第14話 ひとつベッドの上

「古めかしさはあるけど、住宅の機能は問題ないから、リフォームは趣味の延長で充分すぎるかも。あ、白蟻だけはチェックしなくちゃ」


 シャワーを浴び、バスタオルで体を拭きながら現実逃避。うん、逃避だ……だって、この後、黒木さんとベッドインなんだもの。

 いたすつもりはコレっぽっちも無いけど、体は念入りに洗いました。だって同じベッドだもの。


 そして、寝巻きに着替えて、静かに階段を上り、静かに扉を開けて──


「──って、寝込みを襲おうとしている訳じゃないんだけど!?」


 ベッドサイドで思わず独り言。


「遅い。待ってた」


 そして食虫植物のごとく、布団に食われました。


「緊張するのはわかる。実は私も」


 布団のなかで押し倒され、上に乗っかってくる黒木さん。

 暗がりで、よく見えないなかで、彼女の目は印象的に輝いている。彼女のロングボブが、僕の首筋をサラサラと撫で、むず痒い快感が襲ってくる。そしてとどめは──


「治人くんの匂い……好き」

「僕は来たばかりじゃない。この布団、黒木さんの香りの方が強いよ……クラクラする」

「同じ、だね」


 なんだろう……さっきまでの緊張が、ふたりで笑ったことで吹き飛んだみたいだった。


「そう言えば、僕のこと──」

「うん、治人くんって呼んでいい? ほら、柊さんは、あとふたり居るから、尚更?」

「じゃあ僕も、合わせるべきなのかな? ちょっと抵抗感があるんだけど」

「何で? 名前呼びは、いや?」

「なんだか、僕が名前で呼んでもいいのかな……って。こんな美少女を名前呼びだなんて、陰キャにはハードル高いよ」

「そもそも、そこを聞きたい。なんで治人くんは陰キャでいたいの?」


 うん? そんなの簡単な話だ。


「──クラスの中で、目立つ存在じゃないから。何かのトップを張ることもないし、逆に底辺でもない目立たない存在? あと、下手にクラスで目立って身動き取れなくなるのも、バイト出来なくなって、生活に困るし。そんなとこ?」


 うん、言葉にすればこんなもんだけど、最後の理由は切実だったな。転校前の学校、バイト禁止だったし。


「バイトは、どんなことを?」

「……改めて聞かれると、返事に困るくらい色々やったかな。少しでも割りのいいバイトが良かったから、短期バイトもかなり入れたし。あ、リフォーム助手もそれだよ。逆に、時給安くてコンスタントに続くバイトは避けてた。コンビニとか」

「それはずいぶんマニアック。だけど、前に『基本なんでもできる』って言ってた理由に納得。ちなみに安心して。皇学園はバイトOK」

「そりゃ、助かる」


 ……うん? なんか黒木さん、考えごとしてる?


「髪伸ばしてるのは、バイトのときに素顔を隠すため?」

「むしろ逆かな? 普段隠しておけば、バイトで素性がバレないから」

「じゃあ、明日、放課後に美容室行こう。もう隠す必要はない。バイトもOKだし、バイトも必要無いって、亜澄あすみさんが言ってた」

「お袋が? なんでまた?」

「治人くんに生活費が届かなかったのは、送金の期限が中学生までだったからだって。高校から生活費をアップする予定だったらしい」

「……確かに親父、俺の学年間違えてやがったな」

「だから、バイトも自由。生活に困らない。だから顔さらして大丈夫」

「……随分と、髪を切るのを推すね?」

「だって、陰キャじゃなくなれば、名前で呼べるでしょ、私のこと。私は名前で呼んでほしい。黒木もいっぱい居るけど、それ以上に『私だけの名前』で呼ばれたい、治人くんには」


 っ!? そうか。名前呼びが恥ずかしい理由って、それだ。確かに特別だ、名前呼びは。


 距離が近い。

 間柄が近い。

 特別な関係。

 それは……近さの証だ。


 僕だって昔は友達もいた。名前で呼んだりニックネームで呼び合ったりしていた。

 そして僕は今、黒木さんに名前呼びをされた。彼女にとって、僕は特別なんだと、主張されたんだ。

 じゃあ僕にとって、黒木さんはどうなんだろう──。


「……ごめん。急に迫りすぎたかな。悩ませるつもりはなかったの」

「……ごめん、今ごろ気付いた。僕も黒木さんのこと、名前で呼びたいって思った」


 ──ふたりの言葉が、重なった。


「ふふっ」

「あははっ」


 ──また、重なった。


「合歓さん。よろしくね」

「任せて。惚れさせてみせるから」


 感極まったように、合歓さんが僕の唇にキスの雨を降らしてきた。

 ひとつのベッドの上で、キスの水音が幾多にも響く。




 なかなか寝付けない夜が、更ける。





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