第4話 黒木合歓
「柊クンのその目……良いわね。お気に入り」
桜色の唇が、僕を誘惑するかのように、ぷるりと震えた。
やはり僕は、この美少女を知っている。そう、つい最近の出来事だった筈──だが、思い出せない。
「ねぇ、君、やっぱり僕のこと知ってたでしょ?」
諦めて尋ねてしまうと、彼女は目を丸くしてクスクスと笑い声を上げた。
「てっきり、もっと粘るかと思った。男の子ってカッコつけが多いから」
「僕がカッコつけても、たいして意味などないよ、陰キャだから。それよりは、この喉のつっかえをスッキリする方を、僕は選ぶかな」
「陰キャには、見えないよ? 柊クン、どちらかと言えば整ってる方だと思うけど。会話も面白い」
「陰キャとコミュ障は違うものだよ──って、それはいいんだ。君は僕の喉のつっかえを取り除けるのかな?」
本音を言えば、彼女との会話は嫌いじゃなかった。もっともっと続けたい気持ちは大いにある。でも、それ以上に、この気持ち悪さを解消したかった。喉の奥に刺さった小骨のような、脳裏を燻る偏頭痛のような、気になってしかたがない不愉快さを。
「知ってるわ。勿論」
彼女が舌なめずりで唇を潤した。人前でする仕草じゃない。なのに彼女のそれは、蠱惑的で、嫌悪感はまるで沸き上がらない。
「私は、貴方の
「ふ、ふぃあ──んせ?」
まさか自分が聞くことになるとは思っても見なかったパワーワードに、僕は、当然のごとく思考を停止した。
ぴちゃ ぴちゅ──
司書室に、淫靡な音が響いていた。
ここにいるのは、僕と……名も知らぬ美少女。
僕がフリーズから目覚めると、美少女とキスを交わしあっていたんだ。
ぬちゃ ぷちゅ──
「ふふっ……気がついたのね」
僕の目の前で、彼女が笑った。妖艶な、とても妖艶な笑みを浮かべて。
「僕は……どうして、こん、な──」
「柊クンは、何も悪くないわ。悪いのは……悪企みをしている大人、かな。さぁ、舌を出して」
言われるがままに、舌を差し出してしまう僕。訳が分からない。美少女とのキスだなんて、ましてやこんな淫靡な交わりだなんて、嬉しいに決まってる。なのに、喜びきれない僕がいるのも、事実だった。
「はぁ、はぁ……ね、ねぇ、止めよう」
「驚き……ここまできて、まだ柊クンは自制できるの? 我慢しなくていいじゃない、あなたのフィアンセなのよ? さぁ、舌を伸ばして、私のと絡めあうの」
ぬちゃ ぺちゅ──
言われると、拒否できない。でも、その度に、胸が軋む音がするんだ。
「僕は……君とあったことがあるの?」
「まだ、夢中にならないとか、ちょっと傷つくんだけど。私も初めてとはいえ、さ」
爛々と輝いていた彼女の形のよい目に、落ち着きが戻った……気がした。
それでも、僕と彼女の胸元は互いの唾液で濡れそぼっていて、互いの口許には、銀色の架け橋がかかったままだ。
「まぁ、今はこれだけでもいいかな。無抵抗よりは、マシだし」
ニッコリ微笑む彼女の笑みは、先ほどの妖艶さではなく、無邪気さが感じられた。それだけで、彼女がこんなことをしてきた理由がきっとあるのだと、勝手に思ってしまう辺り、僕はやっぱり陰キャで、経験不足で、童貞なんだと思う。
「じゃあ、このままでよかったら、質問に答えてあげる」
いつの間にか乗り上げていた司書室のテーブルの上で、寄り添う僕たち。
距離は限りなくゼロに近い。
互いの息づかいも肌で感じるこの距離は、彼女の香りがダイレクトに伝わってきて……思わず押し倒したくなる。
「なぁに? 続きが、したいの?」
僕をからかう様に、クスクス笑い声をあげる彼女。きっと僕の思惑など、隅々まで分かりきっているんだ。女性は男性の目線に敏感だというし。
折れるな、貫け、僕。
陰キャでしかいられなかった。でもそれは、陰キャに逃げたんじゃない。陰キャを選んだんだ、生きるために。
心の強さだけは、誰にも負けない。むしろ、それしか無いって心に言い聞かせてきただろう、柊治人!
自分を鼓舞する。彼女から視線を逸らさずに。さぁ、今度は僕の番だぞ。
『彼女と、どこで、どう知り合ったのか』
『どうして婚約者の関係なのか』
『なんでこんなことをしているのか』も聞く必要ができたな。
だけど、さっきまで聞きたかったことよりも、今、一番聞きたいことは……
「君の名前を、教えてほしい」
僕の絞り出した質問に、彼女は吹き出した。それは、それは、とても楽しげに。
そしておもむろに、抱き締められた。
唾液まみれの互いの胸元が『ぴちゅり』と音を立て、ひんやりと冷たさが伝わってくる。
彼女の唇が……ぷるりとした唇が僕の唇に押し当てられ……
「
僕の耳元で、彼女が囁き──僕の体はゾクリと歓喜に震えた。
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