第32話 空虚



「……完璧じゃない私はパパとママにも嫌われるもの」


ミズホはしゃがんで顔を伏せたまま、小さな声でそう言った。



「ミズホ……あの……」


「何?!私は謝らないわよ!だって悪くないもの!皆は自分が悪いと思ったから謝ったのでしょう?私は悪くないもの。私はサクラにはなれなかったけど、もういいのよ。サクラとマイカちゃんとタクミくんの関係はこれで壊れたと思うし、これで私がまた『一番』になれるのだから。そしたらサクラになる必要はない」



ミズホはサクラに一番大切に思われる事を願っている。きっとサクラもミズホを大切に思っていると思う。でも大切だからこそ、信用しているし束縛なんてしないし、他にも友達を作れるのだ。自分の安心して帰れる場所があるからこそ、受け止めてもらえる場所があるからこそ前へ進めるのだ。


そこを間違えて、依存して執着していてはお互いに苦しいだけなのに人間の心は難しいものだ。ミズホとサクラの関係だけじゃない。マイカもタクミもタニガワも。そして俺も。



「ミズホ。お父さんもお母さんもミズホの事を大切に思ってているよ。大丈夫。……帰ろう?」


「……そうね。もう、帰りましょう。馬鹿馬鹿しいもの。それにタクミくんが犯人で全部解決だものね」



俺達四人は皆、疲れきった表情をしていた。事件は一応無事に解決したと言う事になるのだがこの後はどうするべきだろう。

俺の脳裏に「別れ」の二文字が浮かんでくる。タクミとマイカとの別れが急に現実味を帯びて来て、俺は何故か不安になった。


一人で家出をしたかった時の気持ちなんて、もう何処かに置いて来てしまった。




マイカはミズホに近づくとそっと抱きしめ、優しい声で話し出した。


「ミズホちゃん!私ね、タクミと一緒にこれから警察に行く。コウキくんを突き落としてしまった事もあるし。そのあとはどうなるかわからない。いつになるかわからないけど、サクラに謝りに行くつもりだよ」


「サクラはもうマイカちゃんの事なんて嫌いよ」


「それでも行くよ。私はサクラが好きだから。許して貰えなくてもいいの」


「マイカちゃんって変わっているわね」


「うん。そうみたい。私って変わってるの。……その時はまたミズホちゃんともお話出来たらいいなー。ミズホちゃんの好きな食べ物とか、好きな本とか。あ!また恋バナもしたいなー。……どんな目的であれ、旅館の大浴場でミズホちゃんに声を掛けて貰えた時は嬉しかったよ。……ありがとう」


マイカはミズホから離れる。目が潤んでいた。ミズホはマイカを見つめると、何かを言いたげに口を開けたが、否定するように首を振り俯いた。俯いて小さな声でこう言った。



「マイカちゃん……。私も……本当は、お話出来て……楽しかったわ……」



マイカは嬉しそうに微笑んでいた。

マイカは俺の前に立ち、ミズホを抱きしめた時のように、俺にも抱きついてきた。白くて細くて柔らかい腕だった。マイカの暖かい温もりが伝わってくる。サラサラの髪からはふんわりと優しい花のような香りがした。


俺は驚きのあまり、棒立ちして動けずにいた。呼吸が上手くできない。




「コウキくん、巻き込んでごめんね。突き落として本当にごめんなさい。……家出が上手く行くようにお守り渡したのに、……あまり意味なかったね。邪魔しちゃったのは私なんだけど。いらなかったら捨ててもいいから。水族館も神社も楽しかった。一生忘れない。絶対に。沢山、ありがとうね。出会えてよかった。本当に、よかった」



マイカが離れると共に急いで空気を吸った。心臓の音がおさまらない。今の状況で口からでる言葉を精一杯丁寧に並べて俺は話をした。


「今生の別れみたいな事言うなよ」


「ごめんね」


「お守り、絶対に捨てたりしないよ。いろんな事があったけど俺もマイカに出会えてよかった。楽しかったよ。俺は、マイカの事が……」


マイカは潤んだ瞳で俺を見つめて、首を傾げていた。


「いや、マイカの明るい所に沢山助けられたよ。時々びっくりもしたけど」



俺は感情を飲み込んだ。マイカの笑顔を見る事が出来れば充分だから。


「もー何よそれー」


「ありがとな」


「でもコウキくんは強いからどこへ行っても絶対に大丈夫だよ。おまじないみたいに大丈夫、大丈夫って言わなくても、もう充分に前を向いて進んでいる。私の事沢山守ってくれたもん」


「聞こえてたのか。恥っ……」


「またね」



この数分後に一人になる未来なんて想像できなかった。「三人であそこに遊びに行きたいね」ってマイカが言って、タクミが「マイちゃんと二人きりがいい」とふざけながらも俺に優しくしてくれて、そんな未来を描いてしまう自分がいた。


ずっとわかっていたはずなのに。事件が解決したら別れが来る事なんて。



「コウキ、就活頑張れよ!」



タクミは何かを察したのかいつもの笑顔でまた明日も会えるかのような、可もなく不可もないような挨拶をして来た。



「おう!タクミ、ありがとうな」


俺も同じような返事をする。自分から別れの挨拶なんて言いたくない。



「コウキの事は、恋敵ライバルだと思ってるから」


「や、やめろよ」


タクミは幼い子どもの様なやんちゃな表情でハイタッチを求めてくる。



「じゃあな、親友!」


「おう」


短い挨拶だけれどその言葉が何より嬉しかった。俺はタクミに釣られて笑ってしまった。一緒に過ごした時間はすごく短かったはずなのに、昔からの知り合いだったかのように感じられる。それだけ濃い時間を共に過ごした。寂しいはずなのにだれも口にはしなかった。



どれだけ願っても時間は待ってはくれない。あっという間だった。



「……じゃあ、行こうか」


「……うん」



タクミとマイカは、いつの日かタクミが見せてくれた写真の幼かったあの頃のように二人で手を繋いで、駅の東側にある交番へ向かって歩いて行った。まずは交番で話をすると言っていた。


二人の事を信じている。背中が見えなくなるまで見送っていた。二人が振り返る事はなかった。それは、もう後ろ向きな気持ちにならないようにと覚悟を決めている様にも見えた。


突然の別れになんだか空虚な気持ちになった。俺はこれから一人でやっていけるのだろうか。


ここまで来たらやるしかないのだけれど。仕事の面接だって控えているし、気持ちを早く入れ替えなければならない。





「コウキくん、少しだけ二人でお話しましょう?」





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