第3話 違う、そうじゃない
◆
翌日。
聖女ミルキースがいつものように朝の祈りを捧げていると、慌ただしく駆け込む足音が神殿に響く。
「聖女様! 大変です!」
猫のように丸い目と薄桃色の髪をおさげにした少女がミルキースの背に声をかける。
神官たちがいれば「聖女様の祈りを邪魔するとは!」と懲罰という名の鬱憤晴らしが始まるところだったが、幸いここにはミルキースと駆け込んできた少女しかいない。
なによりミルキースにとって少女は、いつだって歓迎すべき数少ない同年代の友人だった。
祈りを終えて、快く友人を迎える。
「シュカ。どうされたのですか? そんなに慌てて」
「た、大変なのです! あ、兄上がっ、その……」
「フェインがどうかされたのですか?」
またシュカの兄に対する心配性が始まったのだろうか。
フェインの義理の妹であるシュカ・エスプレソン。
見た目は愛らしい少女だが、これでも義兄のフェインと同じく《十二聖将》のひとりである。
もともと貧困街に生まれた孤児だったが、剣の素養と過酷な環境を生き残る気骨を買われ、代々武官の一族であるエスプレソン家に拾われたのだという。
その才覚はこのとおり結果として表れている。
同じ孤児の生まれということで、ミルキースとシュカは意気投合した。
こうして二人きりでいるときは彼女たちも己の身分を忘れて《ただの少女》として会話に華を咲かせることができた。
兄を心から敬愛するシュカが相手だと、自然と話題はフェインに偏る。
なかなか自分に素の姿を見せてくれないフェインの意外な一面をシュカの口を通して知ることができるため、ミルキースは彼女との時間を気に入っていた。
今日もまたフェインのことで楽しい会話ができるのかと期待していたミルキースだったが……どうやらシュカの様子を見るに、穏やかな内容ではないようだった。
「いったい何があったのですか?」
ミルキースは笑顔を引っ込め、聖女としての態度に切り替える。
シュカも一介の騎士として語り出す。
「今朝、兄上がいつまでも訓練にやってこないので部屋に伺ったのですが……そうしたら、もぬけの殻でして……」
ミルキースは驚いた。あのフェインが訓練を無断で休むなど、いままでなかったことだ。
「しかも、机の上にこんな書き置きが……」
そう言ってシュカは一枚の紙切れを差し出す。
「まず、聖女様に見せるべきだと思いまして」
「いったい何が……」
恐る恐る折りたたまれた紙を開く。
中にはこう書かれていた。
一身上の都合により魔王城に向かう。
聖都には二度と戻らない。
聖女様万歳。
フェイン・エスプレソン
簡潔な文章。荒々しい筆跡。
まるで書き手の「居ても立っても居られない!」と言わんばかりの激情が伝わってくるような書き置きに、ミルキースは息を呑んだ。
「フェインが、たったひとりで魔王城に?」
「兄上は悪ふざけでこのようなことは決して書きません。そこに書かれていることは、真実かと……」
「そんな……」
勝手な魔王城への干渉は、神官たちによって禁止されている。
破ればいかに《十二聖将》といえども、階級を剥奪されてもおかしくはない。
それを承知で、フェインはこの聖都を出た。
それが意味することは……
「シュカ……もしや、フェインは……」
「はい。聖女様のご想像どおりかと。……くっ、兄上は、そこまでして……」
誰よりも兄を理解するシュカは、すでにこの蛮行の裏にある真意に察しがついていた。
「兄上は……聖都の決まりに刃向かってでも、魔王を討つ覚悟を決めたのです!」
「ああっ! そんなっ! フェイン!」
ふたりの少女は泣き崩れた。
フェインは悟ったのだろう。
いまの保守体制のままでは、いつまでも魔王軍との戦いを終わらすことができないと。
そのためには、国を裏切るしかなかったのだ。
さぞ葛藤したことだろう。信心深き彼が、母国を捨てるなど。
だが結果はどうか。
フェインは誰ひとり巻き込まず、単騎で魔王城に向かったのである!
