第35話 終着点




今とても不思議な事が起きている。


俺はミズホの事が嫌で家出したようなものなのに、何故かミズホと一緒に電車に乗って帰宅しようとしている。


こんな未来が想像出来ただろうか?


家出の終着点を見てくると啖呵を切っていたはずだが、俺はありきたりで平凡な終着点へと向かっていように感じる。


これで良かったのかわからない。家出ってこんなものだったのか?って自分に問いかける。前向きな答えは出てこない。やはり何一つ納得がいっていなかった。思い描いていた家出は不安はあっても、もっとワクワクして心が躍る楽しいものだと期待していた。



これはこれで出会いがあり、絆や愛と言うものを知り、人間として学んだ事が沢山あった。楽しい事もあった。けれど、予想もしない事件に巻き込まれ、また、自分でも首を突っ込んでしまい決して余裕があるとは言えないものだった。仕事も一人暮らしも経験する間もなかった。事件と俺の家出に関係性があった事も意外だった。現実は甘くなかったと言う事か。


車内には友達と楽しそうに会話をする高校生や疲れ切ったサラリーマンの姿がチラホラ見える。

俺は大嫌いだったミズホと肩を並べ無言で俯き、最寄り駅へと向かっていた。外はもう真っ暗だ。チラッと見た向かいの窓ガラスにはぎこちない俺達の姿が映っていた。



成り行きでミズホの家に一緒に行くと言ってしまった。ミズホの家に行くなら、多分ミズホの両親は俺の家に連絡を入れるだろうし、家出は確実に終わりを迎える。





「コウキくん。手を繋いでもいいかしら?マイカちゃんとタクミくんみたいに。今とても不安なの」


「え。それは……嫌だな」


「どうしてよ!?仮にも私の事好きだったのでしょう?手を繋ぐくらいいいじゃない!」


「だって、また乱暴されたとか言われたら嫌だしさ?俺だってトラウマなんだよ」


「言わないわよ!そんな事。もう、いいわ!こんなにか弱い女の子がお願いしているのに。信じられないわ!」


「……ミズホは前より強くなったよ。本音を話して人に弱さを見せられるようになったんだから。そうやって甘えられるようにもなったしね。進歩してる。……ま、手は絶対繋がないけどね」



「コウキくんだから言えたの。コウキくんだからお願いしているのに……」




ミズホは外方そっぽを向いて小さな声でそう言った。俺は聞こえないふりをしていた。ミズホが俺の方に気持ちが傾いて来ている事も薄々気がついていた。だからこそ、知らないふりをした。


俺はただ自分が前に進む為に少しだけミズホに手を貸すだけだ。そこからミズホは自分で未来を選択しなければならないし、その未来に確実に俺は居ない。居てはならない。一緒に歩んで行こうなんて微塵も思ってはいないし、ミズホの性格上誰か一人に執着し、依存しては幸せになれないと思うから。



最寄り駅に着くと俺は駐輪場へ向かった。哀愁漂う自転車は数日前と変わらずその場で俺の事を待っていた。「おかえり」と言われているような気がしたけれど、俺は素知らぬ顔でハンドルとサドルの汚れを払うと何事もなかったかの様に自転車を動かした。


「コウキくん、これで家出しようとしていたの?」


「そうだけど」


「こんな安っぽい自転車じゃ普通は無理よ。笑わせないでくれるかしら?」


「失礼だな」


ミズホがいつもの調子に見えるが、不安を隠す為に悪態をついてしまう事も今は知っている。


俺は自転車をカラカラと轢いて、ミズホの歩く速さに気をつかいながら歩いた。ミズホの家へと向かうのだ。この駅から歩いて二十分程らしい。


家出の前に感じていた息苦しさとはまた違った息苦しさがあった。胸を締め付けられるような、はたまた胃が痛くなるような苦しさだ。空気を吸い込むと鼻も痛い。昼間は晴れていたし、空を見上げればきっと星が沢山輝いているだろう。でも今夜空を見上げてはいけない気がした。もし見てしまったら俺はまた遠くへ行きたくなってしまうような気がしたから。


ミズホと会話をする事はなく、ただ無言でひたすらに歩き続けた。ミズホは物思いに耽るような表情をしていた。



「…ここが私の家よ」



ミズホの家は白っぽくて大きな一軒家だった。洋風とも言い切れない、スタイリッシュなデザインだ。しっかりとした門もある。庭には手入れされた芝生が生えており、大きなガレージもあった。やっぱりお金持ちなのだなとしみじみと感じる。


