第2話 出発
きっともう使う事のない長年愛用したこの自転車を丁寧に駐輪場に停め、さようならと声を掛けた。
最後までオレを支えてくれた自転車には感謝している。そしてまた、息を切らしながら、期待を持って改札口へと向かった。改札周辺は夜中だからか、
もう終電は俺を置いて既に行ってしまっていた。
これからどうしよう。
電車がなかった後の事は考えていなかった。出だしからついていない。お別れを告げたばかりの自転車で始発の時間まで行けるところまで行こうか。タクシーはお金が膨大にかかるイメージがある。出費はなるべく抑えたい。
しかし、ここに残るという選択肢は一つも出てこなかった。
取り敢えず駅を出ると、酔っ払いが目に入った。数人の酔っ払ったおじさんの後ろを部下と思われる若い男二人がペコペコしながら後を追っていた。
あの人達は楽しいのだろうか。幼い頃の夢はなかったのだろうか。自分に何か誇れるものがあるのだろうか。お酒を飲めば全て楽になれるのだろうか。
高校生の俺には大人の事情なんて分からないから、そんな素朴な疑問が次々と浮かんできてしまった。
もとより、自分の未来はどうなってしまうのだろうという不安から大人の生き方についてただ知りたかっただけなのだ。
でも不安ばかりではない。
これからは自分で何でも決められる。食べたいものも、向かう先も。きっと目に映るものは珍しく、美しい物ばかりで新鮮な世界が溢れている。冒険に出るかのような感覚があり、心が少しだけ踊っていた。忘れかけていた、子どもの頃の感受性が再び輝き始めたようだった。
そんな時、一筋の光が目に入った。夜行バスだ。ライトが眩しい。嬉しさのあまり、行先も確認せずに俺は急いでそのバスに乗り込んだ。
さっきはついていないなんて言ったけど、俺は運が良かったようだ。
「お客様、ご予約はされていますでしょうか?」
バスに乗り込むと添乗員と思われる女の人が声を掛けて来た。
「していないです。していないけど急に親戚が倒れて向かわないといけなくなって、予約なしではダメでしょうか?終電もないし、このバスを逃したら大変なことになってしまうかもしれない……」
俺はドキッとして慌てて答える。いかにもその辺に転がっているようなテンプレのような文章を苦し紛れにべらべらと話した。
「左様でございますか。本日は空席がございますので、ご予約されていないお客様も乗車可能となっております。目的地までごゆっくりお過ごしくださいませ」
ここで降ろされてしまってはまた路頭に迷う事になってしまう。何とか乗車する事が出来、心底安心した。
細い通路をゆっくり歩く。
バスの中は四列シートで、窓は外の光が入らぬようにカーテンがぴっちりと閉められていた。電気はついているが薄暗い。平日という事もあり、バスの中にはお客さんは殆どいないようだ。
出張と思われるサラリーマンのおじさん、あとは大学生くらいのカップルに見える男女が乗っていた。
皆全く違う目的があるのに、こうして同じバスに乗っているという事実が俺にはなんだか不思議だ。
後ろの席の方が、人通りが少ない気がして、でも何だか一番後ろの席は特等席のようで気が進まなかったので、俺は後ろから二番目の席を選び腰掛けた。
窓側に全体重をかけて寄りかかる。
はぁ、と一息つくと今の俺にとっては命と同じくらい大事なリュックサックを背中から降ろし、左隣に置いた。まずは無事に交通手段が見つかった事に、席も無事確保出来た事に胸を撫で下ろした。
安心の気持ちが心から身体にまでにじみ出て来たようで必死に自転車を漕いだ疲れがドッと来る。身体から力が抜けていく。脚が重い。じわじわと浮腫んでいく気がした。脚を上に上げる事が出来ればもっと快適だろうけど、乗客は確かに少ないけれどそんな事をしては流石にマナー違反になってしまうと分かっているので諦めた。
明日はホテルにでも泊まってのびのびと眠れたらいいななんて、呑気に考えていた。
俺は思い出したかのようにスマホを取り出した。家出するのだから、家族や知人の連絡先はもういらないと思ったからだ。でも、もしも連絡したくなったらどうする?いや、さっきもう戻らないと決意したばかりじゃないか。俺は葛藤していた。自問自答を繰り返す。
悩みに悩んだ末に、着信拒否という形をとった。これで俺から連絡する事出来ても向こうから、連絡が来る事はないだろう。
誰かから頻繁に連絡が来ては落ち着いていられない。バイブがなるだけで動悸が激しくなる。それくらい連絡を貰うという事が今は耐えられなかったし、怖かった。
例え、心配だからと言う理由でも。
まだ発車まで時間があるようだったのでネットニュースを適当にスクロールしながらなんとなく見ていた。俺もいつか捜索願を出されて、ネットニュースに載ったりするのかな、なんて考えたりもしていた。ネットニュースの一つの見出しが目にとまる。
『女子高生が刺される。犯人は同級生か』
物騒な事件だ。しかも被害者は俺と同い年の子。被害者と加害者の間にどんなドラマがあったのだろう。でも俺も、家出という選択肢を取らなければ、一歩間違えれば加害者のように誰かに危害を加えてしまっていた可能性だってある。他人事ではないように思える。
違う。今はそんな事を考えてはいけない。負の感情が大きくなるだけだ。目の前の事だけ考えよう。一人で頭をブンブン振りながら自分を奮い立たせていた。
「ここ空いてるよね?君は一人旅に行くの?」
「え?」
いきなり声を掛けて来たのは俺と同い年くらいの見知らぬ女の子だった。茶髪のボブヘアーで柔らかい雰囲気の子だ。第一印象は可愛い。
俺の左隣は命と同等に大切なリュックサックがあるというのに、おかまいなしにいきなりその女の子が腰掛けて来る。もちろん、他にも座席はたっぷり空いている。
「ちょっと、何なん……」
話そうとする俺の唇にそっと人差し指を当てて来る。俺は驚いて思わず息を止めてしまった。抵抗する間も無く、女の子は俺の肩に寄りかかるように近づき、耳元に両手をあてて囁くように話しかけて来た。
「……ねぇ、私も一緒に連れて行って?」
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