出る杭は打たれても跳ね返る

 夢を否定されるのはどうしようもなく不快である。

 これは私が中学3年生の時に実感したことだった。


 私の夢は翻訳家――とまではいかなくても、それと似たような仕事が出来たらいいと思っている。それは当時の私とて例外では無い。だが、今より夢想家で理想家だったのは事実だった。

 そんな私の夢を、当時担任の先生だった男に言った時に放たれた言葉はこうだ。


『お前の学力じゃ出来るわけないだろ』


 まあ酷い。なんであんなこと言う奴が教師なんて職に就いたのか、甚だ疑問だし腹立たしいのだが、そんなこと言われた当時の私はショックだった。具体的に言えば家に帰って大泣きして、事情を知った両親をブチ切れさせる位には喚いた記憶がある。


 一介の教師がなにを偉そうにと思う。というかあの時はまだ中学生だよ?まだまだ可能性に満ちたピチピチの10代じゃん。少しくらい応援しても良かったのではないかと今でも思ってしまうが、まああんな性格の奴に求めても無駄だけど。


 そしてブチ切れた両親によってあの教師は教職人生を退くことになったりもしたが、私にとってそれはそこまで大事なことではなかった。

 はっきり言って、私は情熱に燃えていた。否定され、ショックで泣き喚いて、そして立ち直った時に私は決心したのだ。

 誰も文句を言わないような努力をしてやろうと。


 そして偏差値55程度の高校に入学した後は、猛勉強の日々だ。

 悔しかったというのはある。しかし、それだけであのモチベーションを維持するのは無理だ。私を突き動かしていたのは紛れもなく夢のおかげ。


 そもそも、私がこの夢を抱くようになったのは小学生の頃、私のマンションの隣の部屋に住んでいた乃々華と言う名前のイギリス人と日本人のハーフのお姉さんに洋画を見せてもらったことが切っ掛けなのだ。


 乃々華さんは英語も日本語も達者で、何度か流暢な英語を私に披露してくれたこともあった。その時から私の憧れは他言語操るというものになっていたのだろう。


 そして乃々華さんと交流を深め、私は乃々華さんにお願いして英語を教えて貰ったりしていた。

 そんなある日、私は衝撃を受けた。きっかけは友達と見に行ったある映画でのことだ。その映画は制作元がアメリカで、英語で作られた物だ。

 しかし、友達は英語など分からないし吹き替えで見ることになったのだが、今まで私は洋画を字幕でしか見たことがなかった。

 だから最初は、(吹き替えってどうなんだろ)と内心少し下に見ていたのだが、いざ蓋を開けてみると私は驚愕した。


(言い回しが独特すぎる……!これってほんとに私が知ってる日本語!?)


 知らない語彙、初めて聞く言い回し。

 翻訳したからこその独特な日本語。


 それに、改めて思い知らされたこともあった。


(英語じゃ全部主語は”Iアイ”だけど、日本語じゃそうはいかないんだよね)


 少し考えれば誰でも分かるような当たり前のことだが、それを彼女はもう少し深く考えることができた。


(つまり、『僕』『俺』『私』『わたくし』『オイラ』なんかを登場人物の性格や言動を元に翻訳している人がいるということ……!)


 それだけならば慣れれば簡単なことだろう。しかし、日本語と英語の違いはまだまだ沢山ある。それらを見極め、違和感がなくキャラとして適切な翻訳をしている人は、どれほど2つの言語を熟知しているのだろうか。


 そしてこれは何も映画に限った話では無い。本であっても同じことだ。例えば英語で書かれた小説を翻訳することになったとする。そうなるとやはり映画と同じように、登場人物の性格や言動からふさわしい語彙を探さなければならない。

 例えば、『there is a car』と言う言葉を翻訳するとして、そのまま翻訳するのであれば『車がある』となる。しかし、これを幼い子供が言ったとしたらどうだろう。


「車がある!」


 と言うかもしれない。


 なら英国紳士風の人物が言ったとしたら?


「車がありますよ」


 こうなるかもしれない。

 どちらも英語では同じ『there is a car』であるとしても、言う人によって翻訳の仕方が変わる。

 これは私にとって凄く面白いことだった。


 それからというもの、私は翻訳家を夢見て勉強してきたんだけど、高校に入ってからも担任の先生にやんわりとそれとなーく否定された。


 高校の先生はあのクズと違い、しっかり私のことを考えて、理想家の私でも納得できるようなサブプランを提案してくれたりもした。そして私の両親が私の夢に肯定的であることを面談で知ってからは、ちゃんと夢を応援してくれるようにもなった。


 それでも、第一印象というのは大切な物だったようで、私の中で高校の先生に対する評価もあまり高いものではなかった。担任の先生より教科担当の先生たちの方がお世話になった思い出がある。


 そして、猛勉強の末現在は偏差値70の大学に通って夢を追っている最中だ。


 そんな大学生活で私が出会ったのがVtuber。

 最初に見たのがレクサスだった。あの人は面白い。感性が完全におじいちゃんな所が私の推しポイントである。


 その後、レクサスを皮切りに色々なVtuberを見た。EN、JP構わず見た。そして、EN勢の魅力にハマり、こんな魅力溢れる人たちになんで日本のリスナーが付かないのだと理不尽に憤慨しながらVtuberとして『でらっくす』に応募したのもいい思い出だ。


 そして合格して、お金も稼げるようになってバイトを考えることも無くなって、ENメンバーと日本のリスナーの架け橋になったりして。


 その日々は、私にとって凄く楽しいものだった。

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