「中に行きましょう」


俺はミズホに続いて門をくぐる。広々とした庭の端の方に自転車を停めた。ミズホは俺の服の裾を掴んで不安気な表情で立っていた。



「……コウキくん……」


「大丈夫だって。俺は逃げたりしない。嘘もつかないよ」



ミズホは無言で頷いていた。ミズホにも怖いものがある。いや、怖いものしかないから弱さを見せない為に今まで自分を偽って強がっていた。そうしていないと生きていけなかった。今のミズホが本来の姿なのかもしれない。


重たそうな玄関のドアをミズホが恐る恐る開けた。




「……ただいま」


ミズホのお母さんがミズホに走って駆け寄ってくる。ミズホを勢いよくきつく抱きしめた。その背後には物言いたげな表情のお父さんも立っている。しかし俺の存在には目もくれない。



「……ママ?」


ミズホの瞳に光が宿っていた。きっと、お母さんが心配してくれた事が嬉しかったのだろう。しかしその光は一瞬で消える事となる。


「……ミズホちゃんっ!さっきスマホに連絡したと思うけど先生から連絡があったのよ!どこへ行っていたの?!先生が言っていた事は嘘よね?本当の事を話して!誰かに脅されてやったのよね?ママとパパが先生に話してあげる。ミズホちゃんがそんな事する訳ないって信じているわ!さ、本当の事を話して?!ママはもういっぱいいっぱいよ!」


ミズホを思って抱きしめていたと言うよりかは、ミズホが「先生が嘘を言った」と言わざるを得ない状況に追い込む為にそうしている様に見えてしまった。


ミズホのお母さんは、ミズホから離れると大粒の涙をボロボロと流していた。その姿は何だか少し前のミズホによく似て見えた。



「……ママ、パパ。先生が言ってた事は全部本当の事だわ。コウキくんは悪くない。私がコウキくんに酷い事をしたのよ」


「ミズホ。我慢しなくていいんだぞ?誰かを庇っているんだろ?」


「……違うわ……」


ミズホが俺の方を振り向く。同時にミズホのお母さん、お父さんの視線も自然とこちらを向く。心臓がドクっと脈を打つ。目が合った。



「え?!やだわ!?コウキくん、いつからいらしたの?!」



わざとらしい。皮肉とも受け止められる。目を逸らしたい。逃げたい。呼吸が苦しい。でも今言わなければ一生後悔する。特にお母さんの視線が獲物を狙う爬虫類のようだった。



「ねぇ、コウキくんがミズホちゃんにこう言えって言ったのでしょう?……貴方、コウキくんのご両親にも来てもらえるように連絡してくださる?」



「……俺は何も言っていません。……いて言うならば数日前『好きだから付き合って欲しい』とお願いしました。そしたら、ミズホは俺の気持ちを利用し、逆手にとり俺を悪者にするような演出を見事に作り出しました。これが事実です」


「はぁ、そんな……嘘はよしてくださらない?」


「でも、ミズホにはミズホの苦しみがありました。俺は好きだと言いながらもミズホの苦しみから目を逸らしていた。今思えばあの状況がミズホの最後のSOSだったのかもしれません。……おばさんは今まで何も気づかなかったのですか?」



「……っ。ミズホちゃん、どうなの?学校で何か辛い事でもあったの?お友達と喧嘩でもしたの?違うわよね?」


「……大丈夫よ。この前だって、お友達と映画に行く約束をしたわ。……だから……だから……」


ミズホは言葉に詰まっていた。目が泳いでる。気持ちをすでに隠しきれてはいなかった。


「ミズホ、大丈夫だよ」


俺はミズホにそう言った。


「……違うわ。違うの。……お友達なんて一人もいないの……サクラにも酷い事を言ったの……昨日家に来たマイカちゃんも、本当は私が無理矢理連れて来たの……ママもパパもこんな私を知って、がっかりしたでしょう?……誰も……私の事なんて……好きじゃないの……」


ミズホはその場に泣き崩れた。玄関ホールにこぼれている砂利がミズホのスカートの裾を汚していく。足の指を無理に曲げてしゃがんでいる事で、金属の飾りがついたおしゃれな革のローファーには変な皺が入っている。それでもミズホが立ち上がる事はなかった。


