第20話 もう一人



「マイちゃんもうすぐ着くってよ」


マイカからタクミへ連絡が来たので俺達はカラオケを出た。退出する時はお互い驚く程準備を整えるのが早かった。駅の改札口付近の犯罪防止のポスターを目印に集合する事になった。思ったより早いマイカの帰りに俺とタクミは口にこそ出さなかったけどお互い安堵していた。マイカから連絡が来た後のタクミは明らかにテンションが高い。


「ちゃんと全部話してくれるといいよなー」


今日は日曜日だが帰宅ラッシュの時間の駅はやはり人が増えるようだ。部活を終えて帰宅しようとしているラケットを抱えた同い年くらいの学生が沢山いた。


「ごめん、ごめーん!お待たせー」


マイカが大きく右手を振りながらこちらに小走りで向かってくる。変わらず元気な様子に「良かった」と頬が緩んだ。……そんな時間も束の間だった。よく見ると左側の背後に人影が見える気がした。もう一人誰かいる。俺は目を細める。この光景に既視感がある。そう、今朝旅館で見たような。背後から来たその人物はマイカと肩を並べて立ち止まった。


俺の動悸が激しくなる。人の話し声、足音、改札の高い機械音。こんなに街の音がうるさいのに自分の心臓の音だけが異様に飛び抜けて大きい。呼吸が乱れていく。


「……なんで、また……ミズホがいるんだよ」


本音が口からこぼれていた。



「いきなりごめん。こうでもしなくちゃ、二人が会う機会って、もうないんじゃないかって思って。ミズホちゃん本当はずっと悩んでてコウキくんに謝りたいんだって。だから……」


マイカは気まずそうに話しているが悪気はない様子だ。


「ごめん、俺はもう関わりたくないから」


「でもっ……!」


「マイカは今朝の話聞いてたよね?悪いけどミズホがいるなら俺は一人で行く」



きつい言い方になってしまった。マイカは優しいから気を使ってくれたのかもしれない。悲しませてしまったかもしれない。でも俺はそんなマイカの気持ちを受け入れる事が出来ない。そう思う反面、俺が苦しみながら話した事はマイカに何も響いてはいなかったのだと嘆いてしまう自分がいた。


ミズホがいるこの状況で話をしたくない。したくても出来ない。身体が言う事を聞く訳がなかった。ジワジワと胃液が食道を通って上がってくる感覚がする。口の中が酸っぱい。嫌な記憶がフラッシュバックされて平常心を保ってはいられなかった。

俺は背を向けて歩きだそうとした。人混みに紛れてそのまま消えてしまいたかった。


「コウキ、ちょっとまだ行かないで」


俺の肩を掴んだのはタクミだった。俺は振り返る事も、掴んだ手を振り払う事もなく三人に背を向けて無抵抗に項垂うなだれていた。そのまま逃げる事も出来たはずなのに、心のどこかではそれを許さない自分がいたのかもしれない。

タクミは左手で俺の肩を掴んだまま話し出した。



「マイちゃん、オレにだけでも一言相談くれてもよかったのに……。悪いけどミズホちゃんは一緒に行けないとオレも思う。コウキと無理に仲直りとかも今はやめた方がいい」


タクミの言葉が優しかった。振り返る勇気はないけど三人がどんな表情をしているのか気になった。



「そう言うと思った!……タクミはコウキくんと一緒に行って?私はミズホちゃんとここに残るからさ!」


「「え……」」


タクミの手は力が抜けたようにスルッと俺の肩を離した。俺も咄嗟にマイカの方を振り返る。マイカの口からそんな言葉が出ると思わなかった。我ながら面倒臭い性格だと言う事はわかっている。確かに俺は何度もマイカと離れようとしたけど、マイカから離れるなんて言って来たのは初めてだった。


マイカは俺達に「全部話してくれる」どころか、ミズホと居たいと言うのだから驚きで目を見開いてしまった。そして疑いで顔をしかめてしまった。二人の間にこの数時間で何があったのだろう。



「私はもう大丈夫!ミズホちゃんにいろいろ聞いてもらったし!サクラの事件もミズホちゃんとなら向き合えるって思った。すごく心強いよ」


「なんだよ、それ……。何でオレより出会ったばかりのミズホちゃんなんだよ……」


「それじゃ、今日はミズホちゃんのお家に招待される事になったんだ。タクミ、コウキくん、もう会う事はないかもしれない。……さようなら」


「ミズホちゃん、何を言ったんだよ。マイちゃんに何を言ったんだよ?!」


「私のせいだって言うの?マイカちゃんは自分で決めたのよ?タクミくんも、もう少し考えて行動した方がいいわ。マイカちゃんが大切なら。あっという間に全部消えてなくなっちゃうわよ?」


「……マイちゃん、何で?会う事はないって。学校も来るよね?!今まで通り……」


マイカは笑っていた。突き放すような笑みだった。でも目の奥が暗い。


「私を信じて」


声にならない微かな息がそう言っていたように聞こえた。


「じゃあね」


反対にミズホは何も迷いのない瞳ですごく嬉しそうに微笑んで、マイカと腕を組んでいる。


よく言えば丸く収まったと言える。悪く言えば一番恐れていた最悪の状況だ。俺には関係ないと言えば関係ない。ミズホとさえ関わらなくて良いのなら関係ない事なんだけど、この胸騒ぎは何だろう。もう、一人で家出すればいいじゃないか。最初はそう思っていたじゃないか。さっきドラッグストアのバイトの面接だって電話で申し込んだじゃないか。できれば明日にはこの地を離れた方がいいのに。


俺の脳裏には楽しそうに笑うマイカの顔と、突き放すような笑みのマイカの顔が交互に表示される。


犯人に狙われているかもしれないと言っていたマイカを、か弱いミズホが守れる訳がない。ミズホは頭は切れるし神経は図太いように見えるけど力技では犯人に負けてしまうと思う。


それに、このまま別れてしまったら本当にもうマイカと会う事はないと思う。それでいいのか?俺は必死で自分に問いかける。自分の必死さにハッとした。必死な時点で答えは決まっていた。そして気づいてしまった。なんでこんなにもマイカが心配で気になってしまうのか、その理由を。ミズホに告白した時とはまた違う感情だ。でも認めてしまったらきっと俺達の関係はもっともっと複雑にそれこそ取り戻せない程バラバラに壊れてしまう。



この感情の名前を言ってはいけない。


このままマイカの手を離してはいけない。



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