第六十三話:黒き侵略者『第六肢の眷属』(前編)

「動きづらい!!」


 空中に固定された血色の鎖を足場に縦横無尽に神殿内を駆け回りながら、シヅキは思わず絶叫した。

 〈内器インナーヴェセル:脳内魔術回路サイレンスコール〉を実戦で使用するのはこれが初めてだが、発話はおろか動作すら必要とせずに各種スキルが使用できるのは思っていた通り非常に便利だ。これはいい。

 だが、それを考慮しても尚、シヅキの戦闘能力は許容し難いほどの低下を見せていた。


 原因は分かっている。全ては赤き鮮烈なる死レッドラッドデッドが弱体化されたせいだ。

 効果量の減少はまだいい。いや、シヅキの心情としては全く良くはないのだが、半減近くに引き下げられようと未だに効果としてはかなり強い部類であり、それに、最大HPを増やせばある程度は減少をペイできる。

 だが、追加された『効果中の被回復量-90%』効果。これが制約としてあまりにも重くシヅキの肩に伸し掛かっている。


 シヅキは蛇腹剣という攻撃回数の多い武器を担ぎ、〈内器インナーヴェセル:影なる刃〉によってそれを更に四倍化している。言うなれば通常攻撃が連続攻撃で多段攻撃のお姉さんだ。

 そのシヅキでさえ、かなりの高頻度で攻撃し続けないと赤き鮮烈なる死レッドラッドデッドでのHP減少をカバーできない。ましてや、戦闘中に必要とするHPコストはそれだけではない。全力を出すためには〈血の鎖〉や〈血の刃〉、その他各種スキルの使用コストも必要なのだ。


(これ、もしふぉーるんを手に入れてなかったら赤き鮮烈なる死レッドラッドデッドが使い物にならなくなってたのでは……?)


 『魔杖ふぉーるん』の攻撃時効果の発動確率は50%。そこから更に50%の確率でHPが5%回復する効果が抽選される。だが、そこに被回復量-90%が乗るため実質的な回復量は0.5%しかない。

 期待値的には一秒間に16回攻撃してやっとHPを2%回復し、赤き鮮烈なる死レッドラッドデッドを維持できるという計算になる。適当に斬り付けるだけでHPが即座に全快していた以前までの状態がおかしかっただけなのだが、それにしてもこれは窮屈極まりない。

 上手く斬り付けられれば剣の一振りで六、七回はふぉーるんの発動を狙えるので、多少の余剰くらいは確保できる。だが、〈血の刃〉ならまだしも最大長の〈血の鎖〉を連打するにはあまりにも心許ない。

 故にシヅキは〈血の鎖〉を拘束手段としては用いず、自らが空を駆けるための足場として利用するに留めていた。最短長での行使なら消費するHPはたった50Ptであり、どれだけ使用してもさほどHPを圧迫しないからだ。


「ぬっ、ふっ、おぉぉ……!」


 黒い触手が束ねられた長大な腕が振るわれ、寸前までシヅキが足場にしていた血の鎖を根こそぎ薙ぎ払う。シヅキは既に攻撃範囲からは脱していたが、腕の余波────速度から来る風圧────を受け、姿勢が大きく崩れる。

 咄嗟に新たな血の鎖を生成することで体勢を立て直すが、その直後、シヅキの直下にある床から巨大な触手の柱が突き出し、再び足場を喪失する。


 今のところ『第六肢の眷属』は召喚地点からは動かず、腕を振るう、あるいは地面から触手の柱を突き出すなどの攻撃をシヅキに対して行っている。

 見た目からして分かっていたことではあるが、あの眷属はあらかじめ決まった行動パターンをランダムに取り、膨大なHPをもって攻撃を受けて耐えるタイプ……典型的なアクションゲーム的ボスだ。

 状況に応じて行動を変え、攻撃を回避することで耐えるタイプの所謂"武人型エネミー"と比べれば、シヅキの戦法との相性は悪くなく────その上で、シヅキは現在劣勢を強いられていた。


「あれの元締めだからっ……半分分かってたことではあるけ、どっ! いくら攻撃してもHPが減らないっていうのは……心理的にキツい!」


 第六肢の眷属は異形の司教と同じ……いや、それ以上の超再生能力を持ち、なおかつ司教とは異なりそれを前提にして・・・・・・・・攻撃を行ってくる。

 司教の場合は断ち切ってから再生までに若干のタイムラグがあった。それに胴体など、致命的な部位を切断された際は死なずとも反射的に硬直していたが、眷属はそれらが一切生じない。

