第8話 ワーロック・ワールド

「記憶がないッ!?」


 予想外にも程がある角度からの返答に思わずコスモは反射的に立ち上がった。


「な、ないって……一体どういう」


「そのまんまの意味さ。詳しく言えば三ヶ月前から以前の記憶は一切ない。親が誰で何処から生まれたかも知らない。今あるのはバタフライという名とこの魔法創造だけ」


 深刻な内容とは裏腹に全く哀愁を感じさせない朗らかな笑顔でバタフライは自身の失った過去を吐露していく。


「最古の記憶は雨に濡れた路地裏さ」


「路地裏?」


「雨水に濡れながら何故かワタシは汚い路地裏で横たわっていた。いやぁあれは寒かったね〜目が覚めてビックリだよ。でもこの世界が固定化されてるって事実は理解していた」


「なっ……記憶のない原因は?」


「さぁね、まだよく分かんない。まぁどうでもいいことなんだけどね〜!」


 語られる彼女の奇天烈な内容にコスモは信じきれず「嘘ではないのか?」という疑念の目を向け始める。


「嘘ではごさいません」


 彼女の心情を訂正するかの如く背後からはKの声が響き渡る。

 振り返ると手元のお盆には白を基調としたティーセットと菓子が並べられていた。


「バタフライ様の言葉は信用してよいかと私は考えています」


「その理由は……?」


「国内で発表されている全ての行方不明者の家族関係との関連性を調査しましたがどれも一致する該当者はいませんでした」


「血縁の照合は?」


「政府側に依頼をして返ってきた結果……該当はゼロとのこと。つまりそこにいる存在は身元不明なのです。記憶喪失を演じていると私も最初は疑いましたが」


 カップに紅茶を注ぎながらKは淡々とコスモの質問に論理的な返答を返していく。

 

「私から言えることはただ一つ、この存在は何かもが謎であり自分勝手、自由に浸り過ぎなクソ人間です。どうかその事を考慮した上で今後の向き合い方をお考えください」


「クソ人間ってだからワタシ主人よ!?」


「黙れ、事実を言って何が悪いのですか」


 一通りの作業を終えるとKは深々とお辞儀を行いその場から退出する。

 差し出された紅茶は舌を唸らずほどの美味なのだが今のコスモにその味を堪能するほど余裕はなかった。

 

「ったく、ホント毒舌め……まっ今ので分かった通りワタシに過去はない。バタフライという名前も本当の名か分からないしね」


「気にならないの? 自分の本当の存在を」


「そりゃ気になるさ、でも失ったものにクヨクヨしてる暇がないほど今が楽しいんだよ」


 椅子から立ち上がるとバタフライは近くの窓を豪快に開ける。

 春の風が髪を靡かせ、異質しかない空間に暖かさを吹き込んでいく。


「創造はワタシにとって唯一の個性だ。この才能だけがワタシという存在を作っている。だから作りたいんだ、新世界を! その名もワーロック・ワールドッ!」


「ワ、ワーロック・ワールド……?」


「固定化し停滞した世界に新たな夢と希望を与える、ワタシが先導者となり皆が魔法使いワーロックになって自由に創造出来る、新たに覚醒した世界をワタシは作りたいんだッ!」


 突拍子もなく現実感のない壮大過ぎる夢を喜々として語るバタフライ。

 幼稚な子供が思い描きそうな野望を彼女は真剣な眼差しで言葉を紡いでいた。

 

「魔法は希望のために、創造は夢のために。それがワタシの夢見る世界だ」


 理性的であり現実的なコスモにその理想は響かず呆れた顔を見せる。

 だが「下らない夢物語」と言葉に出せないほど自由な少女は太陽のように輝いていた。


 戯言と片付けるには難しい謎の説得力にコスモは唾を飲み込む。


「『魔法創造科』を作ったのは……貴方が言うワーロック・ワールドの為だと?」


「そうだ、学園長にアポ無し直談判でね。変革をする者に行動力が必須だろう? まぁKにバレた時にはボコボコにされたけど」

 

 一通りの主張を終えるとバタフライは満足した表情で窓へと腰掛ける。


「で、君は?」


「はっ?」


「ワタシは赤裸々に話したんだ、君の話も聞かせてよ。君の数奇な経歴には実に興味深くKが気になるのも理解できる。聞かせてよ、自身の軌跡をね」


 緋色に染まる瞳が対照的な蒼く澄み渡った瞳を逃がすまいと捉えた。

 悪魔に見つめられているの如く、全神経には電撃のように鋭い緊張が走る。


 だが何処か暖かさも含まれたバタフライの雰囲気にコスモは無意識にゆっくりと下を向き胸中を吐露していた。


「……見返すためよ」


「見返す?」

 

「物心ついた時にはもう私は普通の人間じゃなかった」


 霧が覆っているかと錯覚しそうなほど彼女の声色には純粋さがなかった。

 近寄り難い程の悲観に満ちた言葉は呪文のように陳ずられていく。

   

