壱 山崎合戦勝利

 織田信長が山城本能寺にて非業の死を遂げたことを中国征伐の最中に知らされたある武者は、それを討った逆賊である光秀を討つことを決心した。羽柴秀吉である。

 秀吉は、織田家の中では信長から重用されていた。秀吉には子がない。そのため、家臣たちに物を配ることを惜しまない。その貪欲さに、信長は、柴田勝家や滝川一益などの宿老でも許されないような失敗も、秀吉の失敗なら見逃してきたほどだった。

「日向守め、何故直々に信長様がお主を織田家臣に誘ったのかわかっておるのか。信長様はお主を見込んでおった。しかも、信長様はお主のために朝廷に掛け合って惟任の名までお主に褒美として与えた。そのお主に裏切られたとあれば、亡くなった信長様がうかばれぬ。今から逆賊明智日向を討つ!」

 秀吉に天才軍師と呼ばれた黒田官兵衛は、いま秀吉が言ったことに感服していた。

 秀吉は、惟任という名が光秀に与えられたのは信長が尽力したからだとわかっていた。そのため、今の秀吉は、惟任は謀反人が名乗るべき名ではない。だから、秀吉は光秀のことを明智日向と呼び捨てにした。これに官兵衛は普通の将なら動揺しそうな環境においても、秀吉は動揺せず、物事を冷静に判断できる知将だと思った。そしてそれこそが、天下人の器量であることも官兵衛はわかっていた。

「秀吉様、よう申されました。それでこそ秀吉様でございます」

 天才軍師に褒められたことで秀吉はつけあがり、少し冷静さを失った。

「さて、明智日向を討つためには、この備中高松城をどうにかせねばならぬな。官兵衛、どう思う。」

 冷静さを取り戻した秀吉は、そう問うた。

「城主の清水長左衛門宗治には死んでもらうしかなさそうですな」

 官兵衛は、織田家の中でも、少々非情な武将である秀吉の軍師であるため、非情なことを言うようになっていた。

「和睦の条件に切腹してもらうか」

「では、あの安国寺恵瓊という和尚のもとに行って参ります」

「頼んだぞ」

 秀吉は、官兵衛が帰ってくるまでの間に、古くからの家臣である蜂須賀正勝に戦支度を命じ、気を紛らわせるために横になった。

 官兵衛は、毛利軍の本陣に行き、安国寺恵瓊に会った。

「和尚殿、覚えてござるかな。黒田勘解由次官孝高にござる」

「久しぶりだの、官兵衛殿。何でござるかな」

 黙る官兵衛に向かって、恵瓊はこう言った。

「信長殿が交渉にご不満だったかの」

 恵瓊は、そのことを言った後に、こう釘を刺した。

「伯耆、出雲、美作。あれ以上は割譲できぬぞ」

「実は・・・・・・」

 恵瓊は唾を飲み込んで聞いた。

「信長様がお亡くなりになられた」

「なんと」

 恵瓊は絶句した。にわかには信じがたいことであったからである。

「本当か」

「ええ」

「何故じゃ」

「山城本能寺にて明智光秀が謀反。それにより非業の死を遂げられたと知らされております」

 この言葉を聞いた恵瓊は、光秀を散々に誹謗した。

「今になって信長殿のやってきたことを批判するのなら、その時に決別すればよかった筈。しかも、その謀反を信長殿のもとに天下が集まっている今行う先見の明の無さも論外。して、それを伝えるためだけにここに来たとは思えませぬ。」

「秀吉様が信長様の仇を討つのでござる。そのため、備中高松城をなんとかしたいと」

「ということは、清水宗治殿を切腹させるか、備中高松城から退去してもらいたいと?」

「秀吉様としては切腹してもらいたいようでござる」

 恵瓊にとって、いや、毛利家にとって宗治は戦に強い、必要な人材であった。その宗治を切腹させろというのである。返事に困るのも無理はなかった。

 だが、そのまま帰る訳にもいかない官兵衛である。最大の条件を添えて、恵瓊を説得した。

「秀吉様が、宗治殿を切腹させれば、以後二度として毛利を攻めないと申しておりまする」

 そこまで言われたら、恵瓊はわかったと言うしかない。今の毛利家にとって、一番起きてほしくないことは戦である。その戦をしないと言ってきたのだ。秀吉は、毛利家にとって救世主であると確信した。