 それだけなら単に通常のエネミーと同じ────破壊可能部位以外の損壊が不可能────というだけのように思えるが、そうであるならばシヅキはここまで苦戦していない。

 第六肢の眷属はヒトと同じで全身が破壊可能部位であり、破壊から一切のタイムラグなくその部位が再生される。

 そして切り離された部位は即座に液化・・・・・し、散弾のようになって勢いそのままにシヅキへ向けて飛散してくるのだ。


「んぃっ!?」


 眷属の肉体、分かたれ溶けた飛沫が偶然にもシヅキの腕を掠めた途端、シヅキの動きががくりと歪む。

 見ればシヅキの腕、飛沫の触れた部分とその周辺が液状に変化していた・・・・・・・・・。しかしそこに痛みはなく、代わりに感じるのは────非常に強い絶頂感。

 腕から感じる快楽という慣れぬ感覚を堪えつつ、シヅキは思考制御で〈セルフキュア〉を発動する。僅かな発動待機時間の後、どろりと垂れた腕の一部は何事もなく元通りに戻った。


 そう、眷属の肉体には触れたものを一秒弱の間だけ液化させ、強い絶頂感を与える特異な性質があった。それは本体から離れた後のものも例外ではなく、先ほどからシヅキは何度もこれを受け、動きをかき乱されている。

 これがもし同量の痛みならばさしたる問題はなかった。だが、快楽、それもそういう状況・・・・・・でもない場面で与えられるものに心構えなどできるわけがない。


「とんだエロ触手だよ、もう……! そりゃあ与えられるのが痛みだったら信者もこんなふうにはなってないんだろうけどさぁ!」


 未だに床に伏せ祈りの言葉を唱え続ける肉の塊溶けた信者は、第六肢の眷属の攻撃によって既に過半数がどろどろの液体と化していた。

 だが、それでも祈りの言葉が絶えることはない。きっと彼らにとって、あの状態完全な液体化は忌避すべきものではないのだろう。

 だからといってシヅキまでもがあれを歓迎できる筈もない。全身を────物理的に────どろどろに溶かされながら絶頂オーガズムを迎えるなど、一体どんな罰ゲームだ。


 シヅキは嫌な想像に顔を顰めながら、血の蛇腹剣を振るい眷属の頭部を斬り付ける。だが、核であろう宝玉を捉えた手ごたえはない。

大質量が液体に変わり、重力に引かれ落下してゆく。床にまで辿り着いた液体はばちゃりと大きな音を立て、飛沫が宙へ舞った。

 シヅキは慌てて右手の蛇腹剣を引き戻し、ぐるりと刃を回し飛んでくる飛沫を全て焼き払う・・・・


「知っててよかった聖属性弱点!」


 今のシヅキは左手に『蜥蜴丸』を基にした蛇腹剣を、右手に『魔杖ふぉーるん』を基にした蛇腹剣を携えている。左手側────闇属性の刃に眷属の肉体が触れても特に何も起こらないが、右手……聖属性の刃で眷属の肉体に触れると、触れた部分がじゅうと音を立て、跡形もなく消滅するのだ。そして、それは液化した肉体でも例外ではない。

 飛沫という、回避が極めて難しい攻撃をされ続けているシヅキが未だ戦闘を継続できている理由がこれだ。


 〈血刃変性〉を用いて身を覆えるような形状にすればもっと優位に立ち回れそうにも思えるが、そうするとふぉーるんの攻撃回数を稼ぎ、HPを補給することができなくなってしまう。

 だからといって蜥蜴丸を盾にしてしまえば、それはそれで『不運』の能力低下が維持できなくなる。

 『第六肢の眷属』の全能力を35%低下させてやっと対抗できている現状、『不運』がなくなり眷属が本来の能力を取り戻してしまえばその時点で絶頂死テクノブレイク不可避だ、絶対に御免被る。


「くっそ、範囲攻撃がないのがこんな形で仇になるなんて……! 多分正攻法は頭を範囲で焼いて核の所在を────い゙っ、ん、ぐぅっ……!」


 そうこうしているうちにも足先を触手が掠め、シヅキの右足首から先が液化、そこから強い快感が迸る。だが、液化状態を治療するセルフキュアは先ほど使ったばかりだ、まだクールタイムが空けていない。