ミズホの事を両親は唖然として見ているだけだった。


ミズホが本当に欲しかったものは、可愛らしいスカートでも、ブランドものの靴でも鞄でもなかったのだと改めて痛感した。


時間が止まったように空気が重い。



インターホンが鳴る。

皆がハッと我に返った。俺の両親が来たのだ。どんな顔をすれば良いのかわからない。なんて言えばいいのかわからない。そう考えているうちに、あっという間に玄関のドアが開く。


母さんが俺を抱きしめて来た。


「今までどこに行ってたのよ。馬鹿ねー連絡取れるようにしておきなさいよ」


母さんはまた目を真っ赤にして泣き腫らしたような顔で俺を見ていた。


「……いろいろあって」


「よかった。本当によかった無事で。コウちゃんごめんね」

「コウキ……すぐに信じてやれなくて……悪かったな」


父さんはそれこそ目が合わないが、父さんの口からそんな言葉を聞いたのは産まれて初めての事だと思う。



「……うん。俺も……通帳とか勝手に持ち出しちゃったしさ……ごめん……」



「もう、いいのよ。あんたが元気ならそれでいいの!そんなに頑張らなくていいの!伝えるのが遅くなってごめんね。今まで気を使わせるような……勘違いさせるような酷い話し方ばかりしてごめんね」


「コウキがいない間に母さんと父さんはいろいろな話をしたんだ……」


父さんと母さんが良い方向で話が出来たと言うならそれにこした事はない。俺の家出はもう終わってしまうのだから。


俺の家出への決意はもっと固いもののはずだった。でも違ったんだ。本当は家出がしたい訳じゃなかったんだ。身体の力が抜けていく。安心したのだと思う。乗っていたおもりが消えてなくなったように、息苦しかった心が軽くなった気がした。


俺の両親とミズホの両親はとても対照的に見えた。




俺達の様子を見てミズホのお母さんがハッとしたようにミズホを抱きしめていた。そしてお父さんがミズホの背中を摩っていた。


「ミズホちゃん。……辛かったのね。ママ、何もわからなかった……」


ミズホの両親は一息つくと俺達の方を向いてこう言った。


「コウキくん、お父様、お母様。あの、迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。……情け無いです」


そして深々と頭を下げていた。


「何を言われても……俺はミズホを許しません」


「そう……です……よね」


「でも、一ついいですか?俺が言うのも変かも知れませんが、ミズホの話を聞いてあげてください。決めつけないで、先入観を持たないで、ミズホの口から出る言葉を、目を見てきちんと聞いてあげてください。本心を本音を信じてください。そしたら今回の事は忘れます。すぐには無理かもしれない。でも忘れてあげます」



俯瞰した言い方だったかもしれない。でも沢山虐げられた分まあいいじゃないかって言うのが本音だ。自分の気持ちを大切にする事も学んだのだから。


誰かの為に頑張る事は大切だけれど、今の俺に出来る事はないし、もうお腹いっぱいだ。ミズホの両親が心の奥底ではどう思っているのかわからないが、あとはミズホと両親の問題で俺は無関係だし、明日からの自分の人生の事だけを考え、集中していきたいなんて考えていた。





ポケットの中にはマイカから貰った厄除けのお守りが入っていた。家出は上手く行ったとは言えないが厄からは守られたと思う。最後にはミズホも俺も家族や自分ときちんと向き合い、気持ちを言葉で伝える事が出来たのたから。「終着点」を自分の中で見つける事が出来たのだから。俺はお守りを優しく握った。








朝だ。

重たい身体を起こし、パキパキと肩を鳴らした後に、カーテンを開ける。窓の外には何処までも青空が広がっていた。お腹の虫がうるさいので急いでリビングへ向かった。


テレビでは「女子高生が同級生に刺された事件」の容疑者が逮捕されたと報道されていた。



 

「え?コウちゃん今日学校行くの?無理しないで」


「そうだぞ。休んでもいいんだからな」


「ありがとう。でも、俺は行くよ。あんまり休むと変な誤解がまた広まっちゃうかも知れないし。それに早く皆に伝えたい事があるんだ」


「……そうなの?辛くなったら、早退してきてもいいからね」


「気をつけて」



俺は玄関のドアを開ける。お守りがついた鞄を忘れずに持つ。外に出ると太陽の光が暖かかった。






「いってきます」








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る