1-8 暗躍
夜が更けて、虫のさざめきと風の流れる音だけが聞こえる学園の中央通り。
修練場に最後まで残っていたラーグは、寮への帰路についていた。
(――気に入らねぇ)
胸中で渦巻く苛立ちは、学園に入学してから募り続けている。
ラーグの生家であるロア家は、広大な領地を持つ貴族……だった。
“始まりの日”。
二十年前に起きた、七体の神霊獣による世界七ヵ所で起きた最初の侵攻。
数億を超える死傷者を出し、大陸の地形を変えた大破壊は、人々に神霊獣への恐怖と憎悪を植え付けた。
中でも被害が大きかったのが、ロア家の領地。そして、そこに生きる領民たち。
たった一体の神霊獣の攻撃で土地と民の大半を失い、ロア家は衰退の道をたどることになる。
ラーグが生まれたのは、始まりの日の四年後。母はラーグを生んですぐに死んだ。
ロア家で過去にないほどの魔法の才を秘めていたラーグを、父は神霊獣への復讐と家の再興のために育てた。
ラーグもまた、父の期待に応えようと励んだ。
たとえ、自分に始まりの日の記憶がなくとも。
『頼む、ラーグ。私にはもう、お前しかいないんだ』
珍しく酒に酔った父が、一度だけ涙を流して口にした言葉を、今も覚えている。
家の没落を招き、父を苦しめる神霊獣への怒りを糧に、魔法の腕を磨き続けた。
時は経ち、父と自分の目的に少しでも近づくために、マギナ学園に入学した。
そして、あの男に遭遇した。
『レノス・アーティオンです! 得意な魔法はありません! ってか魔法が使えません! でも、この剣で神霊獣を斬って、世界を平和にします! よろしく!』
クラスでの最初のあいさつを思い出すだけで、奥歯に力がかかる。
家の再興という使命を背負い、魔法の腕を、戦うための力を磨いてきた。
それなのに。
魔法が使えず、妙な剣を携えただけの男が、自分と同等の戦闘力を持っている。
認めない。認めるわけにはいかない。
それに――
「ラーグ・ロアさん」
ふいに呼びかけられ、足を止める。
声のした方を見ると、木の陰に潜むように何者かがいた。
服装からして、学園の男子生徒のようだが、目深にかぶったフードで顔が見えない。
「なんだ、お前」
「名乗るほどでは。強いて言えば、あなたの
「
「明日、レノス・アーティオンと決闘をすると聞きまして。あなたにこれをと」
男子生徒が差し出したのは小さな鎖が先端から伸びる、青い結晶。
「ンだそりゃ」
「お守りです」
「ハッ、くだらねぇ」
払い落そうとした手が、空を切る。
男子生徒の手は、ラーグの動きを見切っていたように、わずかに下がっていた。
「てめぇ……」
「必ず、あなたの力となります。さあ」
差し出される小さな結晶。
こちらが手を出しても避けられるならと、ラーグは両手をポケットに入れた。
「あいにくだが、俺はそんなもんに頼る人間じゃねぇ。気持ちだけもらっておく」
怪しい。本能的にそう察知して、退散する選択を取る。
「負けてもいいのですか? レノス・アーティオンに」
少し強まった声が、背中を掴んだ。
「あ……?」
「彼の成長は目覚ましいものです。まともな魔法が使えない身でありながら、努力を怠らず、優秀な成績で入学したあなたを追い落とす勢いです」
「この俺が、あいつより劣ってるとでも言いてぇのか?」
「このままでは、という話です。事実、今のあなたは、わずかですが心にほころびがあります」
「回りくどい言い方しやがる……!」
「私は、勝利するあなたが見たい」
男子生徒は、穏やかな口調に戻って、ラーグに近づいた。
「その一助になりたいだけなのです。どうか、あなたを応援する者もいると、覚えておいてください」
月光を取り込み、淡く輝く結晶。魔力は帯びているが、さして危険は感じられない。
拒絶してこれ以上食い下がられても面倒か。ラーグはそう考え、ポケットに入れていた手を出した。
「てめぇの考えなんざ知ったことじゃねぇ。だが、俺は必ず勝つ」
結晶が、ラーグの手の上に移る。
「そう。それでいい……」
男子生徒はそのまま、暗闇に溶けるように消える。
「待て! てめぇ、名前くらい聞かせろ!」
「明日の戦い、楽しみにしていますよ」
完全に姿が見えなくなり、ラーグはその場に立ち尽くす。
「なんだってんだ、ったく……」
木々の風にざわめく音が埋め尽くす空の下、青い結晶を握りしめた。
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