第六十二話:邪神、顕現

「ぜっっったいこれでしょ! 考えてみればギミックらしいギミックなんてこれくらいしかないもん!!」


 果たして……シヅキの読みは正しかったようだ。首輪を装着した途端、司教は悶え苦しみ、じゅうじゅうと音を立てながら肌色の煙を全身から噴き出し始めた。

 それを見たシヅキは露骨に嫌そうな顔を浮かべ、ぽてぽてと後ろ歩きで後退してゆく。


「うぇ~、なんかばっちい……」


『嗚呼、まさか、そんな……!』


 煙の中からは司教のものと思われる声が響くが、今までとは違いそれは非常に鮮明に聞こえた。違う言葉が重なって響くことはなく、エフェクトが掛かったような歪みもなくなっている。


 そして、煙が晴れ、中から現れたのは────瞳が二つ、口が一つ、そして腕が二本……そう、一般的な人間の姿・・・・・・・・に戻った司教らしき細身の男性だった。


「……ずいぶんスマートになったねぇ。というか、後天的な肉体の変質すら元に戻せる首輪っていうのもけっこう凄いな。誰が作ったのあれ」


『くそ、何故だ、何故……! 元より罪人の力を封じるために作られたとはいえ、所詮は人造の枷でしかないのだぞ!? それが神の祝福を無効化するなど……ふざけるな、そんなことがあっていいはずが……!!』


 推定司教は自らの首に取り付けられた首輪に爪を立て、ぎゃりぎゃりと耳障りな音を立てながら喚き散らしている。

 爪が剥げ、指先からは血が出ているがそれを気にした様子もない。今の彼はただの人間なはずだが、痛みが気にならないほど焦燥しているということだろうか。


「任意に人としての姿を取り戻せるなんてすっごく便利そうだし、そう悲観的になることもないでしょ~。んふふ……」


 ひたすらに厄介で、先ほどまでずっと苦戦を強いられていた敵が無力化され、取り乱す姿。それはシヅキの心を大いに擽った。

 シヅキは笑いを零しつつ蛇腹剣をじゃらりと伸長させ、司教に向けて狙いを付ける。


『かくなる上は……! 神よ! この身を贄として捧げます!! どうか、この暗き世界に救いの光を────がふっ!?』


 司教は近くに落ちていた白い短剣────異形と化していた際の司教が手に握っていたものが腕の消失に従いその場に落ちたと思われる────を拾い上げ、自らの胸に突き立てようとし…………その胸を、先んじて血色の刃が貫いた。


「そんな分かりやすい召喚儀式、むざむざとやらせるわけないじゃーん! ……ま、お決まりの流れだし、ここで阻止しても多分無駄な気はするけど…………」


 ぼやきながらも血の剣を振るい、司教を容赦なく貫いたシヅキ。今の司教は再生力を封じられており、心臓を貫かれれば為す術もなく死ぬしかない。

 だが、司教はその口から血を吐き、顔中に脂汗を浮かべながらもにやりと笑みを浮かべた。


『無、駄だ……! 私が……意志を示した、時点で……既に、儀式は……完遂されている…………!! 短剣は儀礼的な意味、しか、持たず……贄の死さえあれば……顕現は叶う……!! ごふっ!』


 瞬間。神殿が大きく揺れ動き、司教と贄の少女たちが肌色の液体と化し空中の一点に収束してゆく。液体は空中に幾何学的な陣を描き、その中心にある空間は捻じれ、先を見通せない黒い平面が生じた。

 周囲にある肉の塊溶けた信者たちは神の顕現に歓喜し、顫動し、重なった祈りの言葉は不吉な響きをもって神殿を満たす。


「はぁ……。ま、ここまできて『阻止されたので大ボスは登場しません』なんて、肩透かしなことは起きっこないよねぇ。…………神、ね。どうだろ、魔族ニェラシェラより強いとかだと流石にけっこうキツいかな……?」


 空中にある黒い平面。あれこそが神の座と此の世を繋ぐ門なのだろう。真っ黒な平面であるにもかかわらず、シヅキはその内から強い圧力を感じた。

 そして────一切の前触れなく……ずるり。真っ黒な色をしたにくにくしいものが、黒い平面、世界の断層を通って此方へと現れた。


「ん、ひっ……!?」


 それを認識した瞬間、シヅキの心を満たしたのは……恐怖。


(なにあれ……なにあれ!? 怖い、怖い怖い! とにかくあれが怖い! ただただ怖くて仕方がない!!)


