1-12 最強の敵

「……ん? あれ? もう夜?」


 目を開けると、妙に薄暗かった。

 界域を出たことは感覚でわかるけど、これがメルナの言ってた『気を付けること』なのか?


「違うぞ。よく見るのじゃ」


 隣に立っていたメルナの言った通りにする。

 俺たちは、高い土の壁に囲まれていた。

 しかも、界域とつながる魔法陣があった地面は、バキバキに割れている。


「なんだこりゃ……」

「余の存在を知られるわけにはいかんからの。地面を変形させて死角を作っておいたのじゃ。苦労の大半はこれじゃったな」


 少しずつ力を取り戻してる状態でこれか……。


「あ、そうだよメルナ。お前、どうやって界域に?」

「悠長に話をする余裕はないぞ。土壁の向こうに人間の気配が多い。この学園の教師とやらじゃろう。レノス、あの切れ間が見えるな?」


 メルナが指で示した先。土の壁と地面が接する部分に、小さな穴が空いていた。


「意図的にあの壁だけ脆くしておいた。踏み割って、小僧とともに出るのじゃ」

「メルナはどうするんだ?」

「知られるわけにはいかんと言ったじゃろ?」


 メルナが右足のつま先で地面を踏みつける。足元に、子ども一人が通れそうな小さな穴が空いた。


「余はぬしとは別方向でここを離れる。先に部屋に戻っておるからな」

「またこの流れか……」

「ではな。余のことは他言無用じゃぞ」


 ぴょんとメルナが飛び込むと、穴はすぐに塞がった。


『アーティオンくん! ロアくん! いるなら返事を! 返事をしてください!』


 壁の向こうから、エリカ先生の声が響く。


「っと、そうだった」


 起きる気配がないラーグを抱えて、メルナが教えてくれた壁を蹴る。

 簡単に壊れて、外の光とざわめきが一気に入ってきた。


「ああ二人とも! 無事だったんですね! よかった……!」


 俺たちの姿を見たエリカ先生は、今にも大泣きしそうだ。


「急に界域の映像が途絶えて、全然復旧しなくて、紫の雷が落ちてきて地面がめちゃくちゃになって……ああ、本当に……!」


 うん。前言撤回。泣いちゃった。ボロボロ泣きだしちゃった。


「すみません、先生。俺は無事なんですけど、ラーグが……」

「ロアくん!? ああああ、やっぱり無事じゃなかったんですねぇ!」

「ま、魔力切れですって! 寝てりゃ治るとは思いますけど――」

「レノス!」


 駆け寄ってくる他の先生を押しのけて、ユーさんが走って来た。


「ゆ、ユーさんっ? あ、いや、学園長?」

「素晴らしい! 見事にラーグを倒したんだな!」


 興奮した様子のユーさんは俺の両肩に手を置いた。


「やはり君は、私の見込んだ通りの才能の持ち主だ!」

「いや、倒したとかじゃなくて……って、そんなことより早くラーグを運ばないと!」

「私は君と話してるんだ。負けた者など、どうでもいいじゃないか」

「え……?」


 明るい口調だけど、冷たい言葉だった。


「途中で映像は消えてしまったからね。どのように戦い、そして勝利したのか、ぜひ聞かせてほしい」


 何かが、おかしい。

 ユーさんは学園の生徒をいつも気にかけている。

 なのに、気を失っているラーグに見向きもしない。


「あ、あの、学園長? まずはロアくんを医務室に……」


 エリカ先生の遠慮がちな声に、ユーさんが振り向いた。


「黙れ! 気安く話かけるな!」


 その剣幕に、エリカ先生だけじゃなく、他の先生たちも凍り付く。

 俺も戸惑いを隠せなかった。


「ユーさん、あんた……」


 後ずさった俺を、ユーさんが追ってくる。


「さあ、レノス。私とともに……」


 ユーさんの手が、俺の顔に伸びて――


「私の生徒から離れろおおおおおおおおおおおおっ!」


 横からの拳が顔にめり込んで、ユーさんが盛大に吹き飛んだ。


「危ないところだったね。レノス」


 俺の隣に立っていのは、ユーさんだった。


「え!? ユーさん!? ユーさんが……二人!?」

「こういう場では、学園長と呼びなさい」


 柔和な笑みと優しい声、纏う雰囲気が、この人は本物だと告げている。


「じゃ、じゃあ、あっちのユーさんはっ?」


 立ち上がったユーさんに視線が集中する。

 最初に俺に近づいてきたユーさんの顔が、溶けて崩れた。

 エリカ先生が短い悲鳴をあげる。


「私の留守を狙って、好き放題してくれたようだな」


 ユーさんだったそれを、本物のユーさんが指差す。


「姿を変えようと、その邪悪な魔力を忘れるものか! モディフィック!」


 全身を衝撃が駆けた。

 モディフィック。

 それは、俺にとって絶対に忘れられない名前。

 最も多く街や村を破壊し、最も多く人を殺した、最悪の神霊獣。

 俺のすべてを奪い、記憶に焼き付いた、俺の仇――!

 ……でも。


「なんでここに……いや、それより、こいつが……?」


 悪夢で見るものとはまったく違う姿に、ますます混乱してしまう。


「眷属化は確認できた。ここが潮時だな」


 そう言ったモディフィックの像が薄くなっていく。


「逃がすと思うか! 渦炎かえんよっ!」


 ユーさんが右手から飛び出した炎の竜巻が、モディフィックに襲いかかった。

 連続した爆発が起きて、修練場の地面がまた破壊される。

 けど、煙が晴れた地面には、モディフィックの姿は見当たらなかった。


「くそ! 私に化けるなど……!」


 悔しげなユーさんに、俺はラーグを抱えたまま近づいた。


「ユーさん、いったい何がどうなってるんだ?」

「……順を追って説明しよう。だが、まずは」


 ユーさんの視線がラーグに動く。


「ラーグを医務室へ。レノス、君もだ。顔色が悪い。ちゃんと診てもらいなさい」


 そっと、俺の肩に手が乗った。


「落ち着いたら、話をしよう」


 モディフィックの出現と消失に波立つ心が、静かになっていく。

 ああ、よかった。

 この人は、いつものユーさんだ。

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