熊取の骨折大ブーム

  1


 法定速度の二倍を超えたあたりから軽トラックはその車体の青さをわずかずつ増していくように思われ、それは錯覚ではなく、実際に少しずつ色味が変化していて、更には、これは誰も気づかなかったのだが、微妙に光りだしてもいた。


  2


 三月の末、赤信号を無視して交差点を通過した軽トラックは、横断歩道を渡っていた男の子をひとり轢き殺して、それからいっさい速度を緩めることなく走り去っていった。男の子は軽トラックのタイヤに全部の肋骨を砕かれた上、心臓を潰されたので即死だった。


  3


 男の子を轢き殺す間にも、軽トラックの車体は少しずつ青くなっていっていた。


  7


 中年の男は、愛情と時間を惜しみなく注いで育てた一人息子が交通事故で死んだので、とても悲しく思い、今頃中学に上がっているはずだった息子の生前の姿を、起きているあいだずっと思いかえしていたが、記憶のなかの息子は、いつもタータンチェックのマフラーを首に巻いており、実際にはそんなものを身につけていたことは一度もないのだが、頭に浮かぶかぎりの息子のすべての首には、タータンチェックのマフラーが巻きついていた。


  8


 更には、息子の左耳付近の空間には、つねに小さな台風が発生していて、たまに、小さな羽虫がそこに吸い込まれていき、すさまじい風速に方向感覚を失って無抵抗に床に落ちた。


  4


 軽トラックは交差点を通過したのち、遮断機の下りた踏切に突っ込んでいき、いまにも踏切に差しかかろうとしていた電車の運転士は、急に線路内に進入してきた車を発見し、すぐさま急ブレーキをかけたが間に合わず、全速力で衝突したため、その衝撃で電車は脱線し、踏切の近くにあった牛丼チェーン店に突っ込み、牛丼を食っていた客のうち、一人が死に、五人が体のどこかしらの骨を折って入院した。


  5


 電車の運転士は足の骨を折った。乗客は無事だった。


  6


 横転した軽トラックは先ほどの青さが嘘だったかのように、もとの白っぽい色に戻っていて、当然、光を放っていることもなかった。


  9


 その日は息子をはじめて球場に連れていったのだったが、自分の横の席に座っていた息子の首元には、六月だというのにマフラーが巻いてあって、そのマフラーに、小さくブランドの四角いロゴマークが入っているのが目に入り、よく見ると、小さなシャベルを持ったもぐらのキャラクターが、右だけ口角を上げた笑顔でこちらを見ている、というデザインだったのだが、少し開かれた唇の間から見えるもぐらの歯が、異様に汚く、奥の方には虫歯も何本か見え、歯並びもひどいものであった。


  10


 男は、その日息子が見せたはずの笑顔や、息子と交わした言葉について思いだそうとしても、もぐらの歯並びの悪さのほかに、なにも思いだせないのだった。

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