1-1 魔王の復活

「さて、君たちが校舎の一部を破壊した件だが……弁明はあるかな?」


 マギナ魔法学園の学園長ユーシディア・カルナージが穏やかな笑みを向けてくる。

 濃紺の髪と目を持つ、二十代でも通用する美男子。だけど御年なんと五十歳。

 なんでも若返りの魔法を使ってるとか。


「さっきも言いましたけど、こいつが勝手に暴れただけですよ」


 答えた俺を睨むこの黄色い短髪のツンツン頭はラーグ・ロア。

 雷魔法の使い手で、ウォルゼやミシェラと同じ一年一組の同級生だ。


「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ!」


 最大の特徴は、常に怒っていること。

 俺はそんなラーグと、一緒になって校舎の壁に穴を開けたことにされていた。


「元はと言えばてめぇが模擬戦でオレの獲物を横取りすっからだろうが!」

「誰かさんの撃ち漏らしを処理しただけだなんだがなぁ」

「ンだとコラ……!」

「やんのか、おぉ?」


 ラーグの身体からパチパチと電気が爆ぜて、俺も腰に提げた剣に手をかける。


「やめなさい」


 少し語気を強めた学園長に、俺たちは臨戦態勢を解いた。


「元気は結構だが……」


 ため息をついて学園長が椅子から立つ。スラリとした体格がまた決まっている。


「知っての通り、我々人類を脅かす神霊獣も三体を倒し、残るは四体。世界はそこに明るい兆しを見出そうとしている」


 人類、単純すぎないか? と茶々を入れない品性はラーグも持っているようだ。


「だが、神霊獣がいる限り脅威が消えたとは言えない。実際、神霊獣が操る眷属は活動を続けているのに、神霊獣自体はここ数年、目撃情報すらないんだ」


 そう。何も終わっていない。やつも、まだ……。


「神霊獣と戦うマギナも、未来のマギナたるこの学園の生徒も、激化する戦いで数が減っている。今まで以上に団結が重要だ。今年入学した君たちの代は特にね」

「そりゃ、まあ」

「わかってねぇわけじゃねぇ……っすよ」

「なら、弁えてくれ。レノスはもう少し周りを見て行動するように。君は……誤解を招きやすいから」


 妙な沈黙があったのが気になったけど、今は素直に頷いておこう。


「ラーグも、りあうなら決闘にしなさい。もっとも、壁を壊した罰として、レノス共々、今日から三日間は決闘を禁じるがね」

「……っす」

「さあ、話は終わりだ」


 ラーグと一緒に軽く頭を下げて学園長室を出ようとする。


「ああ、レノスは残りなさい」

「へ?」


 足を止めた俺に一瞥をくれて、ラーグは先に学園長室から出ていった。


「何? ユーさん」


 学園長じゃなく、いつものあだ名で呼ぶ。ユーさんは爺ちゃんと知り合いで、俺とも長い付き合いだ。


「もう行くんだろう?」


 差し出されたのは、一輪の白い花。


「心ばかりだが受け取ってほしい。先ぱ……お爺様のことは残念だ」


 今朝に届いた爺ちゃんの訃報は、ユーさんにも伝えていた。


「特別扱い、しないんじゃないの?」

「教育者としては生徒たちに平等さ。だから呼び出して説教した。こっちは私情だよ。同行もできないが、供えてくれると嬉しい」

「……うん。ありがとう」


 花をそっと握ると、ユーさんは困ったように笑った。


「朝すぐに行ってもよかったんだぞ。そうしたら……」

「学業優先って爺ちゃんも言ってたから。すっぽかしたら、それこそ化けて出る」

「そうか……。道中、気を付けなさい」


 部屋を出た俺はウォルゼとミシェラと合流し、二人に見送られながら、爺ちゃんと暮らした田舎町ノーゼンエイクへ出発した。



 眩い光が、世界を飲み込んでいく。

 逃げ惑う人が。立ち向かう人が。目に映るすべてが。

 形を失って、輝きに溶けていく。

 俺の前に広がる光景は、十年前の悪夢。

 数え切れないほど見てきた夢だから、何が起きるかわかっている。

 そろそろ、来る頃だ。


 地面を揺るがして、やつは現れる。

 何もかもを消し去る光をまとう、狐か狼のような、四つ足の巨大な獣。

 やつは、笑っている。

 恐ろしく、不気味で、聞いているこっちがおかしくなりそうだ。

 やつの足が止まった。


「……――……!」


 言葉。かすれて聞き取れないが、頭に響くような声。

 意味不明な音の羅列でも、俺に向かって言っていることだけはわかる。


「――……――!」


 引き裂くように広がったその口から、真っ白な無数の人間の手が、関節の概念を無視して伸びてくる。

 白い指先が、次々と俺の身体に食い込んでいく。

 振りほどきたくても、身動きひとつできない。

 何度試してもダメだった。これは、そういう夢なんだ。


「――……、――……!」


 こみ上げる吐き気と、内臓を締め付ける冷たさが、この夢を終わらせる。

 最後まで、いつも通りだった。



 目を開けると……薄暗かった。


「いたたた……」


 起き上がって頭の奥に広がった鈍い痛みに、少しずつ状況を思い出していく。

 ここは爺ちゃんと住んでいた古い屋敷。その真下。

 一日かけて帰ってきてすぐに葬式を終えて、爺ちゃんの部屋を片付けに入った矢先、床が抜けてここに落ちた。

 石の床に石の壁。まるで、何かを閉じ込めるための空間だ。

 光を入れている天井の穴までも、軽く一階分はある。跳んでも手は届きそうにない。


「おーい!」


 いくら叫んでも、返事はない。移動に使った馬車の御者さんは街の入口で帰ってもらったし、ご近所さんは峠を一つ越えた先だ。

 こんなところに観光客なんて来ないし、そもそもうちは観光名所でもない。

 あるのは身一つと剣だけ。水も食料もない。

 ……あれ? 割とかなり危ないのでは?


