1-10 白き異形、黒き魔剣

「なにをやっとるんじゃ、あやつは」


 決闘開始直後。学園の並木通りで、メルナは空に点々と浮かぶ映像に嘆息していた。


「初撃から全力はよいが、仕留め損ねては意味がないぞ」


 主人として教育が必要か。そんなことを考えながら腕を組む。


「あ、あのぅ……」


 隣から、眼鏡をかけた三つ編みの少女が控えめに呼びかけた。


「もう、いいですか? 界域については教えましたし……」


 手のひらに乗せた小さな水晶片に、空と同じ映像が流れている。

 界域を知りたがるメルナに捕まった、不運な少女であった。


「まあ待て。あやつらが異空間に転移しとるのはわかった。じゃが、始まる前に言っとった、とはどういうことじゃ。殺し合わない、というわけではないのか?」

「そ、そのままの意味、です。界域に入った人には、不死の魔法がかかって、向こうで負った怪我も、こっちに帰ってくれば、元通り……」

「また妙なものがあるのう。しかし……む?」


 そこで、メルナは言葉を止めた。映像が乱れている。像が荒くなり、すぐに映像全体が白く塗り潰された。


「何事じゃ? 急に見えなくなったぞ?」

「え? あ、あれっ? なんで?」


 少女の慌てた様子と、騒然となる周囲の空気に、メルナは異常事態を察知する。


「向こうで何かが起きとるのか……? おい、界域には今から入れるか?」

「へっ? 修練場に今出てる魔法陣からなら、入れますけど……」

「それがわかれば十分じゃ!」

「ちょっ!? 戦闘の巻き添えになって危険で……行っちゃった。なんだったんだろう」


 修練場へ走っていったメルナへ、少女は首をかしげた。


「……、本物なのかな?」


 ※


 なにが起きた?

 俺はラーグと戦っていた。そのはずなのに。

 今の爆発は。さっきの光は。

 ラーグと溶け合ったこの怪物は、いったいなんだ!?


「ラーグ……だよな?」


 額に結晶が埋まったラーグを、恐る恐る呼ぶ。ギンと開いたラーグの目が、俺を捉えた。

 よかった、意識はあるみた――


「■■■■■■■■ッ!」


 獣のような咆哮と凄まじい雷撃が、界域を駆け巡った。

 空も大地も、ガラスのように砕けて、崩壊していく。


「ラーグッ!? いったいどうしたんだ!」


 帯電する怪物が、拳を振り上げて俺に飛びかかってきた。


「それもお前の魔法なのかっ!?」

「■■■■■■!」


 怪物の拳を転がってかわす。拳が叩きつけられた地面が、大きく陥没した。

 とんでもなく大きな穴だ。この怪物、あのドラゴン型の眷属より力があるらしい。

 でも、あの時みたいな激しい闘志が湧いてこない。


「普通じゃないだろ、これ……!」


 そばで突き立つ光の剣を引き抜く。

 得物を手にしても安心はない。違和感と混乱が俺の心を支配していた。

 拳を地面にめり込ませて苦しそうに呻くラーグが、何かを吐き出す。


「青い……血……?」


 認識した瞬間、全身から冷たい汗が噴き出た。


「眷属!?」

「■■■ッ!」


 怪物――ラーグを取り込んだ眷属が、また動き出した。

 もう一度、拳を使った攻撃。ただ、さっきと違って雷を纏っている。

 なぜ、それもこんな異形の姿で。ラーグが眷属になったのかはわからない。

 こうなったら……!


閉戦イジェクト!」


 界域を出るための合言葉を叫んだ。

 が、何も起こらない。


「そんなっ!?」


 落ちてくる雷の拳。どうにか防御したが、光の剣にひびが入った。

 光の剣は、俺の魔力でできている。

 魔力が形作る刃は頑強だ。そう簡単に折れたり砕けたりはしない。

 それを、たった一撃でここまで破壊するなんて!


