業に励んでいた。

 

 外に見える広大な敷地で各々がマニュアル通りの魔法を行う実習。 

 窓越しに荘厳かつ、厖大なステラ学園の中央部付近に位置する大教室で行われる授業。


「つまり、この魔法式は適応される元素を一度分解し魔法陣に記入していかことで具体させることが」


 行われているのは当に魔法の基礎範囲。

 魔法陣の仕組みや歴史など、世界によって固定化されている魔法に関しての内容を講師は慣れた動きで示教していく。

 

 勤勉に溢れる景趣にコスモは大きな感心を抱くと同時にある思いが僅かに過る。

 許容を超えた天才であるバタフライの実力を肌で常に感じていた彼女にとって滑稽に近いような感情が湧いてしまう。


 飛ぶことを知る者がいるのに何故歩くことをそこまで真剣に学んでいるのか。

 馬鹿馬鹿しい、俗的に表すならこれが最も正しい言葉であろう。


(いや……何考えてる、毒されすぎよ)


 だが直ぐにも邪念だと言い聞かせ浮かんだ思考を振り払う。

 最も嫌い、恐れている存在に感化されてしまった事実がコスモに嫌悪感を抱かせる。


 真面目に学問と向かい合い、享受を得ている人間を卑下するような感情が一瞬でも湧いた自分自身が許せない。

 逃げるようにコスモはその場を離れ、校内に位置する大広間のベンチへと腰掛けた。

 

 中心部には巨大な女神のオブジェが学園を守護するように聳えている。  

 天国のように美しい場所で特に何かをするでもなく、コスモはただ像を見つめ続けた。 

 

 ガラスのように美しい蒼き隻眼の瞳には暖色の光に照らされた神々しいパノラマが焼き付いていく。


「私は……何をしているの」


 授業終わりを知らせるチャイムが鳴る中、ポツリと弱音とも取れる言葉が溢れる。

 王国騎士復帰への道、そうと分かっていても相容れない環境での生活や汚染されていく思考にコスモは嫌気が差し始めた。


 特にバタフライという最も嫌う思考を持つ存在を心の端で徐々に受け入れてしまっている事が何よりも不愉快。

 仮借ないはずの価値観に翻弄されるコスモは苦悩の表情を浮かべる。

 

 本能と理性が常にせめぎ合い気疲れを齎す日々に視線を下に向けそろそろ場を離れようとした、その時だった。


 バシャ__。


「えっ……?」


 後頭部から伝い始める冷たい感触。

 水を掛けられたような音が確かに耳に入り咄嗟に触れた身体は酷く濡れていた。

  

 髪から溢れ落ち、地面を浸す透明の水滴。

 何事かと顔を上げ視界に入った光景はコスモを唖然とさせる。


 ケラケラと卑しめる笑いが銹びた錐のように耳に刺し込まれていく。

 数人のステラの制服を着こなす者達はブロンドの長髪を靡かせる少女を中心にコスモを囲んでいた。


「ちょっと、そこステラの椅子なんだけど。部外者が汚らしい尻で座らないでもらえるかしら?」


「部外者……?」


 襲い掛かった衝撃を理解出来ぬまま、コスモはただ彼女の発言を聞き返す。


「アッハハハッ! 自覚ないのかしらこの娘は傑作ねッ!」


 水の入っていたガラス瓶を手元に握るリーダー格と思わしきブロンドの美女は嘲笑う。

 呼応するように取り巻きの物達は高らかに笑い好き放題に罵倒していく。


「さっさと消えなさいよエセ天才のクソ学科ッ! この学園に『魔法創造科』の居場所なんてないのよ」


「このエリートだけが許された秩序に纏められた由緒正しき学園に歪な調律はいらない」


「オラッ、早くこの学園から出てけよッ!」


 一連の流れを遠目から見つめる者達は誰も止めに入らずヒソヒソと蚊の鳴くような声で互いに耳打ちをしていた。


 徐々に置かれてる現状が「嫌がらせ」だと自覚しコスモは過去を無意識に穿り返す。

 異端に対する嫌悪感や差別感による相手を蔑む侮辱行為。


 弱かった幼少期に複数の人間から罵倒などを受けていた彼女にとっては見慣れた、見慣れたくはなかった光景。

 かつての自分が散々されてきた凄惨な嫌がらせを今まさにまたやられているのだ。


 歪み続けたコスモの複雑な過去を理解する訳もなく、ブロンドの女は純度の高い馬鹿にした声を高らかに上げる。

 

「貴方『魔法創造科』でしょ? なら今すぐにこの学園から出てってくれる? 歴史ある学園に膿を作らないでもらえるかしら。このドブネズミ」


「膿……?」


「困るのよね〜新学科とか意味分からないしあんな下品な人間がこの学園にいるってのも気持ち悪いのよ貴方も含めてさッ!」


 語気が強まると同時に女はコスモの脛に目掛けて蹴撃を放つ。

 気が緩んでいたコスモは対応しきれずつ尖った靴の先端が直撃し、痛みが神経を伝う。


「ッ……!」


 思わずベンチに腰掛けていた体勢を崩し両手で右足を抑え苦悶の表情を浮かべた。

 同時に自身へと衝撃を与える人物達への動機を直ぐにも察していく。


 恨みだとか同情出来ることじゃない。

 ただ異質だから、ただ気持ち悪いから、それだけの理由だとコスモは理解する。

     

「ていうか貴方も確か王国騎士からクビにされた落ちこぼれだっけ? 何それでこんな学科に入ったって訳? うわぁ〜王国騎士様も落ちぶれたらこうなるの? 萎えるわ〜それともで頭もイかれちゃったとか?」


「アッハハハハハッ!」


「何ソレウケるんだけどッ!」


「こんなのがあの有名な王国騎士だなんて思いたくはないわね。


 ブツン__。

 その刹那、何かが切れたような音が鳴りコスモの琴線に触れた。


「はっ?」


 別に『魔法創造科』を養護するとか、バタフライを養護するつもりはない。

 自分だって彼女の存在に対しては寧ろ疑問を抱く方の立場。


 だが、自身への侮辱を働いたかつての人間達と似たようなその形相と嘲笑。

 自分の全てを意味もなく否定されたような罵倒の羅列。


 触れてはいけないタブーにベタベタと弄われたという事実が彼女を即座に動かした。


「分かったでしょ? この学園に貴方達のような膿に居場所はない。分かったのなら自主的に退学届を」


 全てを言い切る直前。

 堪忍袋の緒が切れたコスモはブロンドヘアの女の腹部へと目掛けて拳を放つ。

 王国騎士で鍛えられた一撃は内蔵が潰れたと錯覚させる程に彼女の腹を凹ませた。


「ぐぶッ!?」


 突然の反撃に数歩下がり、嗚咽をしながらその場へと崩れ落ちる。

 唖然とする周囲や取り巻き達を他所にコスモはゆっくりと立ち上がると


「さっきからゴチャゴチャと虫みたいにうるせぇんだよ……このゴミクズがッ!」


 殺気に塗れた鬼のような形相で女達を盛大に見下ろした。

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