第5話

「えらいことになったわね」


 美希は自宅に帰りついた途端、そう言った。


 部屋の中は、連日にわたる作業の結果、ゴミ溜め同然になり果てている。


 ベッドですら愛しあった後そのままだ。

 それを見た美希は、さすがに顔を赤らめて「あら、やだ」と言った。


 そしてホログラム・コピーが吐き出したプラスチック用紙のそばに、苦闘の結晶である修理されたふたつの機械が置かれていた。


「うーん……金になりゃ何でもするつもりだったけど、これは、ちょっとな」


 いくら稼げるって言っても、戦争の火種になるのはごめんだ。

 ぼくだって、最低限の倫理観ってもんを持ってる。


「チョ、ちョ、ちょト」


 アンドロイド犬のポン太が、あいかわらずの声ですり寄ってくる。

 考えごとで頭が一杯のぼくは、ポン太を邪険に追い払った。


「ミミキイー、シシュウガ、イイイじめリュた!」


 ポン太はキャンと鳴いて、美希の膝元に逃げこんだ。


「とんだとばっちりね、ポン太。それより、これからどうする? ムーマとの約束の期限まであと1日なのよ。夜時間が明ければ、もう今日になってちゃう」


「ぼくたちの仕事が上がらないと、ムーマも八雲老人の希望を叶えられない。そうだろ?」


「そうなったら契約不履行で、別の技術者が仕上げるわよ。あのホーなら、わたしたちに出来ることは全部できちゃうわ」


「でもさ……もとの機械が全損していれば話は別だろ? この世にディスプレイとホロビジョンが存在しなくなれば、いくら頑張ってもレーザー砲のコントロール装置は完成しないもんな。第4層のシューター廃棄口には圧縮プレスがあるだろ? あそこに放り込んじゃえばいい」


「なるほどね。でもそんなことしたら、ムーマに何されるかわからないわよ」


 美希は無謀な行為の結果おこりうる結末を、もっとも穏便な表現で言った。

 もっと過激な表現を借りれば、消されるということだ。


「美希……下に逃げようか?」


「地上へ?」


「うん。この情報を持って、環太平洋国家連合の司法機関に逃げ込むんだ。そうすれば、とりあえず身の安全は確保できると思う」


 美希はゆっくりと天井を見つめた。


 チタン合金製の、むき出しのパイプが所狭しと這っている。

 ここは美希が10年近く住んでいた場所なのだ。


「そうね。そろそろ、地に足をつけたくなっちゃったかな」


「じゃ、賛成なんだね」


「でも……条件があるわ」


「なんだい?」


 なんだろうと、ぼくは深く考えもせずに聞いた。


にサインしてくれる? 地上でひとりになるの不安だから」


 ぼくは、とほうもない判決を告げられた被告人の顔になった。


「けけけけッくぉンン――!」


 ポン太が嬉しそうに、ゴミだらけの床を走り回っている。

 【結婚】なんて古臭い言葉、どこで覚えたんだろう。


「いやなの?」


 返事をしないぼくを見て、美希は落胆したそぶりを見せた。

 こんな美希の表情、見たのは初めて。


「………」


 まだ、返事をするのは早い。

 一時の感情に流されると一生後悔する。


 でも彼女とだったら、一緒に暮らせるかも?

 ぼくはそう思い始めた。


 ――コンコン。


 了承の返事をしようとした矢先。

 ドアがちいさくノックされた。


 途端に美希は、いつもの表情に戻る。

 インターカムのボタンを押した。


「どなた?」


「私だ。ホー・チャンだよ。あけてくれないか?」


 カムの画面いっぱいに、陰気そうなホーの顔が映っている。


「わかった。今、開けるから」


 美希は、インターカムに連動している、自動ドアのスイッチに手を伸ばした。


「待て!」


 ぼんやりと美希の行動を見守っていたぼくは、慌てて制止の声をかける。

 重要なことを見落としていたことに気づいたからだ。


 ぼくも美希も、自分たちの住所やフルネームを、ホーに教えていない。

 美希の名字だけでは、この部屋にはたどり着けない……。


 だけど、そう思ったときには、すでに扉は開き始めていた。


 扉のむこうで、ホーが立ち尽くしている。

 そのホーを突き飛ばして、数人の屈強な男たちが乱入してくる。


 男たちは、見慣れてはいるが関りたくはない服装に身をつつんでいた。

 それはエィジア軍警察――通称、泣く子も黙る【コマンドポリス】と呼ばれるごろつきどもだった。


「動くな!」


 いくつものレーザーライフルが突きつけられる。

 ぼくと美希は腕を取られ、顔面を床に押しつけられた。


 左目だけで辛うじて入口を見る。

 そこには白衣を着たままのホーと、それにもう一人、ムーマが立っていた。


「う、うらぎったな!」


「楠田さん。裏切ったのはあなたのほうでしょう。お二人の会話は、すべて仕掛けておいた盗聴装置で録音されています。いいわけはできませんよ」


 ムーマが勝ち誇った声をだした。


「わん!」


 ぼくを押さえているポリスの腕に、ポン太が飛びかかった。

 ちゃんと犬の鳴き声を出したところを見ると、番犬回路が作動したらしい。


 押さえつけている腕の力が鈍った。

 ぼくは渾身の力でそれを跳ねのける。


 床に置かれているホロビジョンに手をかけた。

 撃たれる危険など考えもしない。


 ただこいつを叩き壊さなければと、それだけを考えていた。


 ――ブン。


「シュウ!」


 何かが、ぼくの首筋に当たった。

 美希の叫びだけが辛うじて聞こえた。

 それっきり、ディスプレィの電源を切るみたいに世界が暗転した。


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