11.歩美

 街を散策すると、真夏の日差しはまだ翳っていなかったが、時折風がそよぐ。

 美川大仏に参拝、イースター島の石像を思わせる面立ちだ。厳粛な気持ちになる。大きな鐘の音が荘厳に響き渡る。合掌し、御文章を唱える。

 財布から五十円玉を取り出し、自販機で引いたおみくじは、末吉だった。

 良縁に恵まれる、とあるし、旅行も吉だし、勝負だけ負けると書いてあったが、負けるが勝ち、という言葉もある。

 朝市、とある店は、とっくに閉まっている。

 イタリアンカフェレストラン・ミール。クリーミーなスパゲティを頂く。本格派で、リーズナブルだ。

 無料駐車場は満車で、ほとんどが県外ナンバーだ。

 石段を上ると大正風の造りで、二階建ての日帰り温泉、きさらぎ湯。

 その隣に、今どき、という公衆トイレと電話ボックスが並んでいた。テレフォンカードは、持ち歩いている。従妹が成人した時、記念にもらった振袖の写真。非常時のために、持っておきなさいよ、と出版社の先輩が教えてくれた。

 ボックスに入ってみると、コインとカードの両方が使える、黄緑色の電話機がある。世代的に、携帯以外で電話をかけた記憶がない。サザエさんの黒電話が不思議に思える。

 さらに上って行き、手湯でぬくもる。

 蝉の声に包まれた高台には、舞台がある。背景に枝ぶりの良い松が描かれ、橋掛かりや、一の松、二の松、三の松もあって、舞台下は砂利だ。能舞台風の造りである。

 ググってみると、今夜も神楽が上演されるとあった。

 能研の弟に見せてやりたいと思い、デジカメのシャッターを切った。

 帰って、くつろいでいると、ノックの音がした。

 長身で白髪、柔和な顔立ちの男性が入って来た。丁寧にお辞儀をし、

「こんにちは。幹事で、このホテルを経営している川村伸郎です。広瀬歩美さんですね。遠くからよくいらっしゃいました」

 名刺を差し出した。

 ホテルすずかけ社長 美川町会議員 川村伸郎 とあった。

 わたしも名刺を渡し、

「広瀬歩美、英二郎の長女です。何度もこの温泉には来ていますが、このホテルは初めてです。とてもいい雰囲気ですね。湯がつるつるして気持ちよいのは知っていましたが、サウナもあって良かったです。このたびは、無理を言って参加させていただき、ありがとうございます。父もよろしく申しておりました」

 自由が丘で有名な洋菓子を差し出した。

「ああ、そんな気を遣っていただいて、ありがたく頂戴いたします。気に入ってもらえて良かったです。料理も美味しいですよ。年寄の会合ですが、若いコンパニオンさんも来ますので、お楽しみください」

「そうなのですか。それは楽しみです。ありがとうございます。夜神楽があるのですね」

「そうそう、お好きですか。英二郎君も好きだったですけえねえ。ご案内した通り、宴会は6時から9時までです。神楽は11時までやっていますので、宴会後自由にご覧下さい。では、始まるまでどうぞごゆっくり。また従業員に案内させますから」

「はい。舞台も見ました。能舞台のようにも見えますね」

「ええ、薪能が催されたこともあるんですよ。蝉が鳴いてね。確か、船弁慶でした」

「船弁慶ですか。立派な舞台だと思いました」

「では、後ほど。お疲れのところお邪魔しました」

  

 5時半を過ぎて、そろそろ参加者が集まる頃だな、と思う。小規模校なので、十人程度と聞いている。

 大きなホテルも快適だが、こういう家族的なところもいい。今日は貸し切りという。洋風の外観だが、数年前に改装したとのこと、中庭があって、鯉の泳ぐのが見える。

 わたしの部屋も、八畳の和室だ。藺草の香りが落ち着く。

 1階にフロント、ロビーと客間、レストラン。2階が大広間と休憩所、家族風呂。3階が男女の大浴場となっている。

 明日は朝食後解散。希望者はゴルフ。わたしはバスで叔父のいる実家に寄ってから、昼前に発ち、高速バスと新幹線で夜帰宅する。

 一人暮らしの叔父に、予定通り行く、とメールを送った。

 弟に、舞台とホテルの写メールを送ると、すかさず、

『いいねー♨』と返って来た。

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