1-3 契約
「なんでドラゴンが……!?」
「フ、大げさじゃな」
隣に立つ魔王は、赤い鱗と無数の角を持つドラゴンを見て、笑っていた。
「ドラゴンなぞ、それほど珍しくもなかろう」
「何言ってんだ! ドラゴンなんて、とっくの昔に絶滅しただろ!」
魔王から表情が消える。
ドラゴンが口から火球を放ったのは、その瞬間だった。
「危ないっ!」
魔王の手を掴んで廊下を走り出す。さっきまでいた場所は、がれきの山になった。
「おい! 絶滅とは何事じゃ!」
「ああそっか知らないのか! 負けたんだよ、神霊獣に!」
「しんれいじゅう? ――待てっ!」
強く腕を引かれ、俺は足を止める。
俺の身体よりも大きなドラゴンの頭が、壁を突き破って目の前に現れた。
ドラゴンの目が、ぎょろりと俺たちを捉える。
そこで気づいた。
「こいつ、眷属か!」
魔獣を模した眷属は、青い目と全身を包む白い光が特徴だ。
世界中で暴れていて、その種類も多い。
けど、ドラゴン型の眷属なんて聞いたことがない。
「身動きがとれん! 外に出るぞ!」
魔王と一緒に来た道を走り、崩れた壁を越えて外へ飛び出す。
壁から頭を抜いた眷属が俺たちを見つけ、腕と一体になった翼を広げて吼えた。
「俺たちを狙ってる、よな?」
「じゃろうな。見よ、あの殺意に満ちた目を。余を喰らうつもりかの」
確かに、眷属は俺ではなく魔王を見てる。
でも、俺のやることはもう決まっていた。
剣を抜いて、一歩前に出る。
「あいつは俺が引き受ける。後ろの道をまっすぐ行けば、街に着くから」
「馬鹿を言うな! 剣一本で戦う気か⁉」
「家をぶっ壊されたのもあるけど、子どもひとり守れないなんて、爺ちゃんに顔向けできないからな」
「余を子ども扱いとは……!」
「それに――」
正直、我慢の限界だった。口角が、勝手に上がっていく。
「あいつがどれだけ強いか、気になるじゃないか!」
全力で走り出す。後ろから何かを叫ぶ声がしたけど、聞き取れなかった。
眷属が俺に注意を向け、口に炎を蓄え始める。
火球の発射寸前、俺は身体を右に動かして軌道から外れた。
「はあああっ!」
背後で爆発する熱を感じながら、隙ができた眷属の顔面に剣を叩きこんだ。
瞬間、手から肩まで、痺れが駆けあがった。
「硬……っ!」
間髪を入れず、眷属の右腕が降ってくる。
後ろに跳んで回避。俺がいた地面は落とした皿みたいに割れた。
「はは、すげぇ!」
眷属は、その姿の基になった魔獣と同等の力を持つという。
これがドラゴン。これが最強の魔獣。
ああ……たまらないな!
「じゃあこっちも、全力で行かせてもらうぜ!」
手に集めた魔力を、握った剣へ移動する。
剣身が、淡く光り始めた。
「――
俺の声と同時に、剣身が二つに分かれて、その間から長大な光の刃が現れる。
俺が仕掛けることを察知したのか、眷属が動きだした。
巨体を活かした突進は、とてつもない威圧感だ。
でも、動きが単調な分、隙も大きい!