彼が忠義と愛国心で特攻したことは、書き置きの最後に書かれた『聖女様万歳』が物語っている!
シュカはむせび泣いた。
兄の勇気ある決断を思えば思うほど、ただでさえ溢れんばかりの尊敬の念がますます湧いてくる。
「ああっ兄上! あなたこそ真の聖騎士です! でもわたくしは悲しい! なぜこの妹めにひと言でも打ち明けてくださらなかったのですか!? わたくしなら共について行ったのに!
……いえ、そもそもこうなるまで兄上の葛藤を理解してあげられなかった自分が憎い!」
「シュカ、どうかご自分を責めないで。これはすべて私の責任です」
「なにをおっしゃいますか!? 聖女様に非はなにひとつございません!」
「いえ、私のせいなのです。……ついぞ神官たちの横行を止めることができなかった私の未熟さが、この結果を招いたのです」
「っ!? 聖女様、あなたは……」
「ああ、シュカ、許してください。自分が大人たちの操り人形であると知りながら、ついぞこの国の在り方を変えられなかったことを……」
ミルキースはとうに気づいていた。この聖都のいびつな体制に。
むろん彼女も何もしてこなかったわけではない。
知恵が足りないなりに知恵を絞り、これ以上国情が悪化しないよう影で対策してきた。
己の権力の許される範囲で度の過ぎた蛮行に走る神官を罰してきた。
だが、所詮は辺境育ちの少女。慣れない
ミルキースが学んだことはひとつ。
人間とは、いくらでも相手の裏をかく悪知恵を絞り出せるのだということ。
それでもミルキースは人間に失望することなく、聖女としての役目を全うした。
たとえ都合良く利用されていようと、立場を放棄して罪なき人々を見捨てるわけにはいかなかった。
清く正しく、聖女としての道を貫けば、きっといつか神官たちの心にも響き、この国の在り方を変えると信じてきた。
……だが現実はどうか。
いま自分たちは、掛け替えのないひとりの聖騎士を失おうとしている。
「……もはや迷っている猶予はありませんね」
「聖女様?」
「フェインが覚悟を決めたのなら、私も同じように覚悟を決めなくては」
「では……」
「はい。――魔王城に総攻撃を仕掛けます」
もはや神官たちに何と言われようと決定を覆すつもりはない。
すべての決着をつけるときが来たのだ。
「これまでにない過酷な戦いになることは必至でしょう。それでも行ってくださいますかシュカ? いえ……《翼将》シュカ・エスプレソン」
「もちろんです。《十二聖将》の名にかけて、必ずや勝利を!」
その後、他の聖騎士たちにもフェインのことを話すと全員一丸となって決戦に向かうことを承諾してくれた。
神官たちはこの期に及んでもなお保守的な苦言を口にしたが、ミルキースのこれまでにない圧を前にして怯み、しぶしぶ首を縦に振った。
そもそも聖騎士たちの間に広がる熱気を静めることは、もはや誰にもできなかった。
フェインの行動を機に、日々不満を溜めていた聖騎士たちの心に等しく火が着いたのだ。
「我らも《剣将》に続きましょうぞ!」
「おうとも! ここで臆していては聖騎士の名折れ!」
「フェイン殿こそ真の敬虔なる聖騎士なり!」
「おお万歳! 《剣将》フェイン万歳!」
聖騎士たちを死地に送ることにミルキースはいつだって葛藤してきた。
今回に限っては敵の本拠地である。決行には大いに悩んだ。
しかし……彼らの目に宿る戦意を見れば、きっと大丈夫と信じることができた。
「皆さん。どうか無事に戻ってきてください。あなたたちに《聖神》の加護がありますように……」
聖女としてのミルキースは願う。
聖騎士たちの帰還を。
少女としてのミルキースは願う。
自分にとって特別な青年の無事を……
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