殺人現場で告げ口すな。
輪ゴム頭
みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
子供の声がした。明るくてはつらつとした、男児の声だった。
ぼくは、しつけのなっていない親もいたもんだ、と思った。こんな殺人現場に子供を連れてくるなんて、教育に悪いのに決まっている。
市民球場から程近いコインパーキングの一画で、死体は発見された。
立ち入り禁止の黄色い規制線をくぐると、捜査員たちが現場検視を行う先で、ひとりの男が血糊を腹部にべったりと付けた状態で、仰向けになっていた。胸元にナイフが突き立てられ、背中が接地する地面にも、まるで仏像の光背のように血が広がる。
殺されたのは46歳の会社員だった。個人情報は遺体のポケットに入っていた財布の中身から断定され、そのことは金銭目的の殺人ではない証拠にもなった。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
遺体を眺めていると、またあの声が聞こえてきた。さっきと同じ子供の声だ。
周りの捜査員たちは気にも留めない様子で職務に当たっている。
しかし、ぼくはあの子供の声が気になった。殺人現場に似つかわしくない声が、何とも不快に感じたからだ。普段なら野次馬に心を乱されることはないが、今日の声だけは不思議と引っ掛かった。何も聞かなかったかのようにやり過ごそうとしても、脳内で何度もあの子供の声が再生される。
とうとうブルーシートから飛び出した。
しかし、規制線の周辺に群がる人だかりを見渡しても、ひとりとして子供の姿はなかった。
聞き間違いだったのだろう。自分にそう言い聞かせ、ぼくは職務に戻った。
殺人事件は次の日にも起きた。
何としてでも殺人鬼を見つけ出そうと、警察は全市に厳戒態勢を敷き、被害者の人間関係を調べ上げている最中の出来事だった。
警察はすぐさま連続殺人として、ぼくを死体の見つかった空き家へと向かわせた。
昨日とは打って変わって、現場は閑静な住宅街の中にあった。野次馬はまだ集まっていない。
空き家に入ろうとしたところだった。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
はっと目を見開いたまま、ぼくは硬直してしまった。
まただ。またあの子供の声がしたのだ。昨日とまったく同じ、男の子の声。声量も、声質も、イントネーションも、すべて昨日と同じだった。
ぼくは確信した。空耳なんかではない。
しかし辺りを見回しても、子供の姿どころか人影すら見えなかった。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
2度目が聞こえた途端、全身に悪寒が走った。
「誰だ!」
口から思わず怒鳴り声が出た。
声がすぐ耳元で聞こえたからだ。
誰だ。誰がこんな悪戯を。恐怖と怒りとが、どっと内側から湧き上がってくる。
「おい」
聞き馴染みのある声がしてふと我に返った。
「どうしたんだよ」
先に現場に来ていた同僚が、ぼくを不審そうな顔つきで見ていた。
「ああ、すまない」
ぼくは笑ってごまかした。汗が額から垂れてくるのが分かった。
あれから、ぼくは例の声について考えていた。車を運転している時も、飯を食べている時も、風呂に入っている時も。自分でも馬鹿らしくなるくらい永遠と思考を巡らせた。
声の主は誰なのか。子供のいう先生とは、どのような人物なのか。
テープに吹き込んだ子供の声を、誰かが再生しているのかと思った。もしそうだとしたら悪趣味すぎるし、少なくともそんな冗談をする奴はぼくの周りにはいない。
死人がぼくに何かを訴えかけているのだろうか。幻聴かとも思ったが、2件目の殺人現場で聞いたそれは、確かに現実世界の子供の声だった。
「なあ、現場で子供の声が聞こえたりしないか?」
ぼくがそう尋ねようと決心するのに、かなりの時間を要した。最初の事件が起こってから、既に4日が経っていた。
殺人事件は終わることなく、今や5人の死体が発見されている。
警察は頭を悩ませていた。被害者の属性や殺された場所もばらばらで、規則性がない。老婆が絞殺されたこともあるし、下校途中の小学生が海で溺死していたこともあった。
そして現場に行く度に、ぼくは子供の声を聞いた。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
同じ声を、何度も耳元で感じていた。
何気ない時にも思い出してしまい、身の毛のよだつ思いをしたこともあった。精神がおかしくなってしまいそうだった。
現場に行くのも憂鬱になり、何度も辞めようとした。だが、到底辞めることはできなかった。
あの声を1人で消化することに耐え切れなくなったぼくは、堪らず隣に座っていた同僚刑事に尋ねていた。