「どんだけの……っ、馬鹿力だよ!」


 剣からひびが消えた。

 光の剣は、柄を握っている限り俺の魔力を吸収し続けて、損傷もすぐに修繕する。

 でも永遠じゃない。魔力の減少に比例して剣も消えていく。

 事実、両刃だった光の剣は、すでに片側だけだ。

 そして、魔力が底をつけば光の剣は消え、俺も動けなくなる。


「先生たち、いったい何してる……!」


 界域の映像は、決闘の始まりに粉砕して空中に漂う水晶片たちが中継装置となって外に流している。こんな状況を見過ごすとは思えない。

 なのに、救援が来る気配もない。


「やっぱり、界域ここがおかしくなってるよな……」


 こっちの様子が向こうに伝わってないなら、最悪だ。

 俺は、この異常な界域に、眷属と閉じ込められた。

 崩壊寸前のこの場所で、不死の魔法だけが作動すると思うのは都合がよすぎる。

 それに、もしこいつが外に出たら、きっと学園は大変なことになってしまう。


「やるしかないか、俺だけで……!」

「■■■■■■!」


 人間のものとは思えない叫びをあげるラーグ。今度は少し、悲鳴のように聞こえる。

 眷属の頭があるはずの位置で、青い光が甲高い音とともに球形に膨らんでいた。

 足に意識を総動員して後ろに跳んだ直後、放たれた光線が地面を割った。

 避けられたと確信したのもつかの間、視界が少し暗くなった。

 首無しの眷属が、両手を組んで振り上げながら、飛んでくる。


「読まれた……!?」


 驚いたけど、すぐに身体を動かした。

 横殴りに振った光の剣が、眷属の拳と激突する。

 衝撃で剣と拳が弾き合い、互いに体勢が不安定になる。


「ちいっ!」


 それでも手放さなかった剣での追撃。取り込まれたラーグとギリギリの位置を斬る。

 眷属の胴体から青い血が噴き出た。攻撃は効いてる!


「だったらぁっ!」


 連続して眷属を斬りつける。

 反撃の隙を与えないように、足や腕へ剣を叩きつけていく。

 本来のラーグだったら、ここまで俺の攻撃を許すことはないはずだ。

 心なしか、眷属の動きも鈍くなっている。


「ラーグも、抵抗してるのか……!」


 異変の原因に見当はついてる。ラーグの額の結晶だ。

 雷撃や光線を放つとき、まずあの結晶が光っていた。

 あれがあの眷属の魔力の源。壊せばきっと、ラーグは元に戻るはずだ!


「ラーグ! 今助ける!」


 振り下ろされた拳を押しのけて、光の剣を構え直す。


「終わったら、もう一度仕切り直しだ!」


 ラーグの額へ、力を込めた切っ先を押し進める。


「はああああっ!」


 結晶に、刃が触れた。

 硬いものが砕け散る音。


 けれど、結晶には傷ひとつない。

 砕けたのは、光の剣だった。


「魔力切れ……!」

「■■■ッ!」


 目の前に、白い拳が迫った。


 ※


 崩壊を続ける界域で、異形の眷属は石像のように立ち尽くす。

 全身に走る裂傷と、身体に取り込んだ少年から、青い血を流しながら。

 眷属から少し離れた位置で、黒髪の少年が倒れている。

 崩れる極彩色の空に、穴が空いた。

 広がる真白の空間は、界域の外へと通じている。

 頭のない眷属は、悠然と穴へ向かおうとした。


「――突然叩き起こされたかと思えば」


 その声に、眷属の動きが止まる。

 倒れたはずの黒髪の少年が、起き上がろうとしていた。


「なかなか面白い状況じゃねぇの。ええ?」


 力強く立った少年の片目は赤く、その顔は、どこか別人めいた雰囲気を纏っている。

 眷属は再び首に浮いた虚空から、少年へ光を放った。


「おっと」


 少年のかざした左手から、薄紫の光の壁が形成され、光線を遮る。


「お前もあの頃のまんまか。嬉しいねぇ」


 右手に持つ剣を、ゆらりと顔の前に運ぶ。


「……魔剣起動ウェイクアップ


 声に応じて二つに割れた剣身から、新たな刃が現れる。


「久しぶりの外……。久しぶりの戦いだ……」


 その刃の色は、闇。

 深く、重く、漆黒よりも暗い、すべてを飲み込む色の剣を構え――。


「退屈させてくれんなよ?」


 少年は、嗤っていた。

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