「わかり申した。輝元様に言って参りまする」

 そして、恵瓊、いや、輝元からの返事が左様せいであったので、翌日、宗治は条件通り切腹した。それを見届けた秀吉は、すぐさま備中から出発した。

「儂は勝てるか」

 大返しを行っている秀吉はそれしか聞いてこなかった。

「私めの愚見を取り入れてくだされば」

 官兵衛も短く説明した。

「ははは、官兵衛の意見を愚見と申す輩は儂が許さぬわ」

 官兵衛は、秀吉ならわかっているだろうと、詳しくは説明しなかった。

 その頃光秀は、親しい者が多い摂津衆、姻戚関係を結んでいる長岡藤孝・忠興親子、筒井順慶、津田信澄に援軍を要請した。特に勝龍寺城を居城としている長岡藤孝は、光秀が室町幕府に仕えていた頃の同僚だった。

 本陣で、光秀は秀吉への愚痴を漏らしていた。

「筑前め。忠臣面しおって。何が忠臣じゃ。儂もそうだが、お前も最初から織田家臣ではないであろう。」

 確かに光秀の愚痴は正論であった。秀吉は農民上がりで最初から織田家の足軽になったわけではなかった。秀吉は最初、今川義元の家臣である松下之綱の家臣であったが、家臣団の中でものすごく才を之綱から評価され、他の家臣から妬みを買い、松下之綱に直々に松下家から出ていくと告げ、放浪したのち、織田家の足軽となった。

 正論なのだが、そのことを愚痴として吐き捨てている光秀も、元は織田家臣ではなかった。最初は、美濃の驍将、美濃の蝮と呼ばれた斎藤道三の家臣で、長良川の戦いで道三が討死すると、その子の一色義龍と対立し、斎藤家を出奔した。そして、次に越前朝倉家を頼り、そこで初めて当時は足利義秋と名乗っていた足利義昭に出会った。その後、義昭が朝倉家から出ていくと、義昭についていき、幕臣となった。そして、信長上洛の際、幕府との仲介役を務め、そのまま織田家の家臣となった。

 つまり、光秀も、秀吉のことは言えないのである。

 愚痴を吐いていたとき、そこに光秀の娘婿の秀満がやってきた。

「義父上」

「どうした。秀満」

「私達は主君に刃を向けて首を取りました。今、山城のみならず、織田家の領民が我らを嫌い、惟任日向守は信義というものが無い男だと陰口を叩いておりまする」

「それがどうしたというのだ」

「義父上?」

「今から中国方面軍の羽柴筑前が我らを仇とみなし、攻撃してくるそうだ。それを我らが迎撃し、捻り潰し、首を取れば、領民共も陰口を叩くことなどできまい」

「しかし・・・・・・」

「信長が天下人であった。その信長を討ったのだ。形だけでも儂が次の天下人だ。その天下人を討とうとしている羽柴筑前こそが謀反人。天下人が謀反人を討伐するのだ。それの何が悪い。まずは謀反人、羽柴筑前を討つための準備が必要だ。」

 信長が討たれた今、信長を討った光秀が次の天下人となる。その光秀を秀吉が討ったとあれば、今度は秀吉が謀反人になるのだ。そのため、織田の重臣連が織田家の天下を取り戻すのなら、秀吉はここで討たれるしかないのである。光秀は、その謀反人を討つための準備が必要だと言った。

「準備?」

 秀満には、光秀の言っていることがわからなかった。そのための準備とは、具体的に何をすればよいか、あまり経験の豊富でない秀満である。硬直してしまうのも無理はなかった。