「子供の声? なんだそれ」
捜査会議終わりで、彼は眠そうに大きな欠伸をしていた。
「最近の連続殺人の現場で聞こえるんだ。今日も聞こえたんだよ、おんなじ男の子の声が」
「心霊話か?」
同僚は鼻で笑う。
「ほんとなんだ。子供が、みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろーって言ってるんだ」
「お前、疲れてるんじゃないか?」
同僚はぼくの肩を叩くと、席を立って行ってしまった。
予想通りの反応だった。誰も、ぼくの話を馬鹿にして聞いてくれるはずがない。
翌日、ぼくは休日を貰って友人と食事に出かけた。
「でもさあ、刑事も大変そうだよな。連続殺人の件で」
小学生以来の旧友だった。笑うと目尻にしわが寄るところなど、昔から変わらない。
「まあな」
友人と食事に行っても、話題は決まって警察関連のことだった。こんな時くらい刑事の仕事を忘れたいものだったが、気の知れた人と喋るだけで気分転換にはなった。
「犯人はまだ分からないのか?」
「捜査に関わることは言えないんだよ。すまんな」
「別に俺はマスコミじゃないんだから、教えてくれたっていいじゃんかよ」
友人は口を尖らせた。
「でもまあ、お前が刑事になるなんて思いもしなかったな」
「なんでだ?」
「だって、お前は小学校の中じゃあ悪童で有名だったじゃんか」
確かにそうだった。
小学生の思い出なんてほとんど忘れてしまったが、ぼくがやってきた悪行ともいうべき数々の悪戯だけは覚えている。
学校の窓ガラスを割ったこと。
用具箱に隠れて授業を受けなかったこと。
友達の教科書を窓の外に投げたこと。
飼育小屋のウサギを踏みつけたこと。
ミミズを木の枝で引き裂いたこと。
雛鳥の入った巣を木のてっぺんから突き落としたこと。
「色んな悪さをしては先生に言いつけられて、怒られて終わるのがお決まりだったな」
一拍置いて、ぼくは尋ねる。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー、って言われて?」
「ああ、まあそんな感じだ」
突然わらべ歌を歌いだしたぼくに、友人は怪訝そうな顔をしていた。
それから1時間ほど小学生時代の話で盛り上がり、ふと尿意を覚えたぼくはトイレに行くために席を立った。
個室の扉を閉め、便器に座る。
その時だった。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
ぼくは反射的に立ち上がった。全身に寒気がしたのは、下半身が裸だからという訳ではなかった。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
ぼくは急いでズボンを上げ、扉を開いた。
そこには小便器と洗面台があるだけで誰もいない。
「おい、誰なんだ!」
そう叫んだ時に限って、何も返って来なかった。ぼくは頭を思いっきり掻きむしった。
アパートの一室で、眼前の女が命乞いをしている。虚な目をぼくに向けて、甲高い声が耳障りだった。
引き金を引いた。女の胸元から飛び散った血しぶきは、まるでクラッカーのようだった。それは、ぼくのことを祝ってくれているようにも見えた。
自然と鼻歌を口ずさんでいた。一発の銃弾で、ぼくにしか見せてくれない顔を、彼女は見せてくれたのだ。
痛みと苦しみに悶える様子は、何とも健気だった。生きていることを実感しているからこそ、目の前の苦しみに正確に悶えることができる。
女が完全に動かなくなったところで、ぼくは目をつむった。長編映画のエンドロールが終わり、劇場の明かりが柔らかく灯されたときのような達成感と名残惜しい哀愁を、しみじみと味わうためだ。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
静寂の中、最初に口火を切ったのは、子供の声だった。
折角の余韻を台無しにされた気分になり、少し腹立たしく感じたが、次第に恐怖が込み上げてくる。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
「仕方がなかったんだ。自分を制御できなかったんだ」
ぼくは銃を投げ捨て、強く耳を塞いだ。
「みーちゃったーみーちゃったー、せーんせいにいってやろー」
それでも、子供の声は聞こえてきた。
「すまなかった、すまなかった、すまなかった」
6人目に殺した女を目の前に、ぼくは膝を付いた。遠くからサイレンの音が聞こえてきたはその時だった。
殺人現場で告げ口すな。 輪ゴム頭 @wagomu_atama
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