 シヅキはぎゅっと足を縮めて快楽に耐えつつ、必死に片手を伸ばし、蛇腹剣による牽引移動で足を使わずに空中機動を取り続けた。

 第六肢の眷属の攻撃はかなり速い。止まってしまえばたちまち触手の的になり、そして攻撃の性質上、一撃でもいいのを貰えばそれでジエンド絶頂死だ。


「はぁっ……はぁー…………と、溶かされてイキ死ぬとかホントに嫌だ、いくらなんでも尊厳凌辱が過ぎる!!」


 シヅキが持つ攻撃手段はほぼ全て刺突斬撃を攻撃範囲とするものだが、眷属を倒す────巨体の中に埋まった核を破壊する────ためには面攻撃こそが重要なはずだ。

 あるいは、攻撃範囲の狭いものでもそれで核だけを狙い撃ちにできれば全く問題はない。だが、シヅキは相手の弱点を探れるようなスキルは持ち合わせていない。

 スキルの補助もなしに視覚のみで黒色の肉に埋もれた同色の宝玉を狙い撃つなど、いくらシヅキでも不可能だ。


 左手の蛇腹剣による牽引移動で空中を飛び回りながら、右の蛇腹剣で眷属の肉体、その末端を削るように斬り付ける。

 聖属性の武器で、かつ切断しないように斬れば眷属の液体が流出することはほとんどない。当然ながらダメージは与えられないが、HP補給という意味で大いに意味がある。


「ああもう、どうしたもんかな……!」


 そうして時間稼ぎをしつつ、シヅキは思考に没頭する。現状を解決するためにはなんらかのひらめきが必要だ。


(一番分かりやすいのは手数でのゴリ押しだけど……失敗したら大量の飛沫が飛んできて死ぬよね……)


 頭部への多段攻撃でもって核へのラッキーヒットを狙うというのは、最後の最後、進退窮まってから選ぶ最後の賭けとして保留しておくべきだろう。失敗した時点で敗北が確定するような手など、どう考えても最初に用いるものではない。


(聖属性以外はどれも似たり寄ったり……さっきからふぉーるんの氷属性追撃が乱れ飛んでるけど、特に飛沫が凍ったりする様子はない)


 液体といえば凍結による対処が思い浮かぶが、『魔杖ふぉーるん』のランダム抽選効果の一つ『氷属性追撃』を受けても、黒い飛沫が凍結するようなことは起きていない。当然ながら、第六肢の眷属自体の肉体にも特に有為な変化はなかった。

 事前の資料で弱点が明言されているのだ、そこに記載されていない属性が強く効果を発揮するなどという意地の悪い設計にはなっていないのだろう。


(司教みたいに封魔の首輪……どう見ても付けられるサイズじゃないなぁ。というか、同じギミック使いまわしなんてつまんないことはしないか……)


 司教が贄となったとき、首輪はその場に落下していた。それはつまり、今や神殿の床を満たすに至った肌色の液体溶けた信者達、その中に沈んでいるということになる。

 あの中から首輪を探し、拾い上げるのはほぼ不可能だろう。であるならばそもそも手段としてカウントすることもできない。


(うぅぅん……考えてはみたけど、やっぱり聖属性の面攻撃がないとどうにもなんないな?)


 ……結局のところ、ここまでシヅキが思い悩んでいたのはすべて現実逃避に他ならない。第六肢の眷属の性質を鑑みれば、聖属性の広域攻撃こそが最も効果的であり……そしてどれだけ頭を捻ろうとも、シヅキがそれを保有していない事実に変わりはないのだ。

 シヅキの行える攻撃で一番範囲が広いものなど、精々が特大血の刃による弾速の遅い線攻撃程度で────


「……うん?」


 シヅキは自らの思考になにか引っ掛かるものを感じ、眉を顰めた。今、この千日手を打開できる手掛かりとなる手が朧げに見えたような────


「あっそっか、あれなら…………試してみる価値はある、かな」


 思考の末辿り着いた一つの選択肢。賭けにはなるが、やってみる価値はあるだろう。

 シヅキは第六肢の眷属に背を向け・・・・、神殿の入り口方面へと全力で駆け出した。


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Tips

『第六肢の眷属』

 世界災厄:第六肢の生み出した分体。微弱ながら遊蕩の権能を有し、触れた生物に強い快楽を与え、変質・同化させる性質を持つ。

 変質に伴う快楽を利用して人を誘惑、自身に隷属させるような挙動を取る。だが、それは本能に刻まれたただの動作であり、眷属自体に思考力はほとんど存在していない。

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