 次元の断面から溢れ、どちゃりと音を立てて地面へ落下した黒色の肉の塊。周囲を覆うそれと色以外は大差のないはずの物体が、ひたすらに恐ろしくてたまらない。

 一瞬でも目を離した瞬間になにか悍ましいことが起こるのではないか、その考えが頭を離れず恐ろしいのに目が離せない。汗が溢れ、視界は涙で滲む。息が詰まり、空気を取り込むことすら上手くできない。

 シヅキの形の良い顎を伝い、ぽたりと汗が足元に落ちた。


「……汗?」


 そのとき、シヅキの恐怖で満たされた心に、一筋の疑心が生じた。

 そうだ、UGRにおいて、プレイヤーは汗を掻かない・・・・・・・・・・・・はずだ。溶岩流が至る所に存在し、ただ居るだけでダメージを食らうほど気温が高いフィールドにいてさえシヅキは汗を掻かなかった。

 何故なら汗は不快だから・・・・・。排泄と同じく、ただ不快さしかもたらさない人体の機能はUGRでは基本的にオミット省略されている。


 そんなシヅキが、全身から大量の汗を吹き出し恐怖に震えている。これはつまり、今は発汗を必要とする状況・・・・・・・・・・であり、ゲーム側が意図した結果そうなっているということだ。

 そして……UGRにはプレイヤーの感情を強制的に隆起させる機能、外器オーバーヴェセルが存在している。高揚感を植え付けられる以上、同じようにして恐怖の感情も植え付けることができると考えるのが自然な流れだろう。


「あぁ、そういう、ことか……。演出にしては……随分と悪辣な…………」


 だが、この恐怖は自覚したところで解除されるようなものでもないらしい。未だに四肢は震え、汗が短剣を握る手を滑らせる。これではまともに戦うことすら難しい。


 落下したにくにくしい塊が、うねりながらも起き上がる。それは真っ黒な触手が絡み合い構成された肉体を持っている。

 頭を縦に引き延ばし、腕を伸長させた平べったい人型の上半身に、おおむね三角錐の形をした下半身────沢山の足を持つが故にそう見えている────を合わせた、そんな異様な見た目をしていた。

 現れたときはそこまで大きくはなかったはずだが、まるで無から有を生み出したかのように膨れ上がった結果、それは今や目測で全長7m近い高さを持つ巨人と化している。

 頭らしき辺りには、唯一光を反射し不気味に輝く黒色の多面体結晶。一瞬だけ見えたそれは、次の瞬間にはもう同色の肉に覆われて見えなくなった。


「ふぅーっ……。考え方を変えよう。確かにアレは……怖い。だけど、だからといって勝てないとは思えない。思わない。……思いたくはない」


 神の座からきたるモノ。それはおよそヒトが敵う存在ではないように思えるが、それならばあの黒い平面を『異次元存在が住まう別の次元への通用口』とでも言い換えてしまえばいい。

 司教を始めとしたカルトの面々があれを神だと主張しているだけで、実際のところはただ特異な力を有したデータを持った存在というだけの話だ。そしてゲームにおいて、データが存在しているHPが設定されている以上戦って殺せないはずはない。