「私には父と母と双子の姉妹がいたそうよ。でも幼い頃に建物の崩落事故で私以外は皆下敷きになって死んだ、物心がつく前よ。私はそれが原因で……右目は」


 色白く細長い繊細な手で自身の眼帯が着けられた右目を優しく擦る。


「貴方に理解できる? どうすることも出来ず右目と家族を失った者の気持ちが、理不尽な運命に翻弄される者の心情が」


 段々と語気が荒くなり始め負の感情が彼女の言葉に付与されていく。

 

「右目が見えない、施設育ちだからって何度も謂れなき言葉を浴びた。ズタズタズタと悪魔のような所業でッ! だから……証明したかったのよ、誰であろうと努力すれば這い上がれる世界なんだって」


「それで王国騎士にと?」


「死ぬほど努力したわ、勉学だって剣術だって魔法だって人の何倍も何十倍も! 私が私であることを証明するためにッ! 誰かの為に王国騎士になったんじゃない、自分の為になったのよッ!」


 椅子から立ち上がり息を切らすほどに自身の想いをバタフライへと殴りつける。

 だが次の瞬間、コスモは燃え尽きたかのように汗を溢しながら項垂れた。

 

「でも……駄目だった、超えるべき壁は高かった。最後は周りの騎士から罵詈雑言を浴びせられて私は終わったわ。この学園に入ったのはそんな不甲斐ない自分へのただの現実逃避、学園出てた方が将来安泰とかそういう理由よ。これが私の歩んだ歴史と醜い末路よ、好きに笑いなさい」


 任務遂行の為、感情が高ぶりながらも彼女は咄嗟に嘘を連ねる。

 全て吐き出しそうになった本心を堪え、コスモは諦めたように微笑を浮かべた。


「ふ〜ん、そっか」


 意外にもバタフライの反応は希薄。

 嘲笑うことも、逆に慰めの言葉をかけることもなく、ただコスモをジッと見つめた。


「な、何……その表情は。別にいいのよ、好きに罵ってもらっても」


「それはしないさ。でも慰めもしない。「よく頑張ったね」とかワタシから言われてもムカつくだけだろう? というかそんな優しいだけの言葉ワタシ大嫌いだし」


 手を組みながらバタフライはゆっくりとコスモに近づき上目遣いで微笑む。


「でもいいね、世界を見返す夢。そういう大きな目標はワタシの大好物だよ」

 

「夢……既に一度潰えてるけど」


「でも思考が硬すぎるのが難点かな〜」


「はっ?」


 突然の指摘にコスモは首を傾げたバタフライを困惑の表情で見下ろす。


「王国騎士じゃなくたって、見返す方法なら沢山あると思うんだよね〜ワ・タ・シ・は」

 

「何を言って……王国騎士団はこの国最高のエリート役職。そこにいる事こそが世界を見返すための!」


「それ盲信? 王国騎士じゃない人は全員輝いていないゴミクズだとでも?」


「ッ! そういう訳じゃッ!」


「まぁ選択は君の自由だしこれ以上は咎めないけど〜人の個性を嘲笑うような奴がいる場所なんてワタシは死んでも嫌だね」


 舌を出しながら首を切るジェスチャーでバタフライは不敵に微笑む。


「だからさ、君の夢をワタシに委ねてよ」


「はっ?」


「コスモ・レベリティ! 君のその夢ワタシが叶えてあげる。この『魔法創造科』が世界を見返してやるってのッ!」


 舐め腐った顔から放たれたアンチテーゼにコスモの心は駭然に満たされる。

 同時に揺るぎなかった根底の心念が揺らいだ感覚が全神経に襲い掛かった。


「な、何を言って……ふざけないで!」


 脳裏に一瞬だけ過った邪念を振り払おうとコスモは被せるように否定する。

 自身の心情の揺らぎに焦った彼女は自身の学生鞄を手に取り扉へと手に掛けた。

  

「き、今日はもう帰るわ」


「えっもう帰るの? 折角なら泊まっても」


「結構よッ! 私も忙しいの、紅茶美味しかったって貴方のメイドに言っておいて!」


 バタフライの制止を無視して彼女は逃げるように全力で走り出し玄関の扉を開く。

 肩で息をしながら胸に手を抑え、額から落ちる汗を乱雑に拭き取った。


「ふざけるな……私の夢を叶える? 何をふ下らない戯言を」


 彼女の顔には怒りと困惑が混じり合う。


 要因は自身が信じ続けた王国騎士を否定するバタフライの言葉。

 だがそれ以上に彼女の声に少しでも揺らいでしまった自分自身に苛立っていた。


「何考えてるの私……見返す為に青春を捨ててまで身を削ったんでしょ……!」


 これまでの一切妥協を許さない死物狂いの努力を思い出し自身を鼓舞する。

 冷静さを取り戻したコスモは息を整え屋敷の方へと振り向く。


「絶対に戻ってやる……こんな地獄から早く抜け出してまた王国騎士にッ!」

 

 キレのある瞳に闘志を宿すと決意を固めたコスモはその場から姿を消した。

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