第三話 再来する追憶の人々
次の日も、毎朝のルーチンとして散歩に出かけた。そのような気分ではないが、もう一度、あの場所に行かなければと心が騒ぐ。
今日は公園を通らず、立ち並ぶマンション群の歩道を歩いてベイ・ハーフへと向かう。昨日とは別の歩道橋を登り、右に折れ曲がって同じ遊歩道に踏み入れる。
そこは昨日と異なり、まるで写真のように静まり返った無人の歩道が、ベイ・ハーフへとつながっていた。誰一人いない歩道には遠くより聞こえる高速の騒音だけが、わずかに反響している。
少しほっとしながらコンビニエンスストアの前に置いてあるベンチを見ると、数人が座っていた。
昔から近眼で遠くの物が見えづらい上に、眼鏡をかけていないため、ぼんやりとしかわからない。
コンビニエンスストアに近づいていき、ようやく顔を認識できた。
「え!」
知っている人物が三人、そこにいたのだ。
いや、知っているというは語弊がある。あの記憶の奔流により思い出した三人だ。共に多くの時間を過ごし、戦い、悲しみと楽しみを分かち合った仲間の姿を見間違える訳がない。
一人は
隣りの女性はスラリとしているが、筋肉質な体は鍛え抜かれている。優しい顔と胸まで伸ばしたウェーブした髪とのコントラストが、魅力を引き出していた。白いシャツに赤いセーターで淡い青緑色のスカートを履いている。体形は見えないが、おそらく引き締まった体つきのはず。彼女は言わずと知れた元オリンピック体操選手の
最後の男性は少しだけ痩せて背が高く、丸眼鏡がよく似合っていた。髪の毛も茶髪に染めており、赤いジャケットに紫色のジーンズと、いかにも派手な業界にいるのがわかる。肌の艶や、しわの量からいうと、やはり五十代くらいに見える。
ようやく収まっていた記憶の奔流が再び襲いかかってきた。しかし、その記憶は彼らと過ごした思い出の記憶であり、懐かしくもありうれしくもある。
そして私は思わず大きな声を出していた。
「アスク、シェンヌ、シモン!」
もう年のせいか、目頭が熱くなり声も震えていた。女性についてはこの世界での名前を知っているが、二人の男性については知らない。おそらく彼らの本名は別ではあるが、私が知っているのはこの名前だけだ。
思い出した記憶のなかで一緒に生き抜いた人たちと会えた喜びで、彼らに飛びつきたい気持ちを抑えるのが精いっぱいだった。
同時に、あの記憶の奔流から、ようやく現実の世界に戻った気がする。春の冷たい朝の空気が鼻から肺へと流れ、コンビニエンスストアの独特の匂いと混じり気道に流れ込んでいく。昨日より少しだけ寒い朝の空気が体を冷やしていくのがわかった。
彼らはマスクを外しながらベンチから立ち上がり、右膝を地につけ右腕を胸に当ていた。あの世界での最敬礼だ。
「「「ヒイロ様」」」
「参上するのが大変遅くなり、誠に申し訳ございませんでした。」
三人は声をそろえて私の名前を呼ぶ。そのうちの一人、シモンが最敬礼のまま頭を深く下げた。
「いや、私も一日前に思い出したばかり、謝られることは何もない」
「ありがたき、お言葉」
自分も口調が変わっていることに気づいた。あの記憶のなかで話していた口調だ。
シモンは続ける。
「実は、もうお一方いらっしゃいますので、しばらくお待ちください」
「それよりも、みんな立ってくれ。普通に話そう」
さすがに、この格好のままでは話を続けられない。ここは現代であり、道端で異世界の最敬礼をしていると非常に目立つ。
「「「はい」」」
三人は立ち上がり、軽く会釈をした。シモンはスマホを操作して、誰かに連絡をとっている。
少しだけ待っていると、ベイ・ハーフの奥から足音が『カァン、カァン』と、通路の天井に反響して響き渡ってきた。
そしてカーブした通路から一人の女性が現れ、甲高い声で叫ぶ。
「ヒイロ!」
聞き知った声だった。肩まで伸びた髪をなびかせ、その大きな目と整った顔立ちはまさに女優のそれだ。日本の女性としては背が高く、私とほぼ同じくらいある。薄黄色のワンピースに濃紫色のカーディガンを着ている彼女は、
私も彼女の名を呼ぶ。
「リュヌ!」
彼女は私の前までくると、軽く、しかし見事なカテーシーをした。走ってきたせいで息を切らせており、その額には汗が浮かんで、ふんわりと香水の香りがする。彼女の大きな目はすでに潤んでおり瞳の周りは赤く充血していた。
「はぁ、はぁ……。大変お久しぶりです。ヒイロ」
「ほんとに久しぶり……。というか、こんな有名な人と知り合いだったなんて夢にも思わなかった」
「まあ、あちらの世界とは異なり、少し年は重ねてしまいましたが、お会いできてうれしいです」
「こっちこそ、だいぶ年老いてしまっていて――」
「いいえ、ヒイロはヒイロです」
私が自分を卑下する前に彼女が遮った。彼女の心遣いに感謝しつつ、昨日からの記憶の奔流を共に分かち合える仲間が現れたことで、安心する自分がいる。そして、あの世界へ全員で一緒に還りたいと思った。
その思いに呼応するかのように、熱いものが足の裏から頭に向かって流れる。あの世界での記憶が
そう、これがあの世界では普通だった。毎日この感触を感じ、鍛え、解き放つ。打ちひしがれても自分を信じ、この力を信じて生きてきた。
次から次へと体に熱いものが流れ込んでくる。それを圧縮して体に隙間をつくるが、さらに流れ込んでくる。熱いものが体を満たしていくのと同時に、還りたいという気持ちも高まってきた。
思わず心の奥で叫ぶ。
――ヴィロ! あの世界へ再び!
その瞬間。
背後から息をするような不思議な感触を覚える。
勢いよく後ろを振り向くと、普段はひっそりと
それは曲線を描いた純白の外壁を、駆け上がるように伸びる
光の脈動は『こちらにおいで』と招いている。
振り返って仲間たちの顔を見ると、全員が声を出さずに小さくうなずく。みんなの考えは同じだ。
私の腕は鳥肌が立ち、強く握りしめている手のひらは汗まみれだ。
そして、あの記憶が頭のなかを駆け巡る。
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