「戦には人と金がいる。まずは人だ。我が軍は一万六千。それに加え、長岡殿、筒井殿、四国方面軍を命じられている織田一門の津田信澄殿の援軍を合わせると三万六千。対する秀吉は三万だという。しかし、儂らは姻戚関係ということで結束も硬い。それに対し秀吉の軍はいかにも烏合の衆にしか見えぬ。摂津衆にも秀吉に出陣の要請をされても絶対に受けるなと言ってあるしな。油断さえしなければ、儂らの勝利は間違いない。」

 光秀は秀満を淡々と説く。それが、秀満が油断する原因となった。

「ならばそれだけで・・・・・・」

「甘い!」

 光秀が秀満を制した。

「儂はなんと言った!?戦には人と金がいる、と申したであろうが!」

「申し訳ございませぬ。」

「金があることは勝利にも関わってくる。いや、直結する。兵は金で雇われていて、恩賞も金なのだからな。しかも、金があればいざ兵糧が足りなくなっても買うことができる。それらができなければ金で雇われている兵などあっさりと逃亡するわ。」

 光秀は秀満を叱りながらも、策を話し続けた。

「義父上の気持ちも察せず、申し訳ございませぬ」

 秀満は己の情けなさに、光秀に頭を下げているとき、涙がこぼれそうになっていた。

 秀吉が攻撃したことで戦は始まった。

 だが、正直なことを言うと、山崎合戦で秀吉に勝ち目はなかった。いや、もう少し秀吉が勝つために尽力していれば、勝てたかもしれなかった。

 秀吉は、本陣でこう呟いた。

「摂津衆に筒井や長岡からの援軍・・・勝ち目は無いな」

 その言葉に、その場にいた全員がうなずいた。

 しかも、光秀の方には室町幕府の征夷大将軍、足利義昭も参陣しているのだ。摂津衆を説得しに行かなかったことの後悔が秀吉を襲う。

 秀吉が光秀本隊を攻撃したのを合図に筒井軍、長岡軍、津田軍の連携によって羽柴軍を包囲する。羽柴軍は周りの目の前の軍に気を取られ、背後の軍に気付けなかった。羽柴軍はことごとく蹂躙された。羽柴軍の生き残りの周りには、屍の山があったという。

「これでは埒が明かぬ。皆の者!一時撤退じゃ!陣形を立て直す!」

 秀吉は、声を枯らしながら、全軍に命令をした。

 羽柴軍は命からがら撤退した。自軍の本陣にたどり着いたはいいが、そこに足利軍が待ち構えていた。

「筑前殿。お待ちしておりましたぞ」

 秀吉の軍は足利義昭の大軍に見事に殲滅された。

 秀吉は、山崎から撤退したものの、思わぬ死に方となるのだった。だが、そのことを、まだ誰も知らない。

「秀長。お主は柴田勝家か明智光秀だったらどちらに降る。儂はどちらにも降る気はないが」

 秀吉は、逃げる途中、小栗栖に来たところで、己より賢しい弟にこれからの行き先を訪ねた。

「柴田と明智・・・・・・。実力によりまする」

 秀長はいかなる時も冷静であった。金ヶ崎合戦での殿のときも、窮地に陥った秀吉のみならず、秀吉を補佐する役割にあった光秀の軍も補佐し、見事被害を最小限にして殿をやり終えた。

「それもそうよな・・・・・・うっ」

 秀長の言葉に笑っていた秀吉がもがきはじめる。まるで、敵兵に体を貫かれている者のようである。

「兄上?兄上!」

 秀長はわけも分からず、秀吉の方へ駆け寄る。そこには、大量出血し、意識が朦朧とし、目の焦点が合っていない状態で仰向けになっている秀吉と、血を弄ぶ落ち武者狩りの土民の姿があった。

 後日、その場所から横死したと思われる屍が発見された。秀吉であった。その屍を調べた光秀は、陣羽織の中に紙が入っていたことを見逃さなかった。それは柴田勝家からの文であった。

「羽柴筑前守秀吉。お主だけでは逆賊明智日向めを討ち果たせぬやも知れぬ。だが、この鬼柴田の手にかかれば、明智日向など赤子も同然。何しろ、こちらには、この瓶割り柴田に鼓舞された精鋭部隊があるのだ。共に信長様のご恩に報おうぞ。柴田修理亮勝家」