「おおおおりゃあっ!」
眷属の牙を弾いて、持ち上がった首に光の剣を突き立てる。
「これで……! どうだっ!」
担ぐようにした剣を、思い切り振り下ろす。
眷属の首から頭が真っ二つになって、その身体が地面に沈んだ。
「ふう……」
元の形状に戻った剣を、鞘に戻す。直後に足の力が抜けて、膝をついた。
ついはしゃいで、魔力を使い過ぎたな。
「にんげーん!」
魔王が近づいてくる。逃げてなかったのか。
「見事じゃ! 余の臣下ならばそうでなくてはな!」
「誰が臣下だ。……でも、個人的には、もう少し歯ごたえがあっても――」
言葉が、止まった。
魔王の背後で、倒したはずの眷属が、左腕を高く掲げている。
俺の身体は、すでに動いていた。
魔力が減っているから、全身が重い。
それでも、持てる力のすべてを使って、魔王を突き飛ばす。
すべてが、ゆっくり動く。
驚いた魔王の顔も、近づく巨大な爪も。
ごめん、爺ちゃん。
俺、すぐに追いつきそうだ。
※
「う……」
身体を起こした少女は、目の前の光景に愕然とした。
「にっ……人間!?」
自身を封印から解放した人間が、仰向けで倒れている。
その胸は裂かれ、赤い色を地面に広げていた。
「しっかりせんか! おい!」
駆け寄って、自らも血に汚しながら少年に触れる。
「ぬし、なぜ……!」
「ぅ……あ……」
剣を握ったままの少年の口から、血と混じった声がこぼれた。
「は、やく……い、け……!」
それだけを告げ、少年の身体が弛緩する。
「人間! こちらを見よ! 人間! ……レノスッ!」
呼びかけに、地面を揺らす足音が重なった。眷属が近づいてくる。
頭部は完全に再生され、攻撃が無意味だったことを見せつけていた。
刻一刻と冷たくなる少年の身体。塞がらない傷。止まらない血。
そして、ただ見ていることしかできない自分。
――同じだ。
少女の脳裏に、忌まわしき記憶が走る。
「ドラゴンごときが……っ!」
奥歯を噛みしめ、眷属を睨みつけた。憎悪と、怒りを込めて。
「またも弱者に! 余を守らせたなっ!」
突き出した右手から、紫の光弾が飛んだ。
ねじ込まれた光弾とともに眷属が屋敷に突っ込む。
「出た……⁉ なぜ今になって……まさか、こやつの血か!」
触れる血から、身体に馴染む魔力を感じる。
「魔法が使えん理由はこれか……」
屋敷の奥から聞こえた咆哮に思考を切り替える。
肌を刺す殺気。姿は見えないが、すぐに戻ってくると判断した。
「……世界は変わらん、か」
微笑を浮かべた表情を引き締め、少年を見やる。
「レノス、まだ死んではおらんな?」
虚空を漂う視線がわずかに傾いた。
「ぬしの働き、大儀であった。じゃが、このままではぬしは息絶え、余もやつの腹の中に収まることになろう」
何かを言おうと口を動かす少年の頬に、両手を添える。
「余と契約を結べ。助かる方法はそれしかない」
戸惑いに震える少年の目に、少女は力強く告げた。
「今この瞬間、ぬしに余が必要なように、余にもぬしが必要なのじゃ」
一瞬の見つめ合いのあと、少年が息を吸うのを感じた。
「わかっ……た……!」
それ以上の言葉を発せず、少年の身体が脱力する。
それだけで十分だった。
「感謝するぞ」
少年の後頭部に手をやって、少しだけ持ち上げる。
「恐れるな。余に、すべてを
穏やかな声とともに、少女は少年に顔を寄せていく。
少年の息が、――止まった。
だが、絶命ではない。
少女の薄い唇が彼の唇に重なっていた。
それは、ほんの数秒の出来事。けれどその間、二人を隔てるものはなかった。
互いに血の味がする口から、空気がこぼれる。
「契約成立、じゃな」
少女が紫の光となり、裂かれた胸から少年に飛び込む。
一瞬の静寂を突き破り、煌めく暴風が少年を中心に巻き起こった。
少年が立ち上がる。見えない何かに引かれるように。
胸に負ったはずの致命傷を、ただの傷跡に変えながら。
「………………」
少年のまぶたがゆっくりと開く。
その瞳は、少女と同じ銀色を宿していた。
がれきの中から眷属が飛び出す。
燃える屋敷の上空に達すると同時に、これまでで最大の火球を放った。
だが、火球はさらに巨大な光の激流に、眷属もろとも飲み込まれた。
光は膨れ上がり、彼方の山の頂を削って消える。
眷属は全身を焼き崩してなお、空に浮かんでいた。
再生しながら睨む先は、己ごと世界を貫いた力の源。
魔力を帯びた切っ先をこちらに向ける、
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