第6話 聖神降臨


 さて、どうやら聖都は魔王城に総攻撃を仕掛けるため全軍を集めたようだが……どう出るかな?

 未知の脅威を前におののいて撤退してくれたほうが、俺としては楽に済んでありがたいのだが……


「うあああああ! 兄上の仇ぃぃぃぃぃ!」


 どうやら、そうもいかないらしい。

 義妹のシュカが号泣しながら、こちらに向かって突っ込んできた。


「よくも兄上をぉぉぉぉお!」


 愛らしい顔立ちをした少女がするべきではない恐ろしい形相を浮かべて、双剣を抜くシュカ。

 その背中に《翼将》と呼ばれる所以ゆえんである光の翼を生やして、高速機動で迫ってくる。


 おお、シュカよ……たったひとりの妹よ……。

 裏切り者の兄のために泣いてくれるのか……。

 さっきも真っ先に俺の身を案じてくれたな。兄妹とはいえ国を裏切った者を心配してくれるとは、お前は本当に心優しい妹だ。

 いつのまにかこんなに大きくなって……特に胸が。


「その首っ! もらい受ける!」


 聖女様ほどではないが大きく実った膨らみ。

 育ち盛りの妹のその成長を、この先も見ていきたかった。

 ……だが許せ。


「ふんっ!」


「がはっ!?」


 相手を攪乱させる動きを見せ、的確にこちらの首を狙って刃を振り下ろそうとしたシュカだったが……その前に俺の剣のほうが先に届いた。

 一閃をモロに喰らったシュカは彼方へと吹っ飛んでいく。


 妹だからといって容赦はしない。

 シュカも自らの意思で騎士の道を選んだのだから、覚悟はしていたはずだ。


「シュカ様がやられた!?」


「《十二聖将》がいとも簡単に!?」


「なんだあの剣は!? なんとおぞましい剣だ!」


 聖騎士には攻撃を防ぐ不可視の障壁があるため、恐らく死んではいない。

 だが、どうやらこの黒い剣は俺のチカラを増長させているらしい。

 たった一振りの斬撃で、シュカは完全にダウンしていた。


「くっ……私は、負けるわけには……かふっ」


 あの負傷なら戦闘続行は不可能だろう。


「なんて、不甲斐ない……ぐすっ、ごめんなさい、兄上……兄、さん……」


 そのままシュカは気を失った。


 ……さらばだ妹よ。

 どの道、人類の裏切り者となった俺はもう兄として戻れない。

 お前をひとりにするのは心苦しいが……俺は自分の信じた道を突き進む!


 さて、残りの聖騎士たちは……


「怯むな! 相手はひとりだ! 全員でかかれば勝機はある!」


「そうだ! フェイン様とシュカ様の仇を取るぞ!」


 どうやらシュカの行動を見て闘志を燃やし始めたようだ。

 それぞれが愛剣を抜刀して向かってくる。


 ……いいだろう。相手になってやろう。

 この新たな剣と共に、この試練を突破してみせる!

 すべては聖女様の乳のために!


「来るがいい聖騎士ども! 我が剣の錆にしてくれる!」


「うおおおお! 負けるものか!」


「聖神よ、我らにチカラを!」


「聖女様万歳!」


 うおおおおおおおおおおお!! 聖女様(のおっぱい)万歳!



