第2話 初めましては懐かしく

「……やばっ! バイトっ!」


 布団を跳ね上げて飛び起きたが、思った以上に布団が軽く、天井付近まで舞い上がった。

 ……そうだ、ここは保健室だった筈だ。通りで馴染んだ煎餅綿布団と違って軽いわけだよ、羽毛布団だし。

 そして、保健室だったことを思い出したことで、バイトも今は全く無かったことを思い出した。

 転校前は、バイト三昧だった。イイヤ違う、正しくは『バイトしないと生きていけない』だったな。別居生活なのに、親から生活費の仕送りは一切無かったからな。

 ──学費は払われてたけど。

 だから、遊ぶ金どころか生きる金稼ぎが必須だったので、放課後は働く以外の選択など、ありはしなかった。

 ちなみに、今でも実情は変わらない。早くバイトを探さないと、生きていくことすら、ままならなくなる。


「こぉら。バイトの前に、すべきことがあるでしょ?」


 カーテン越しに声をかけられた。白いカーテンがシャーッと開け放たれ、グラウンドからの光が眩しい。


「転入生の柊だったわね。今なら丁度助川先生の授業だって話だったから、具合が悪くなければ教室に戻りなさい」






 見覚えのある階段を見つけ、3階まで上がる。

 ずっと違和感があった。


「僕は、まだ教室にすら入っていないのに、なんで保健室だって分かったんだ?」


 起きたとき、あそこが保健室だって確信があった。初めての場所な筈なのに。証拠に、保健室を出たあと迷子になりかけている。

 違和感はそれだけではない。


「ここ……僕が溺れて外へ放り出された踊り場な筈」


 水は百歩譲って掃除したということにしよう。でも、割れた窓ガラスが、なにごとも無かったかのように填まっているのは不自然だ。もう業者が来て、ガラスを入れ変えていったとでも言うのだろうか。腕時計の針は11時23分……まだおおよそ3時間しか経っていないのに──えっ?


「おかしくね? もっとおかしいこと、あるじゃないか。なんで僕、ここに居るんだよ」


 踊り場からの転落ひもなしバンジー。高さはざっと……15m程。保健室で休んで回復するレベルの話な筈がない。死んでもおかしくないし、生きていればラッキーだけど、大怪我は間逃れない……筈だ。


「何が……それに、服も濡れてない……どうなって……」

「おぅい、柊!」


 ──っ!?

 えも言われぬ深い闇に、全ての感覚を飲まれそうになったところで、声をかけられた。この学校での知り合いなど、ゼロに等しい。この声は、助川先生だ。


「災難だったが、無事で何よりだ。さぁ、教室へ案内するぞ──まだ顔合わせも終わってないからな……こりゃもう授業にはならんな」


 階段の先、2年D組の教室前には案の定、助川先生の姿が……彼も濡れた様子はないし、怪我した様子もない。僕と一緒に居た筈なのに。吹き飛んできた教室扉も、何ともないように見え──背筋が、ぞくっとした。






「両親の転勤で転入してきました、柊治人です。よろしくお願いします」


 教室前で、おおよそ30人前後の前で自己紹介をする。転入生の避けられぬ定番だ。インパクトのない挨拶だなと僕も思うけど、挨拶できているだけマシだとも思う。

 ──この中に、今朝の『鉄砲水』と『人魚?』と『ビッグウェーブ』が居る筈なのだから。警戒しない方がおかしい。

 まぁ、そもそも変わった挨拶が出来るほど陽キャじゃないし。むしろ対極側の人間だし。


 助川先生に促されて、窓側から2列目の最後尾に向かう。そこには準備してくださったであろう無人の机があった。そこは、窓側の隣にひとりだけしか居ない、教室後ろに飛び出た特等席のような場所で──。


「──僕、柊。よろしく」


 唯一の隣人に一声かける。訳も分からぬ状況だし、正直大混乱中だけど、隣人に挨拶を欠かすような人にはなりたく──な!?


 うつ伏せで寝ていたであろう隣人が、背伸びをした。ロングボブの黒髪が艶やかに輝いて、天使の輪が際立つ。毛先がふわりと踊り、細い眉が垂れ下がる。閉じられた目蓋が手で擦られ……アーモンド形の大きな目が、僕を見ていた。





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