「実家で遭難は洒落にならんぞ……!」


 ともかく、動けるうちに何とかしないと。まずはこの部屋を調べよう。


「……ん?」


 部屋の奥に、台を見つけた。

 台は床と一体化していて、脱出には役立ちそうにない。

 でも、台の上には、無視できないものがあった。


「これ、爺ちゃんの筆記具ペンだ……!」


 小さい頃からずっと近くで見ていたから、よく覚えている。

 添えられた書き置きメモには、一言だけ。


「『あとは頼む』……?」


 爺ちゃんもここに来た? でも、爺ちゃんは確かに……。

 ……いや、今はそれを考えている場合じゃない。

 問題は、筆記具ペン書き置きメモと一緒に置いてあるこの箱。

 片手で持てる程度の大きさと軽さ。濃い赤色で、光にかざすとキラキラと反射する。きれいだけど、素材は何だろう?

 振ってみても、音はしない。


「もしかして、これも爺ちゃんが遺していったのか?」


 なら、中を確かめないと。


「ふん……!」


 やけに固いフタだ。でも、もう少しで……!


「開いた――うおおああっ⁉」


 箱を開けた瞬間、中から何かが噴き出した。


「なな、なんだっ⁉」


 箱を放り投げ、剣を抜く。天井から差す光に銀の刃が閃いた。

 床に転がった箱から噴き出し続ける紫色のもや。それが一か所に集中し、人のかたちを作る。


「眷属? いや……」


 柔らかな曲線を描く身体つき。しなやかに伸びる手足。そして、たわわな胸――!


「女の人⁉」

「オオオッ!」


 猛然と迫ったそれが、腕を伸ばしてきた。

 強い殺気を感じて、剣で受け止める。重い。まともに受けたらダメだ。

 というか、剣で受けたのに斬れないってどういう皮膚だ!?


「シャアアッ!」


 今度は脚の振り上げ。ギリギリで避けたけど、空を切る音と同時に前髪が数本散って、冷たい汗が噴き出した。


「こ、のぉっ!」


 掴みかかってきたところを剣で押し返して、ようやく間合いが取れた。

 あと何秒かやってたら、危なかったぞ……!


「……言った、はずじゃ……」


 しゃべった⁉


「この程度の封印なぞすぐに破り、その喉笛を切り裂くと……!」

「ふ、封印?」

「む……?」


 対峙するそれが、ピクリと身じろぎした。


「ここは……どこじゃ……? 余は……」


 周囲を見渡しているとわかるくらいには、輪郭も定まってきている。


「おい、そこの人間……」

「俺のこと、だよな」

「余の問いに答えよ……」


 男とも女ともつかない、地の底から響くみたいな恐ろしい声だ。目も無いのに、まるで俺が見えているかのように話すから、余計に怖い。


「偽ればその首、落ちると思え……」

「な、なにを聞こうってんだ……?」

「――勇者はどこじゃ」


 は……? ゆ、ゆーしゃ?


「どうした。はよう答えぬか……」

「し、知らないよ勇者なんて! おとぎ話か?」

「勇者を知らぬ、じゃと……?」


 それは、急に静かになる。

 なのに、すごい威圧感だ。構えてないのに、まったく隙がない……!


「次じゃ、人間」


 まだ何かあるのか……。


「今はナザ歴何年じゃ」

「……一七六八年、だけど?」

「ほう……! く、ふ、ふはははは……!」


 今度は笑い出したぞ……?


「これはよい! あれから千年か! 勇者どもはとうに消え、ぬしが余の封印を解いたというわけじゃな!」


 さっきから何を言ってるんだ? この影のお姉さんは。


「褒美じゃ人間。余が何者か教えてやろう」


 そういえば、突然のことで名前も聞いてなかった。


「余は魔王……!」


 ま、まおう?


「魔族を統べ、世界に君臨する者――魔王イベルメルナである!」


 いべ……なんて?


「……なんじゃ、その呆けた顔は」

「いや、ごめん。実際、何が何だか……」

「まあよい。ひとたび余の姿を見れば、ぬしもひれ伏すじゃろう……」


 それを包んでいたもやが、内側から光を放ちながら消えていく。


「胸が躍る……! 勇者がおらぬ今、もはや誰も余を邪魔できまい。ふはは……! はーっはっはっは!」


 紫色の光が膨らんで、視界が数秒、塗りつぶされる。


「ふはははははっ! 再び世界を混沌に染めてくれよう!」


 その姿に、凍りついた。指一本、動かせなかった。


「……うん? なにやら、目線が低いのじゃが?」


 女の子。

 現れたのは、起伏のない褐色の身体を堂々と晒す、銀の目と髪を持つ女の子だった。

 頭の左右には角が生えて、耳も少し尖ってる。


「低いのじゃが?」


 いや、二回言われても。

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