 柴田勝家。光秀にとって厄介な敵が増えた。

 秀吉が負けたことで、黒田官兵衛、福島正則、加藤清正ら秀吉の子飼いの武将は勝家の元へと逃れた。秀吉の弟の秀長は、秀吉が横死したその地で殉死したとの情報が入った。秀吉と違って賢しいと評価された将の最期であった。

 その兄である、主君のために命をかけた武者は、弟に比べてあっけない最期となった。

 山城でそのようなことが起こっている中、信長の次男である北畠信雄の本拠地である清州城にて、会議が行われた。

 この会議には、城主である北畠信雄を始め、重臣である丹羽長秀、信長の乳兄弟の池田恒興、織田家の家老の筆頭である柴田勝家、織田家の同盟者として徳川家康が参加した。

「では、これより織田家の当主を誰にするかを話し合っていく」

 一番最初に柴田勝家が口を開いた。これは、これからの織田家の実権は自分が握るとの意思表示である。

「まっとうな考え方ではここにおられる信雄様が一番当主に相応しいと、儂は思っておる。皆様方。どう思われるかな」

 そう言ったのは柴田勝家であった。

「私はそれに賛成でござる」

「私は織田家の血筋の者なら誰でも」

 そう、丹羽長秀と池田恒興が言った。それに北畠信雄が応じた。

「皆がそう申すのであれば、この不肖信雄、父が成し得なかった・・・」

 だが、その信雄を、柴田勝家が止めた。

「儂がそう申しておいて何なのだが、信雄様は既に北畠家に養子に出ておられる。三男信孝様も神戸家に、四男秀勝様も羽柴家に養子に出て、山崎合戦でお討死なされた。今、織田家に残っているお人は殆どおらぬ」

「勝家、無礼であろう」

 信雄が立腹した。

「信雄様、落ち着いてくだされ」

 池田恒興が信雄を諌めた。信雄は、恒興だけは敵に回してはならないだろうと、恒興の言うとおりにした。

 勝家は、信雄を無視して続けた。

「その点に関しては、養子に出ている家に許しをもらい、織田家に戻ってもらうしか・・・・・・」

 その話が出て、今まで口を開いていなかった徳川家康が口を開いた。

「皆様方、この会議は織田家の跡取りを決める会議ではないのか」

 この言葉を聞き、柴田勝家は呆れた。

「わかりきったことを申すな」

「では、言わせていただこう。織田家の跡取りなのであれば、信長様の跡ではなく、信忠様の跡ではないのかな」

「おお・・・・・・」

「な・・・・・・」

 家康の言葉を聞いた一同は、言葉を失った。その中でも、家康は続けた。

「信長様は既に織田家の当主を信忠様にお譲りになられていた。ならば、その信忠様の子を、当主に据えるのが筋と存じまする。どうかな、池田殿」

「三法師様のことはおろか、信忠様のことを忘れておったとは、池田恒興、不覚であった」

「どうかな、柴田殿」

 だが、その時の家康は、提案するようなやんわりとした顔ではなく、恐喝する者のような目つきであった。

「良かろう」

 柴田勝家が、苦虫を噛み潰したような顔でうなずいた。

「では、三法師様を連れて参る」

 そう言って、家康は三法師を連れてきた。そのとき、家康は柴田勝家の前を通りかかった。その時、柴田勝家がこういったのが聞こえた。

「家康め、最初からその気であったか。同盟者の分際で家臣でもないのに、偉そうな顔をするでないぞ」

 だが、家康は、そのようなこと、痛くも痒くもないという顔で三法師を抱いていた。いや、浮かべていたのはむしろ笑顔であった。

 織田家の当主は三法師となった。

 もちろん、この行動は柴田勝家の不満を招いた。だが、家康にはその不満をものともしない実力と勢力、武力があった。

 反柴田勝家となった光秀と家康は、共に柴田勝家を討とう、と密かに親睦を深めていった。

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