 魔王城がそびえ立つ大地で、激しいチカラの奔流が激突した。


  ◆


 その様子を、聖女ミルキースは見ていた。

 聖女のチカラのひとつである精神波を飛ばすことで、遠くの出来事をその場にいるかのように把握できるのだ。

 ……すなわち、暗黒騎士が語った内容も耳にした。


「そんな……フェインが……」


 ミルキースは顔面を蒼白にして膝をついた。


「フェインが、もう、いない……そんなの……いや……いやっ!」


 頭を振り回しながら泣き叫ぶミルキース。


 聖女ならば、この場で泣き崩れるべきではない。

 すぐ気持ちを切り替え、いまもこうしている間に激戦を繰り広げている聖騎士たちを支援すべく《強化の祈り》を行うべきだ。

 わかっている。

 わかっているが……


「あぁぁっ……嘘だと、嘘だと言ってフェイン……」


 少女としての心が耐えられない。

 思い人の死を受け入れられない。


「フェイン……んっ」


 一種の防衛本能だったのだろう。

 心を落ち着かせるべく、ミルキースの手は自然と巨大な乳房に伸びていた。

 感情を鎮めるべく、いつも以上に激しく揉みしだいたが……


「うぅ……ぐすっ……」


 快感の波は訪れなかった。

 いつか思い人がこの膨らみに触れてくれるかもしれないという、ありえない妄想。

 ……その妄想が、本当にもう二度と実現しない、ありえないものになってしまった。


「フェイン……あなたがいたから、私は今日まで……」


 聖女として人々を救いたかった。

 その気持ちは嘘ではない。

 だが自分がここまで頑張ってこれたのは、他でもない。


 フェインという特別な異性に、生きて欲しかったからだ。


 だというのに……


「フェインがいない世界だなんて……そんなの……」


 いまの彼女は明らかに冷静さを欠いていた。

 聖女としての意識を強く持っていれば、きっとは決して思わなかっただろう。

 だが所詮、彼女も年端もいかない少女。

 カラダはどれだけ立派で、いやらしかろうと、まだ心は未熟な少女なのである。


 だから、一瞬でも思ってしまったのだ。

 愛する存在がいない世界。

 そんな世界に……




 守る価値があるのか? と。




 それが、鍵となった。





 ――その通りだミルキース。こんな世界に守る価値などない。


「……え?」


 自分に語りかける声に反応して、泣き崩れたミルキースは顔を上げる。


「このお声は……」


 もしやと思い、ミルキースは眼前を見上げる。

 神殿の屋根を貫くほどに伸びた、水晶のように輝く巨大な柱を。


 天に届くほどに伸びた光り輝く柱。

 これこそが聖都を象徴する――《聖神柱》。

 そして、聖女が聖神のお告げを聞くための神造物に他ならなかった。


 その聖神柱がこれまでにない光を発している。


 ――感謝するぞミルキース。そなたの心の変動が、我をこうして地上に降臨させたのだ。


「もしや……聖神様なのですか?」


 聖神のお告げはこれまで何度も聞いてきた。

 だがそれは脳に直接言葉が浮かぶようなものであって、こうしてはっきりと声として聞こえたのは初めてのことだ。


 ――忌々しい魔族どもはようやく消えてくれた。もう我々を脅かす存在はいない。


「え? 魔族が消えたって……どういうことですか!?」


 ――ミルキースよ、お前はもう何も考えなくても良い。後はこの我に身を委ねるだけで良いのだ。


 いったい、何の話をしているのか?

 いったい、何が起きているのか?

 ただ、ミルキースは感じ取っていた。


 この声に、耳を傾けてはならないと。


 ――なぜ拒むミルキース! そなたを幸福にできるのは、この我において他ならぬ!


「ひっ!?」


 ミルキースは気づく。

 いつのまにか、自分のカラダが聖神柱に吸い込まれていることを!

 それだけではない。

 柱に触れた先から徐々に、カラダが結晶化していくではないか!


「きゃ、きゃああああああっ!?」


 結晶特有の美しさも忘れてしまうほどの不快感と恐怖。

 痛みはない。

 それが逆に恐ろしかった。

 ゆっくりと、ミルキースのカラダが人のものからかけ離れていく。


 ――さあ、我が祝福を受け入れよミルキース。そなたこそ、そなたこそ我と共に生きる存在に相応しい。


「い、いやっ! 誰か、助けて! ……助けてフェイン!」


 ――そなたの心を乱すものも、我がすべて忘れさせてやろう。


「あっ……アッ……アァ……」


 消えていく。

 人の形どころか、心まで。

 いちばん大切な人の記憶まで……


(いや、お願い、消さないで。それだけは……助けてフェイン……フェイン……ふぇ、いん……って、ダレ、ダッケ?)


 自分は何をこんなにも悲しんでいるのか?

 その理由すらもわからなくなっていくと……ミルキースの肉体は完全に聖神柱の中に吸収された。


 より輝きを増す聖神柱。

 高圧の光は神殿ごと破壊するほどの衝撃波となり、地響きを巻き起こした。

 聖神柱の異変に聖都の住人たちが「何事か!?」と慌てふためく。


 その住人たちのカラダに等しく――焼き印のような刻印が浮かび上がった。

 すると……


「があぁっ!? な、なんだカラダが石にっ……」


「く、苦しい!」


「あ、アァッ、溶ける! カラダが溶ける!」


「た、たずげでグレエエエ!」


 人々のカラダに次々と異常が起こる。

 肉体が石になっていく者。

 肉体が膨張し破裂する者。

 肉体が焼き爛れる者。


 人類にとって、たったひとつの救済地である聖都。

 その聖都が、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。



 ――偽りの信仰などいらん。信仰を道具に腹を肥やす豚どもはもっといらん。真に清き者だけが、この世に生きていれば良い。


 声は厳かに語る。


 ――さあ、始めよう。この大地を浄化し、真に美しい世界にするために。ミルキース、そなたを完璧な聖女にするために。そして……


 声は憎悪を込めるように、どこか嫉妬を混ぜて宣言する。




 ――フェイン・エスプレソン……貴様こそ、この世で最も不要な存在だ!

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