 敵を矮小化し、恐怖をねじ伏せ、無理にでも動かないことには勝ちの目は────


「……あぁ? いや、いや。そうか、そもそもそういうんじゃあないなこれ……。単に解除が可能なギミックってだけだ。…………恐怖で視野狭窄になってたなぁ、はぁー……」


 シヅキは自らの考え違いに気付いた。恐怖を恐怖のまま克服しようとするのが端から間違いだったのだ。そうだ、これは一度気付いてさえしまえばなんてことのないギミックだ。

 そう────感情制御恐怖心には感情制御高揚感をぶつければ良い。ただそれだけの話なのだ。故に、シヅキがこの場で取るべき行動はただ一つ。


「────〈外器オーバーヴェセル:赤き鮮烈なる死レッドラッドデッド〉……む?」


 シヅキの取った行動はどうやら正解だったらしい。途端に恐怖心が薄まり、代わりにいつもの強い高揚感が……やって来ることはなかった。


「想定通り恐怖心はなくなった……けど、若干想定外だなぁ、これは……いででで」


 今のシヅキの身体には赤く明滅する罅が走り、そこから血色の霧が絶えず吹き出し続けている。どう見ても赤き鮮烈なる死レッドラッドデッドの発動中なのだが、その割に、シヅキの心は今に至ってなお平常心を保っている。

 一秒毎にびきびきと全身を苛む痛みに顔を顰めつつ、まぁ感情の相殺というならこうなることもあるだろうとシヅキは自分を納得させた。


 あるいは、あの邪神────識別名『第六肢の眷属』を相手取るのなら、外器オーバーヴェセルデメリット強制高揚が無効化されるくらいのことはないと厳しいということかもしれないが。


「しっかし……仮にも神と称されるような奴が実際はナニカの眷属でしかないって……。あれの飼い主が別にいるってことだよね。やば~」


 『第六肢の眷属』という名称は、「第六肢」という存在の眷属なのか、あるいは六番目の眷属という意味なのか。その微妙なニュアンスの差によってもあの存在の強さの想定も変わってくるだろう。


 もし仮に後者であるなら、先ほどやってきたばかりのあれが眷属としては六番目のものということになる。それはつまり、五番目までの眷属は既に倒されている、あるいは死んでいるというふうに解釈しても良いはずだ。

 そうであるならば、見た目から受ける印象よりは弱い可能性も────


「あぁいや、そういえば回復量激減してるんだった……余裕ぶって考え事してる場合じゃなかったや。装備変更……これがふぉーるんの初実戦投入、かな?」


 シヅキは赤い短剣からより相応しい装備へと切り替える。取り出したのは黒塗りの脇差『蜥蜴丸』と……全長40cmほどの小さな灰色のワンド『ふぉーるん』。その先端には二つの羽根の意匠があり、間にクリーム色の宝石が取り付けられている。

 〈内器インナーヴェセル:脳内魔術回路サイレンスコール〉による〈血の剣〉の思考発動。その二枚の羽根の間を基点として、血色の刃が音もなく現れた。


 シヅキがその眼前で戦いの準備をしている間にも『第六肢の眷属』は落ちた場所でゆらゆらと揺れ動くだけで、シヅキに対しての明確なアクションはまるで取ってこなかった。

 妨害の一つくらいは飛んでくると思っていたシヅキとしては予測が外れた形だが、まぁ、自身が有利になる分には特に問題は感じない。


「神殺しって言えば中々楽しそうだけど……。眷属って明言されちゃうと、なんか格落ち感があってあんまりテンションが上がらないなぁ。……まいいや。よし、おまたせ、じゃあやろっか?」


 シヅキは右手に握ったふぉーるんの感触を確かめるように二度、三度と振るった後、『第六肢の眷属』を目掛け全力で駆け出した。


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Tips

『邪神』

 正式名称『第六肢の眷属』。別次元に封印されていた侵略実体。

 地下教団の崇める神とはその実全く関係がなく、司教を支配し都合よく利用することで封印からの脱出を試みていた。


 ゲーム的には資料を全て収集するまでに捕縛された回数によって顕現度合いが変化、ボスとしての能力が変動する形となっていた。

 シヅキが遊んでいたために今回の儀式は完璧な形で実行され、結果として完全な顕現に成功してしまっている。

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